ラード VS 明人
後藤の意識下で何者かが選択を迫った。
それは女性の声。
薔薇のように華やかな声ではない。
それは小さな花のような声だった。
それでいて無機質な電子的に合成されたかのような感情というものが感じられない声だった。
「元の世界とのリンクが切れました。
帰還しますか?
それともここにとどまりますか?」
そんな触れたら壊れそうな声に、後藤は鼻に指を突っ込みながら考えた。
なに言ってんの?
うさんくせえな。
だいたい他の連中は誰一人気づいていないが、前の世界の俺たちはもう詰んでるのよ。
あんなクソゲーですらない作品のスタッフだって気づかれた時点で業界にいることができるはずがない。
コネもない。
技術もない。
対人スキルもない。
実績もない。
誰が相手にするよ。
業界も縮小傾向だ。
会社の方もうまく行ってもあと数年だろう。
それを打開できるような神がかりな経営などあいつらにできるはずがない。
今さら戻ってどうすんのよ?
この世界は可能性がある。
犯罪の世界で経営のノウハウも蓄積した。
この世界ではまだ殺人などの『おイタ』をしてなかったため治安機関も条件を提示してきた。
おそらく法律外の措置だろう。
それに後藤には確信があった。
今度こそループから抜け出せるだろうという確信。
今までの伊集院明人はどいつもこいつも外面だけを取り繕う中身の空っぽなつまらない人間だった。
だが今度の伊集院明人は違う。
この世界がゲームの世界だという事をはなから疑っていた。
挙げ句の果てにゲームのキャラに『敬意を持て』ときた。
考え方の出発点が違う。
どう考えても完全な狂人だ。
だがそこが期待できる。
それに……ありえないことだが徐々に身体が治って行くのを感じている。
もう少しで戦線に復帰できるのだ。
それを……
ようやく面白くなったこの世界から消えろだと?
ふざけるな!
俺は最後まで見届ける。
伊集院明人の行く末を!
俺はここに残る!
後藤が選択をした瞬間、後藤のその存在は光に包まれた。
◇
あの光はなんだったのだろう?
後藤は疑問に思った。
元の世界とのリンクの切断。
この世界という選択肢。
そして気づいた。
「ルートが分岐したのか……」
後藤がそうつぶやいた。
そして一気に冷静になった。
ライアン!
いや前田はどこだ!
後藤が辺りを見回すとライアンはすぐ側に倒れていた。
「おい! 前田!」
後藤が怒鳴ると前田ことライアンがゲホッと大きく咳をした。
どうやら生きているようだ。
がらにもなく後藤は胸をなで下ろした。
「おい前田! 大丈夫か?」
「ああ。大丈夫だ……」
「今のはなんだ?」
「わからん……だが残ったのは俺とお前と……」
「私ですね。気づいたらみんな消えてました」
女性の声が聞こえた。
今度のは花のように見せかけておいて頭からがぶりと齧りつく肉食獣の声だ。
後藤がそう思うのも仕方がない。
彼女こそ『破壊魔』飯塚の恋人にして転生者、斉藤みかんだった。
後藤は斉藤に疑問を投げかけた。
「俺らは本当に『存在』しているのか?」
みかんは首を振った。
「それを証明する手立てはありません」
後藤やライアン、斉藤みかんもわかっていた。
誰も自分の存在を証明する事などできないということを。
◇
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
明人はなぜか弁当箱……いや3段重ねのお重から妙なプレッシャーを感じた。
そこは校舎の屋上。
屋上にいるのは明人と女性三人。
ラブコメ的光景のはずである。
なのにこのプレッシャーである。
「明人様。お弁当ですわ」
弁当。
それは男の子に残された最後のフロンティア。
おかしい。
うれしいはずだ。
三島の弁当はいつもうれしい。
だが……これは……
「ささ。めしあがってくださいな」
明人は目を点にして弁当の制作者の方を見る。
田中麗華が微笑む。
純和風のお嬢様と言った様相の整った顔立ち。
その美しい笑顔から形容できないほどの圧力が発せられる。
「あの……会長」
「ささ。めしあがれ」
問答無用のようだ。
明人は冷や汗を流しながら震える手で重箱の蓋を開けた。
ごくり。
蓋を開けると香ばしい臭いが立ちこめた。
そこはきつね色のパラダイスだった。
油、油、油。
揚げ物のたちの挽歌。
油の盆踊り。
ラードのギトギトモンスター。
なぜか明人の頭の中にサルバトール・ダリの絵が浮かぶ。
「か、会長……これは……」
「愛……それは脂肪……」
意味がわからない。
明人はコロッケらしき物体をはしでつまむ。
物体から油がしたたり落ちた。
明人は悩む。
これは本当に食べても大丈夫なものだろうか?
だから明人の横で目をキラキラさせながらぴよぴよと口を開ける雛……山田の口へ放り込む。
「……もぐもぐ……ん? ……ラードと米と醤油? ……美味しい」
「台湾名物ラードかけごはんをコロッケにしましたのよ!」
少なくとも食べ物のようだ。
こんな不気味なものが美味しいはずが……
山田に毒味をさせた明人は自分でも味見をしようと口に運ぶ。
サクサクとした衣を囓ると中から醤油と米の香りが口の中に広がる。
……美味い……認めたくないが美味い。
醤油に油だけというシンプルな味。
味の濃さまでがチープでいながらも完成されている。
ラードが溶けたせいか意外に少ない総重量と体積。
そうまるで……これは……
駄菓子だ。
それもジャンクフード系。
やつは本気で……本気で太らせるつもりだ!
明人は戦慄した。
一度そう思うと田中の笑顔が邪悪なもののように思えてきた。
そしてもうひとつの違和感に気づいた。
弁当のはずなのに暖かい。
「暖かい?」
「ええ。業務用のフライヤーを生徒会室に設置しましたわ!」
そう語る田中の目は本気だった。
会長が壊れた!
明人は焦った。
そして同時にあるアイデアが浮かんだ。
そうだ!
同じくらいの狂気を抱えているジェーンに助けを求めれば……
横をちらりと見るとジェーンはノートブック型のモバイル端末に何かを入力している。
「ジェーンどうした?」
「うーん。なんかこうアイデアが次から次と閃くんだわ。なんていうか……方程式? 応用数理? アルゴリズム……うーん……ピア・トゥ・ピアの分散処理システムの全体図というか? 恐ろしく複雑なフラクタル的な立体モデルの構造? どこかに破綻があって……うーんまとまらない!!!」
ジェーンがイラついたのか頭をガリガリと掻く。
「うーん!!! 感覚的にはわかってるんだけどそれを言葉とか数式で表現できない! んがああああああああッ!」
どうやら井上の言ったとおりジェーンの方にも影響が現れているようだ。
明人は実のところ仲間たちには田中との異世界旅行のことは部分的にしか知らせていない。
三島花梨はいつも通り……なぜか明人を見ると顔を真っ赤にして逃げるのを除いてだが。
確認された他の二人の三島の事を知らせて日常を壊すような事を明人はしたくなかったし、田中も明人の意見に同意した。
その条件がこの昼食での弁当の試食だったわけである。
「あ、飲み物が必要ですわね。チョコスムージーですわ」
それはチョコスムージーと言うにはあまりにも巨大だった。
ぶ厚く重くそして甘すぎる、まさに糖分であった。
見た感じ2000キロカロリーはあるだろう。
たしかTNT火薬のエネルギーは1グラムだいたい1000カロリーだから、TNT火薬約2キロ分か……
この弁当が爆発したらこの場の全員が死ぬな。
明人はメチャクチャな計算を脳内でしてからゴクリとツバを飲み込んだ。
どうやら田中は明人の脂肪を育てるつもりらしい。
おいしく頂くために。
明人は冷や汗を流す。
やつは本気だ。
「ささ!」
明人はスムージーをジェーンへ渡す。
頭脳労働で糖分を欲していたジェーンはディスプレイを眺めたまま飲んでいた。
「あら、お嫌いですの?」
「い、いえ。俺は麦茶を飲みますので……」
自動販売機で買ったお茶を飲む。
妙なプレッシャーで喉はカラカラだった。
ラードご飯フライ一つで腹も満ち足りた。
だが田中は更に続ける。
「では二段目」
なにか恐ろしいものがやってくる。
明人の本能が訴える。
「脂身の唐揚げ!!!」
明人はそれを聞くと、一目散に校舎の壁伝いに逃げ出した。
「な! 逃げましたわ!」
と田中は怒って見せた。
だが、それはポーズにすぎなかった。
「まったく……仕方ない人。ジェーンちゃん。で? 明人様に言えない話って何かしら?」
ジェーンはモバイル端末を自分の横に置くと話を始めた。
「実験は成功。いくつかの未発見の粒子を確認したそうだよ。んで、今一番話題になっているのは通行できる可能性のあるワームホールがセンサーで観測された事」
「やはりあれは現実だったようですわね」
「で、問題なのは田中ちゃんの能力。同じらしいよ。観測された現象とね。だから実験で観測されたのか田中ちゃんが起こした現象なのかは不明。ノーベル賞ははるか遠く。科学者涙目ぷぎゃー」
「あらま」
ジェーンが山田の方を見ると山田が四つ目のラードご飯フライをパクついたところだった。
山田はラードご飯フライを口に入れたまま無理矢理しゃべった。
「んが。ふごふご」
「響子。落ち着いて」
山田がジェーンの飲みかけのチョコスムージーを飲む。
「んが。ライアン先生たちの行方は?」
「行方不明。どこに行ったかわからない」
「で、言えない事ってなに? ボク思うんだけど伊集院はたいていの事は怒らないよ」
ジェーンが目をそらす。
「いえね。田中ちゃんの携帯のログなんだけどさ、48時間ずれてるんだ」
「では」
「うん。違う世界に行ってたのは事実。証明できないけどね」
「では写真は? とりあえず何枚か撮りましたけど」
田中が弁解するように言った。
「残念だけど、どの風景もこちらと同じだからなんの証拠にもならない」
「晴海はどうですの?」
「一応、写真が晴海である事自体は証明されたけど……ダメだね」
「で、明人様に言えない事って? そのへんは言っても大丈夫じゃないかな?」
「……うん、あのね。明人をこの作戦から外す案が出てる」
「どこの情報? ボクなにも聞いてないよ」
「アメリカ。それを調査するためにチームが派遣されることに決まったみたい。調査メンバーは私の先生二人にたくさんの科学者に軍事の専門家に……そうそう日本からは姫神さんに埼玉県警の本部長も加わるみたい……それと」
ジェーンは二人を交互に見た。
「私たち三人」
ジェーンはポリポリと頭を掻いた。




