進藤1
明人は問答無用で襲いかかった。
理由は単純だ。
危険性を排除する方が優先されるのだ。
そして先制攻撃と奇襲はあらゆる戦術の基本である。
明人は跳躍し、進藤の顔目がけて拳を放った。
その瞬間だった。
空中で拳が透明な壁にぶち当たったのである。
「な?!」
明人は声を上げた。
何が起こった?
何があったのだ?
「無駄だ。伊集院明人。誰にも俺を傷つけることはできない」
明人は後ろへ手を出した。
すると山田がそれを見て動きを止める。
「なにかの能力か?」
「ああ。俺のは空間にバグを起こす能力だ。時間をいじったり場所を変えたり……ただし効果は一時的だがな。今は1989年の川口。気に入ってもらえたかな?」
「なぜ能力を俺たちに教えた?」
能力は秘密にしておいた方が有利なはずだ。
なにか意図があるに違いない。
「教えてもそれほど不利じゃないからだよ。知っていても回避できない能力だ。それに伊集院明人。君と話し合いたいからってのもあるがね」
進藤はさわやかに笑った。
嘘だ。
この野郎は嘘つきだ。
信用できない。
まだ何かを隠していやがる。
そもそも話し合いたいならもっと穏便な方法がいくらでもあるはずだ。
すぐバレるような嘘をわざわざついているのだ。
明人が考えていると進藤がわざとらしく微笑んだ。
「信じていないといった顔だな。まあいいだろう。こちらの要求を言おう。レイラとジェーンをよこせ」
「断る」
相手のリズムに巻き込まれてはならない。
相手は取引をするようなタイプではない。
何を言われても断るべきだ。
「お前もわかっているだろう? あのガキ……ジェーンは危険だ。お前も知っているようにジェーンの頭の中には多元世界の設計図が入っている。あれは世界を一発で終わらせるほどの代物だ」
「答えはノーだ」
多元世界の設計図をどう使うかの具体的な話がない。
意味のない会話だ。
だが進藤はそれでもやめない。
「……世界を滅ぼすのはジェーンだ……わかっているのか?」
「ジェーンがスカイネットを作ってロボットの反乱でもさせるのか? ばかばかしい」
具体的にロボットの反乱という例を明人は口にした。
それこそがジェーンならやりかねないと常日頃から思っているという証拠なのだが、明人はその現実にはあえて目を背けた。
相手に主導権を握らせたくはないし、それにもっと気になっていることがあったのだ。
何か大きなことを忘れているような気がしていたのだ。
それが気になって仕方がなかったのだ。
それはなんだろうか?
明人はなぜか思い出せないでいた。
その時だった。
「お前の台詞はおかしい」
山田が冷たい声で言い放った。
「……山田か」
「お前の話にはレイラが出てこない。なぜレイラを欲しがる?」
「ああ、これからレイラのせいで第三次世界大戦が……」
「嘘をつくな」
山田が冷たい声色のままで切り捨てた。
「嘘?」
「公安はもう突き止めている。お前の目的はレイラの曾祖父が当時のソビエトに持ち込んだ極秘資料だ。ボクらをなめるな!」
えっへんと山田が胸を張った。
その途端、進藤のにやけた顔が固まった。
そして一瞬の間を置いて進藤の体が痙攣し、その次の瞬間、盛大な笑い声が漏れた。
「あは! あはは! あはははは! この世界では公安も警察も無能なはずだ。そうか! これが伊集院明人の能力か!!! やはりこの世界の伊集院明人に関わった全ての人間はシナリオのコントロールから外れ自由に好き勝手に動き始めるのか! あははは! 傑作だ!!!」
いやそれはねえから。
明人は思った。
だが相手がそう信じているのは都合がいい。
ツッコミを入れる必要などないのだ。
実際は進藤の意見は間違っていないということが後から証明され、明人はまた新たな悩みを抱えるのだがそれはまた別の話である。
明人は苦笑いしながら進藤を見た。
進藤は一見すると笑っているが、その表情、顔は全く笑っていない。
その姿は不気味の一言であった。
「おい山田。極秘資料って」
明人は山田に話を振った。
変なスイッチが入ってしまった進藤に絡みたくなかったのだ。
「カニとジンギスカンが先だ!」
えっへんと山田が胸を張った。
「回るヤツでよければ……寿司もつけてやる」
「ふふふ。やる気が出たぞ」
ゆるい山田のおかげで明人は少しリラックスした。
緊張がほぐれたせいかその時、明人の頭の中に引っかかっていた情報が突如として浮上したのだ。
「……井上の予言。ジェーンの死を俺は回避した。そうか……ジェーンが生きている……つまり……あの世界と同じように世界の命運はジェーンに懸かっているのか!」
明人が結論を出したその時だった。
進藤がその作り物の笑顔を崩さないまま手を出した。
そこから黒いものが出現した。
そう明人たちを吸い込んだあの闇が出現したのだ。
やはり進藤は嘘つきだった。
明人たちを嘘で丸め込めなければ戦うつもりだったのだ。
圧倒的な殺気があたりに立ちこめる。
たらりと冷たい汗が明人の額から流れる。
藤巻もゴクリとツバを飲み、山田は明人の陰に隠れる。
ただし、それは進藤の殺気ではなかった。
「おい。いい加減にしろよ」
かわいい系の声のはずなのに地から響くような迫力がそこにはあった。
「ギャーギャー言いやがって、うるせえんだよ」
高い声の少年がいた。
一見すると彼は大人しい少年だ。
だが明人の仲間の中でも一番危険な男だった。
彼はキレていた。
彼は話術で攪乱する相手が心から嫌いだった。
だから相手が少しでも攻撃の意思を見せたら攻撃してやろうと思っていたのだ。
だから意見には耳を貸さない。
議論にも加わらない。
ただ殺気を感じたら攻撃に転じる。
飯塚は極限まで集中していた。
そこまでしていた飯塚は素早かった。
飯塚はすでに弓を引いていた。
進藤は目を丸くした。
そして自分の失敗に気がついた。
進藤は飯塚の存在を感じなかった。
それを攻撃の意思がないと判断していたのだ。
だがそれは間違いだった。
飯塚は最初から臨戦態勢だったのだ。
静かに殺気を研ぎ澄ませていたのだ。
「おい……やめッ……」
飯塚は問答無用で矢を放った。
明人たち、ライアンまでも含めた全員が逃げた。
矢は黒い闇に吸い込まれていく。
そして一瞬の間を置いて闇が破裂した。
闇から吹き出した炎が龍のように踊る。
進藤が爆風に吹き飛ばされる。
その瞬間、世界が吹き飛んだ。
まるでポリゴンのように世界が剥がれ落ち、そこから格子のワイヤーフレームが見えてくる。
立っていられないほどの揺れに襲われながら明人たちは必死に床にしがみついた。
「ぬおおおおおお! 飯塚ああああああああ! いつか殴る!!!」
藤巻の悲鳴が響いた。
「藤巻さあああああああん! 俺にも殴らせろおおおおおおお!」
「うっわ! 二人とも酷いいいいいいい!」
やがて揺れがおさまる。
揺れは数十秒の出来事だった。
だが明人たちには五分以上にも感じられた。
揺れが収まり明人たちが顔を上げると、そこは元の醸造研究所だった。
「……やはりタイムスリップじゃなかったか」
ライアンがそう言って立ち上がった。
そしておもむろに壁を殴った。
ガシャンという人間の打撃音としては明らかに間違った音が響き、壁にヒビが入った。
「なるほど。あの野郎。やりたい放題だな」
「せ、先生……なんで俺たちには制限がかからなかったんでしょうね?」
明人がよろよろと起き上がった。
「人数に限りがあるとか……わからん……」
結局、進藤の意図はわからなかった。
明人が額に皺を寄せる。
簡単すぎる。
どうにもスッキリしない。
これで終わるような気がしない。
そんな考え込む明人の足を誰かが掴んだ。
「じ、ジンギスカン!!! カニ!!! 寿司いいいいいぃぃぃぃぃッ!!!」
瓦礫に埋まった山田だった。
「レイラのことを聞かせてくれたならな」
「うん言う言う。みんなで食べに行こう!!! 伊集院のおごりだってー!!!」
「っちょ! 山田ぁッ!!!」
「おっすしー♪」
こうして容赦のない山田の搾取が明人を襲うのである。
そしてこの時、山田は何も考えていなかった。
全て終わったと思っていたのである。
だが、まだ進藤はあきらめてはいなかったのである。




