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魔人とドールの狂想曲  作者: 若桜モドキ
名探偵がこの列車に
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1.容疑者Aと乗員A

 容疑者Aは、どうみても普通の少年だった。肌が白く華奢で細身の、身長はそれなりにありそうな極普通の少年だ。日焼けした感じがしないことから外に出て動きまわるようなことはしないらしく、しかしその割に足元は丈夫そうなブーツで固められている。

 着用しているのは黒い服。そして黒いコート。長年愛用しているのだろうか、コートは少しくたびれている。食事の時は脱いでいたそれだったが、今は普通に着用していた。

 そういう好みなのか、彼の衣服はおそらく一つか二つほどサイズが大きい。身の丈に余るものをだぼっと着込んでいて、宝石を盗んだに違いない犯人のわりに装飾品は特になかった。

 そしてこれは、男としてはあまり認めたくないが――彼はとても見目がいい。

 さっきから女性客のみならず、女性乗員がちらちらと視線を送っている。常に優美な笑みを浮かべているのがいいのかもしれないが、乗員Aからするとニヤニヤしているだけの優男だ。

 それでも認めるのは、やはりそれだけ視線を集めるという結果のせいだ。

 客観的に見ると、やはりあの少年は美形なのだろう。

 人に注目されている乗客をこれまで何人も見たが、彼ほどの客はない。ここで認めないということは実に容易いが、後で惨めになるだけなので素直に認めることを彼は選んだ。

 一方、ともにいる少女の方は、こちらも美少女と言って差し支えなかった。食堂車では表情がよく見えなかったのだが、彼女の瞳は髪の黒に映える金色。月のように美しかった。

 彼女の肌はとても白く、赤みに乏しい。一見すると血の気がなく、死人のようだ。表情もほとんど変化のない『無』の境地で、感情というものがないのではないかとすら錯覚する。

 少女――容疑者Bの服装は、少年とは違って白が目立つ。白に、黒で装飾を施している感じだろうか。だが装飾というほど多いわけでもないので、白一色でいいのかもしれない。黒髪は肩につくぐらいの長さまで伸ばし、サイドの一部が少しだけ長い。緩やかなクセのある髪を持つ少年とは異なり、少女の髪はほとんど真っ直ぐといっても差し支えないだろう。

「まだ食べるのですか」

 彼女は呆れた様子で少年を見ていた。二人の間にあるテーブルには、これでもかと菓子が積み上がっている。先ほどから仕事のついでにそれとなく見ていたが、ほとんど少年が運んできたものだ。そして彼は紅茶を飲みつつ、菓子の一つ一つ味わうように食べ続けている。

 少女の方は標準的な『一人分』であるケーキを一つ、コーヒーと一緒に味わっているところのようだ。すでに半分ほど食べ終えていて、今は小休止といったところなのかもしれない。

 彼女は自分の目の前に並ぶ菓子を、かすかに睨むように見た。

「……全部食べられるのですか、お一人で」

「大丈夫だよ。最近ね、甘味をとっていなかったからさ」

 ここで一気に摂取だよ、と少年はいい、カップケーキにかぶりつく。咀嚼しながら親指で唇を拭って、ちろり、と舐めとった。すかさず少女がハンカチを差し出すも、要らない、と。

 大きく聞こえる少女のため息。

「子供ですか、あなたは」

「もう充分大人だと思うけどねぇ。……確かめる?」

「お断りします」

「つれないなぁ、そこもかわいいんだけど」

 くすくす、と少年は笑う。

 そして、別の菓子に手を伸ばした。

 彼が先程から口にしているのは、この食堂車にある全種類の甘味だ。何を思って全種類を撮ってきたのかは知らないが、恐ろしいのはそれなりのペースで消費されていることだ。

 ほんの数時間前まで、ここで昼食をとっていた人間とは思えない。あまりに見事な食べっぷりに、普通であるはずの少女やそれ以外の客がおかしいような錯覚すら感じてしまう。

 次に彼が手を伸ばしたのは、白いクリームがたっぷりのケーキ。

 上に乗った赤い果実を少女に渡す、嫌いなのかもしれない。彼女は黙って渡されたそれを口に入れて、少年はフォークで大きく切り分けたケーキを口に入れる。

 だが少し、大きく切り過ぎたのだろう、少年の口の端にクリームがついてしまった。

「ふふ、キミも一緒に食べればいいのにねぇ、ほら」


 ちろり、と赤い舌先が唇をねぶる。

 舌の赤が白いクリームを乗せ、口内へと消えた。


「おいしいよ?」

 浮かぶ笑みは、怖気を感じさせるほど蠱惑的なものだった。ほぅ、とそれを見て悩ましいため息をこぼしたのは何人板だろうか。一瞬で少年は、この場にいるほとんどの人の心を見事なまでに奪い去ったといえる。ただ、彼にとってはそんなもの、そこらの砂利と同じだろう。

 目当ては、目の前にいる少女ただ一人。

 しかし彼女は。

「……食べきれないなら、そういえばよろしいかと」

 無表情のまま淡々と、そんな言葉だけを返していた。

 その切り捨てるに等しい対応に、周囲の空気が濁るように変化する。これは窃盗騒動以外にも面倒なことが起きそうだ。とはいえ容疑者が自分で起こすことだ、自業自得だろう。

 結局、少女が半分ほど平らげ、彼らは食堂車を去った。

 それを目で目で追うと、そちらから見覚えのある乗務員が現れる。

 清潔感のある制服が似合うBだ。

 長い髪をゆるく三つ編みにして団子状にまとめた彼女は、ふと視線を上げて乗員Aに気がつくと笑みを浮かべる。仕草と手でサインを送り、彼女は隣を通り過ぎていった。

 右手の薬指と小指だけを曲げて、両足を二回ずつ叩く。


 ――あれは休憩室に行く、という意味だ。


 彼女はそれを両手で行った。左だと先に休憩に入って、という意味になる。つまり自分もこれから休憩するけどあなたも休憩して、と彼女は言いたかったわけだ。

 だがこれは、その意味そのままに受け取ってはいけない。同時に休憩に入る、つまり休憩に入ることを誘われるということは、何か用事があるということだ。

 乗員Aはその場の仕事をさっと片付けると、すぐさま彼女を追いかけていった。



   ■  □  ■



 休憩室には乗員Bと、それから乗員Cがいた。他の乗務員はいない。

「それで例の犯人だけど、それらしいのいたか? 上が見かけたらすぐに教えろってうるさいんだよ。せっつかれるのはいいんだけど、うっかり間違えたらそれもヤバいっつーの」

「そうなんだよね、でもぜんぜん……」

 そんな会話が、室内から聞こえてくる。

 乗員Aは、それを聞いてにやりと笑っていた。彼らは、いや、少なくとも乗員Bはまだ犯人を知らないらしい。自分が一歩優っていることに、乗員Aはとても満足した。

 傍目には、あの二人はありふれた乗客でしかない。

 だからこそ、自分は他を出し抜ける。

 不正をゆるさないその姿は、正義感の強い乗員Bの心をつかむだろう。

 男はひとしきり、肩を震わせて笑って。

「おまたせー」

 何事もなかったかのように、休憩室へと入っていった。

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