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伊集院明人は二度死ぬ 9

 ビルの外。

 別の雑居ビルの屋上、階段へ続くドアの陰に田中はいた。

 田中は動きをとれないでいた。

 先ほどから視線を感じる。

 誰かに見られているのだ。


 ためしに手を出してみた。

 ガンッという音とともにタイルがはじけた。

 ひゃッあぶな!!!

 慌てて田中は手を引っ込めた。

 田中は思った。


 狙われている。

 アフリカの野生動物のように殺気に敏感な明人なら相手の位置までわかっただろう。

 だが田中にはそんな器用なことはできない。

 わかるのは殺気に鈍感な田中を相手はいつでも殺せたのだということ。

 だからおそらく今のは警告だ

 相手は殺そうとしたのではない。

 ここに田中を足止めするのが目的なのだ。

 もちろんじゃあ撃てないだろうと頭を晒した瞬間にヘッドショットという可能性は充分にある。


 これが藤巻だったら撃たれたあとから銃弾をかわすような器用な真似ができただろう。

 山田なら自らを囮にして器用に逃げ回りながら相手に近づいただろう。

 飯塚なら火力で強引に押し切ることもできるだろう。

 だがそれらは田中には不可能だ。

 陰に隠れるのもすでに敵にマークされている状況では意味がない。

 空間を跳躍するのも必ず成功させる自信はないし、相手の場所がわからなければ無理だ。

 どうやら脳内で複雑な座標計算をしているようなのだ。


 ああ! どうすればいいの!


 田中が『きいっ!』っとヒステリーを起こしかけた。

 田中は明人や山田と比べればアマチュアもいいところだ。

 精神的に弱いのだ。

 そんな田中におかしな事が起こった。


 目の前に伊集院明人が立っている。

 今の彼ではない。

 田中にとっては元の世界の明人が立っているのだ。

 明人が指をさした。


 あのビルにいる。


 明人の言葉が直接、田中の脳裏に響いた。


「え? ちょっと明人様?」


 行け。


 田中は何が何だかわからなかった。

 いや……あれはビジョンに違いない。

 敵意、害心は感じない。

 それにその明人は妙に優しい顔をしていた。

 田中は決心した。

 その言葉に従おう。

 空間跳躍を行うことにした。

 握ったクナイを振るとかすかな手応えがある。

 目には見えない。

 だが世界が斬れている。

 この傷はあっという間に塞がる。

 注射器の針でできた穴のようなものだ。

 そして田中は一気にそこに飛び込む。

 この際、田中は酷く頭が痛くなる。

 だから何度も連続で使用することはできない。

 たぶん限界を超えた使用は脳を壊すに違いないと田中は確信している。

 裂け目に飛びこむと、暗くて何も見えないがおそらく細いトンネルのようなところを転がり落ちる。

 そして突如、別の空間に飛び出す。

 実はそれほど格好良くはない。

 それが田中の空間跳躍だった。


 別のビルの屋上に着いたはずだ。

 田中は周りを確認した。

 いきなり人間が出てきたのだ。

 相手も驚いているはずだ。

 このチャンスをものにしなければ。


 だが田中が見たものは予想に反していた。

 男がいた。

 ライフルを持った若い男だ。

 フードとゴーグルのせいで顔はよくわからない。

 その男が手を叩いた。


「いやー。マジでワープした! すっげーな!」


 田中は意表を突かれ絶句した。

 つい40時間ほど前に身につけたこの能力をこの男は知っている。

 なぜだ?

 どうしてだ?


「なにが目的ですの?」


 田中はクナイを構え威嚇する。月見


「向こうの現地調達バカをあおってエンジョイ&エキサイティング?」


 まともに答える気がなさそうだ。

 田中がイラッとした瞬間、ピーピーピーと男の時計が鳴った。

 男は腕時計のボタンを押しアラームを止めると言った。


「おっし時間だ。じゃあな。また元の世界で()ろうぜ!」


 そう言うと男は砂のように霧散した。

 いきなり消え去ったのだ。


「……なにが起こってますの?」


 そうつぶやいたが答えが返ってこないことは田中にはわかっていた。

 考えても仕方がない。

 田中は今度こそ明人の方へ向かうことにした。



「あ、出ます」


 平田が応対しに玄関へ出た。

 明人は爆弾を奪おうと思い水を飲みに行くようなふりをして平田のそばのポジションを確保した。

 爆弾を奪って解除。

 プランは単純だ。

 その明人のプランが崩れたのは次の瞬間だった。


「え? なに? ちょっとなんですか!」


 平田が声を上げるのと同時に乱暴にドアが開けられる。


「え? 痛ッ! ぎゃあああッ! 血が! 血が!」


 平田の悲鳴が聞こえるのと同時に明人は駆けだした。

 平田が腕を押さえている。

 その先には15センチほどのナイフを振りかぶった男が見えた。


 おかしい!襲撃者なんていないはずだ!


 明人は平田の肩をつかみ後ろへ引いた。

 平田が尻餅をついてナイフの刃は空を切った。

 そのまま明人は軽く飛び上がりその勢いのまま男のみぞおちへ前蹴りをねじ込んだ。

 94キロの飛び蹴りは男を大きくのけぞらせたが、相手を戦闘不能にさせるにはそれだけでは不十分だった。

 下半身、腹筋それに背筋の力が足りないせいで、せっかく体重が生かしきれなかったのだ。

 男がふらつきながらも体勢を立て直した。

 明人はこの時はじめて顔を見た。

 知らない男だ。

 旧制作陣なのだろうか?

 いやそれは今関係ない。

 明人にとって重要なのは男を無力化することだったのだ。


 明人は胸の前に手を置いた。

 狭い室内だ。

 大きな動きでかわすのは難しい。

 ハンドスピードでサバくほかはない。

 ナイフだろうがなんだろうが制圧するコツは同じだ。

 相手の攻撃を待ってはならない。

 それができるのは実力差のある時だけだ。

 普通なら相手の攻撃を待つのは相手に主導権を与えてしまうようなものだ。

 だから攻撃するしかない。

 明人はどう猛な肉食獣、今の彼の体格ならクマを思わせる動きで一気に間合いを詰めた。

 明人の迫力に動揺した男が斜め上から斬りつけようとした。

 その素直な攻撃に明人は感謝するかのように、男のナイフを持っていた側の胸と肩の付け根に左拳をお見舞いした。

 そのままコンビネーションで相手の膝の横へローキックをねじ込んだ。

 これが有効打であればそこから無理矢理ナイフを持った方の腕を捕ってへし折ってやるのだが、やはり鍛えていない体では体重移動がうまく行えなかった。

 尻の筋肉が弱くふんばりもきかない。

 それなら攻撃し続ければいい。

 そう思い、後ろへ重心移動してもう一度ローキックをしようとするが過度な負担に柔軟性の足りないアキレス腱が悲鳴を上げ、体がよろけた。

 そのすきに体勢を立て直した男がメチャクチャにナイフを振り回してきた。

 明人は手でそれをサバいていく。

 跳ね返してはいけない。

 だからと言って力を抜いたら無理矢理押し込まれる。

 速く、速く、速く。

 ナイフを逸らしていく。

 ふいに腕に冷たさを感じた明人が後ろへ下がった。

 男も息が上がったのかちょうどいいとばかりに攻撃の手を止めた。


 痛みから腕を切りつけられたのだとわかった。

 腕の表側を斬られたのだ。

 明人は相手に覚られないように指を動かす。

 指の先から動いた感触がした。

 よかった。

 腱は切れていない。

 鼻も痛い。

 明人は何かが唇にたれてきたのを感じた。

 すぐに血だとわかった。

 腕と一緒に斬られたに違いない。

 邪魔くさく感じた明人は唇にたれた血を舌でぺろりとなめた。

 血の臭いと塩の味。

 明人の見た目はただの肥満体の男である。

 明らかに男は格下と思ってバカにした目つきだった。

 そんな明人にいいように妨害されている。

 男には明人が邪魔な壁のように思えたのである。

 それがかんに障ったのであろうか。

 男が怒鳴った。


「うわああああああッ! お前らの! お前のせいでええええええッ!」


 突きだ。

 明人は本能的にそれを察知した。

 ではどうするか?

 この体ではテクニカルな動きは無理だ。

 もっと強く、もっと単純に。

 明人は男の方へ飛び込んだ。

 男は両手でナイフをつかみ突きを放つために自分の方へ引きつけた。

 明人は一瞬で間合いを詰め肩から男に突撃した。

 ガツッという音が明人の体に響いた。

 それは明人の腕にナイフが刺ささった音だった。

 だがそれは明人の想定範囲内の出来事である。

 このまま無理矢理突き飛ばすつもりだったのだ。

 だが想像を上回っていたのは痛みだった。

 今まで体験した事のないような痛みが明人を襲った。

 そうか! この体は荒事になれていない。

 痛みというものをあまり経験した事のない体なのだ。

 明人の腕がちぎれそうなほど痛む。

 だが力を振り絞って明人は男をはね飛ばした。

 男が玄関の先の壁にぶつかった。


 ナイフはそれほど深くは突き刺さっていない。

 まだ動く。

 大丈夫だ。


 明人はそのままもう一度突撃する。

 肩とコンクリートの壁に挟まれた男がぎゃっと悲鳴を上げた。

 だが明人は止まらない。

 もう一度。

 今度は助走をつけ前に出した腕から突撃した。

 めきめきめき。

 という音が聞こえ男が崩れ落ちた。

 明人が息を吐いた。

 これで世界は変わるはずだ。


 だが次の瞬間、明人は見た。

 いやビジョンを見た。

 男の持ってきた箱。

 それが爆発するビジョンを。

 もう時間は残されていないのだ。

 明人は慌てて箱へ駆け寄った。

 同時に腹に痛みが走った。

 腹を見ると血があふれてくる。


 明人が男の方を見ると拳銃を構えていた。

 明人の攻撃は十分ではなく、倒しきれなかった男に撃たれたのだ。

 男がもう一発撃とうとしているのが見えた。


「明人様!」


 明人の耳に田中の声が聞こえた。

 次の瞬間、男の腕にクナイが刺さったのが見えた。

 田中が来てくれたのだ。

 このチャンスをモノにせねばならない。

 明人はすぐさま尻をついたままクナイが刺さった手を呆然と見ている男へ助走をつけて飛び膝蹴りを放った。

 膝とコンクリートに頭が挟まれた男が白目をむき今度こそ動かなくなった。

 興奮しているのだろうか不思議と腹の痛みはない。

 ……いや死に向かっているのかもしれない。


 その時、箱からけたたましくアラームが鳴り響いた。

 明人は箱を見た。

 もう時間がない。


 じゃあどうすればいいのか?


 簡単だ。

 明人は最後の力を振り絞り立ち上がった。

 そして荷物を抱きしめて走り出した。

 ぼたぼたと血が流れていく。

 そんな状態でもなぜか体は軽かった。


 帰らなければならない。

 だから……事件を防ぐ。


 廊下の先に窓が見えた。

 下は空き地なのは確認済みだった。

 明人はアメリカンフットボールの選手のように踵をふみしめ加速する。

 太腿を、膝を、アキレス腱を、全てを軋ませながら走る。

 そして窓へ飛び込んだ。


 アイキャンフライ!

 やかましいわ!

 こんな大事なときなのに、なぜかどうでもいいギャグが明人の脳裏に浮かんだ。


 飴細工のように割れたガラス、そして窓ガラスのフレームが明人と一緒に無重力を体感していた。

 かちっという音。

 先ほどのアラームではない。

 本当の爆発を知らせるブザーが鳴った。

 同時に明人の心臓のまわり、胸の筋肉が激しく痙攣を起こした。

 それは最初に死んだときと同じ徴候。

 井上と自分は同じ日に死ぬ運命だったのだ。

 次の瞬間、炎と爆発が見えた。

 それが明人がこの世界で最後に見たものだった。



 明人の後を追っていた田中は見た。

 明人が窓から飛び降りた瞬間、この世界の明人から何かが飛び出した。

 すぐにビジョンだとわかった。

 そして感覚的に理解した。

 時が来たのだ。

 二重になった世界。その中で体格のいい男から放出されたもう一人の人物。

 それは田中のよく知っているあの明人の姿だった。

 伊集院明人がゆっくりと落ちていった。

 田中は何をすべきか瞬時に察した。

 そして……田中も飛んだ。


「明人様!!!」


 田中が手を伸ばす。

 もう一人の明人。

 その手をつかむ。

 下で何かが爆発するのが見えた。

 今だ。

 元の世界に帰還する。

 帰還したら明人を太らせるのだ。

 田中はゆっくりと落下しながらクナイを握り、


 世界を斬った。

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