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伊集院明人は二度死ぬ 7

 昔、そう昔のことだ。

 私はなんとも言いがたい疑問を抱えていた。


 この世界は客観的に見て存在していると言えるだろうか?


 なぜ私は私なのか?


 全てを主観を交えず説明するのは難しい。

 デカルトが言ったように、世界とは誰かの夢なのだろうか?


 それから何十年もたって今私はその数奇な運命の導きにより、その答えに辿り着こうとしていた。

 時間と空間、世界を超えた私はついに井上に会うことになった。

 全ての始まりである彼の予言。

 その予言の真相を聞くために私は晴海……東京国際見本市会場跡に行くことになったのである。



 卵を三つ。

 冷蔵庫にあったベーコン。

 わざと油をひいたフライパンでベーコンを焼く。

 肉の焼ける香り。

 カリカリになったベーコンに油が絡まったフライパンの上に卵を落としていく。

 油で白身がカリカリになるのを確認してから、水を注ぎ蓋をする。

 じゅうという音がし、白身が蒸気の熱でさらに固まっていく。

 あちらのジェーンは半熟が好きだった。

 焼きすぎてはいけない。

 蓋を取り焼き上がった卵を三つに分けカット野菜を適当に盛りつけた皿にのせる。


「うにゃああ。あはよーさん……」


 食べ物のにおいでジェーンが起き上がる。

 床にはだらしない格好で田中も寝ている。

 嫁入り前の女の子が何してるんだと思いながら明人はオーブントースターの扉を開ける。

 パンがちょうど良く焼けている。

 それを皿に取りジェーンに差し出す。


「うーん……あさごはん? ……あい」


 子どものように目をこすりながらジェーンが皿を受け取る。

 それをテーブルに置くとこくりこくりと船をこぎ出した。

 だが食欲には勝てなかったようで、あくびをすると頭をわしゃわしゃと掻いてからジェーンは自分自身の頬を叩いた。


「うん。起きた。目玉焼きか! にしてもお前酒強いなあ! にゃははははは!」


 少ししか飲まなかっただけだ。と、反論しても仕方ない。

 明人は無言でカップを三つ出すとお茶を注いだ。


「んー? うちにお茶なんかあったっけ?」


「ないからティーパックを買ってきた」


 軽くランニングをこなしてきたついでにお茶を買ったのだ。

 体が度を超えた肥満体なのでランニングと言えるかどうかはあやしいものだった。

 それでもボディが変わっても生活習慣はそうそう変わらないものだと明人は満足した。


「んー。そうか」


 そう言うとジェーンは床に目を落とした。

 田中がヨダレを垂らしながら寝ている。

 ジェーンは田中の腹を軽く叩いて起こす。


「おーいメシだぞー」


「うーん? ワタクシ……朝は弱いって……あ、そうですわ……」


 目をこすりながら田中が起きた。


「うん? あさごはん?」


「おっさんの手作りだぞー」


「ひゃーい」


 もそもそとした動きで田中が席につく。

 ……やいなや、キュピーンッと目が光り、脂肪分50パーセントオフという表示付きのマーガリンをひったくると寝起きとは思えない速さで一気に明人のパンへ大量のマーガリンを……


「なにをする?」


 明人がマーガリンを盛られる前に皿を避けた。


「明人様。マーガリンは完全栄養食ですわ」


 田中が真顔で大嘘を言う。

 なぜか『様」までついている。


「トランス脂肪酸で血管詰まって死ぬわ! じゃあね会長だけで完全栄養食を楽しんでください」


「いえ私はジャムだけで……あ、マヨネーズは要ります?」


「会長。私をフォアグラにするつもりですよね?」


「何を言ってますの? 昔から、『腹が空いては戦ができぬ。だから今日はマヨネーズ記念日』と言いますのよ!」


「後半! 後半が嘘まみれでしょうが!!!」


「おまえらー。卵になにかける? 俺は塩だけど……」


 ジェーンが話を変えた。

 『ナイスジェーン』と明人は心の中でガッツポーズをしながらも冷静なふりをして答えた。


「しょう油ですね」


 だが会長はあきらめない。

 元気よく答える。


「明人様はしょう油とサラダ油とマヨネーズですわ!」


「会長……私をどこに導きたいんですか!」


「あはははは! ホントお前ら面白えな!」


 ジェーンは笑っていた。


「メシ食ったら晴海に行こうぜ」


 ウシシという表情。

 だが時折……寂しそうな顔をしているのを明人は知っていた。



 東京国際見本市会場跡。

 ジェーンの運転する車で三人は待ち合わせの場所に辿り着いた。

 本来ならここで選手村の建設が行われているはずだった。

 ところがこの世界ではなにもないアスファルトが広がっているだけだ。

 明人が遠くを眺めると海の方に何か小さなものが見えた。

 それは白衣を着た男だった。

 三人が近づいて行くとその白衣の男は手を挙げた。

 白衣の下はよれよれのスーツ。

 チェーン店で売っているものだ。

 そして男の顔は……


 明人はごくりとツバを飲み込んだ。

 田中も緊張をしている。

 ジェーンだけは意味がわからず普段のままだった。


「これは驚いた。夢で見たとおりだ。やはり理論は正しかったようだな!」


 伊集院明人の顔をした男が、新鮮な驚きと自分の理論の正当性の確信をしたかのような表情をした。

 いや……伊集院明人の25年後の姿をした男と言った方が正しいのだろう。


「よう美中年」


 ジェーンがそう言った。

 やはり明人たちの目の前にいるこの人物は井上らしい。


「やあメアリ君! 本名はジェーンだっけ?」


 ジェーンの事を知っている。


「井上……そうか! ……別の世界の俺なのか!」


 明人が叫んだ。

 すると井上が答えた。


「ぶぶー。君が僕のゼミにいたら留年決定だな」


 一刀両断にされる。

 明人はイラッとしたが黙って飲み込むことにした。


「違うよ。顔が似てるのは配役を埋めるためかなあ? この世界……いや僕も君も『伊集院明人のいない世界』の人間なんだ」


「『伊集院明人のいない世界』ってなんですか?」


 井上がアゴを触った。

 無精ヒゲをしゃりしゃりとさする。


「そうだな……まずは結論から言おうかな。『世界とは誰かの夢』だ」


「デカルトですか?」


「まあ……昔からいろんな人が言ってることだ。簡単に言うとだな。世界はありとあらゆる可能性が血管のように分かれたものだ。その中に大きな流れ。大きい血管みたいなものだ。大動脈とか。それがこの世界『伊集院明人のいない世界』だ。そして君はもう一つの大きな血管からやってきた」


「俺たちの世界はフィクションじゃないのか! あんたは『世界とは誰かの夢』と言ったはずです」


「俺たちの……いや、いいだろう。フィクションをどう定義するかによる。それに創作物も……一部のクリエイターは他の世界の夢を見て作品を作っている。まあ夢が先か現実が先かを断定する手段はないけどね」


 明人はそれには覚えがあった。


「ビジョンか……」


「ああそうだ。伊集院明人。クリエイターのごく一部は異世界で起きたことを作品にしてるんだ! そして俺は君のビジョンを見た。そして俺は確信した! 俺の出した結論を君に伝えるのが俺の役目なのだとね!!!」


 すると井上はUSBメモリを胸のポケットから取り出し、ジェーンへ放り投げ言った。


「君が中身を覚えるんだ。それによってもう一人の君。異世界のジェーンに影響が出るはずだ!」


 ジェーンはUSBメモリをポケットに入れると不機嫌な声で言った。


「おい……まさか露骨に避けていたのは……? 俺の事知ってやがんだな!」


「いっやさー。どうやらこの世界の大きな流れでは俺とアンタは結婚する運命らしいんだわー。でもさー、科学者的には最初から決められてる事ってとりあえず反抗してみたくなるじゃん。逆らったらどうなっかなー? って。結局大きな変化はなかったけどね」


「にゃにゃにおー!!!」


 ジェーンがパニックに陥る。

 それを無視して井上が明人へ言った。


「さて……君への本題だ。大宮に行け。この世界では今夜あの事件が起こる。君が止めろ」


 やはりこの世界で放火事件が起こるのだ。

 だが……それを止める意味はあるのだろうか?

 ここは元の世界でも伊集院明人の世界でもないのだ。


「君はなんらかの原因で二つの世界の狭間にいる。その君の介入によって塗り替えられた事象は大きな事象……つまり大動脈の流れになる……ああ、これはビジョンで見たことからの推論だがね。つまりこの世界で君が成した事は他の世界に影響する」


「じゃあ世界の崩壊とは?」


「……世界を壊すことを望んでいるヤツらがいる。火事にも関係あるはずだ。お前が止めろ」


 井上がそう言うと時計のアラームが鳴り響いた。


「うむ……時間だな。どうやら俺は総武線を止めなくてすみそうだな」


 井上が手を挙げた。

 その瞬間、明人は粘り着くような悪意、殺気を感じた。


 そして世界が二重になるのを感じた。

 ビジョンだ。

 次の瞬間、井上の胸から血が噴き出した。

 いや二重になった世界の片方だけだ。

 まだ間に合うはずだ。


 いや間に合わせる!


 明人は井上に飛びかかった。

 井上の驚いたといった顔が見えた。

 次の瞬間、体勢の崩れた井上の肩から血が噴き出した。


 弾丸が逸れた。


 明人はそのまま井上と一緒に倒れ込んだ。

 アスファルトに飛び込んだ明人の体が悲鳴を上げた。


「明人様!」


 田中もジェーンに飛びかかり伏せていた。

 明人はそれを見て安心する。

 明人は体中から聞こえる悲鳴を無視して、這いながら井上を引きずって移動した。

 芋虫のように足掻く明人。

 これじゃ狙撃者の格好の餌食だと思ったが不思議な事に追撃はなかった。

 明人は田中たちに言った。


「大丈夫だ! 肩を抉られただけだ!」


「いや思ったより何倍も痛い。イテテテテテ! 切れてる! 肉切れてる!!! うっわ血が出てる!!!」


 井上が悲鳴を上げた。


「くっそ! 井上のおっさん! なんでこんな!」


 ジェーンはそう言いながら震えていた。

 明人は理解した。

 別の世界の井上……彼は総武線に飛び込んだのだ。

 それを井上は知っていたのだ。

 だから他人への被害が少ないところを最期の地として選んだのだろう。

 明人は弾丸が飛んできた方向を睨んだ。

 すでにあの粘り着く殺気は消えていた。


 明人はその瞬間、自身の心の中で何かが爆発するのを感じた。

 ふざけるな!

 人をここまで追い詰めやがって!

 なにが運命だ!


「あー格好つかねえな! せっかく身の回りを整理したのへぶッ」


「このおバカ!!!」


 ジェーンが起き上ってふざけた事を言った井上の顔に蹴りを入れた。

 井上は一瞬呆気に取られたが「ごめん」と小さく言って笑った。


「井上さん」


「ああ、なんだ……ああクッソ! 痛てえ! まさか俺の運命まで書き換えるとはな!」


 痛がる井上を明人が見ていた。


「火事は俺が止める」


「ああ。楽しみにしてる」


 明人は真剣な顔でそう言いながら手を差し出し、井上は痛みで震える手でそれを握った。


 これは悪役の物語。

 世界を救う悪役の話。

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