伊集院明人は二度死ぬ 5
頭がクリアになると伊集院明人は焦った。
自分の姿のことではない。
一緒にいた田中の行方のことだ。
探さなければ!
……いや。
全てが長い夢だとしたら?
全て妄想だとしたら??
明人は途端に恐ろしくなった。
自分という存在の全てが否定されてしまったかのようだった。
いやそれは違う。
なにも起こらなかったとすればそれでいいのだ。
誰も傷つかないのだ。
「あはは。バカだな俺は……」
明人はやれやれとベッドから立ち上がった。
少し涙目だったのは未練だろうか。
だが、ここで予想外のことが起こった。
立ち上がった途端、何かに蹴つまずいたのだ。
「痛ッ! 何しますの?」
しかもその何かから声がしたのである。
不審に思って明人が床を凝視するとタオルケットにくるまれた何かがあった。
それがもぞもぞと動く。
「もー! いつもいつも、起こさないでって言ってますわよね?」
そう言うと、タオルケットの中のものが、がばっと起こした。
それは気位の高そうな顔をした制服を着た少女だった。
よかった。
明人はほっとした。
やはり長い夢を見ていたわけではなかった。
田中もこの世界に来ていたのだ。
田中が頭をポリポリとかいた。
「うーん……私は朝弱いって……あれ?」
明人と田中の目が合った。
寝ぼけまなこの田中の目が突然丸くなった。
驚いたのだろう。
明人は困った。
なんと言えばいいのだろうか?
自分が何者なのか?
どう証明すればいいのか?
途方に暮れてしまったのだ。
田中が目を丸くしたままつぶやいた。
「……ジェーンが後ろでカメラで撮ってますわ。BGMはポールモーリアで」
明人は慌てて後ろを振り向いた。
ジェーンがそこにいないのはわかっていた。
だが本能に刻み込まれた恐怖のようなものが体を動かしたのだ。
「……どうやら中身は伊集院明人のようですわね。それにしても」
田中が立ち上がり明人の……中の人の腹をたぷたぷとさわった。
「……それにしても……この感触」
たぷたぷたぷたぷたぷ。
「……なにこれ凄い」
たぷたぷたぷたぷたぷ。
「それセクハラですから」
たぷたぷたぷたぷたぷ。
「二の腕も凄い」
たぷたぷたぷたぷたぷ。
田中たちの世界では醜男が極端に少ない。
「体重はいかほどで?」
「94キロ……くらいかと……」
「ほう……これが94キロ……実に……良い感触……」
たぷたぷたぷたぷたぷ。
もちろん重量オーバーの人間も極端に少ない。
田中には初めての経験だったのだ。
相撲ファイターにもなれない肥満体を目にしたのが……。
そして田中の中で今まさに扉が開きかけていたのだ。
田中はたぐいまれな素質を持っていた。
美醜を超える淑女の才能を。
明人は本能的に身の危機を感じ、たぷたぷを止めさせることにした。
「何度も言いますがそれセクハラですからね。いい加減訴えますよ」
「えー……」
田中は悲しそうな顔をしながら名残惜しそうに明人の腹を解放する。
なぜか明人がいじめたかのようになっている。
明人の腹を解放すると田中が必死に何かを考えていた。
そしてぽつりと言った。
「伊集院明人……帰ったら20キロ……いえ40キロほど太りませんか?」
目が本気だ!
「イヤです!!! だいたい40キロって今の体重より重いですよ! 相撲取りにでもなれと!」
伊集院明人は細いが筋肉質のため体重は意外に重い。
そこまで体重を増やしたらお相撲さんのできあがりである。
「ええ相撲取りでもなんでも目指しましょう。でも……緩んだたぷたぷも……イイ!」
田中が目をキラキラさせていた。
田中が何か恐ろしいものに目覚めようとしている!
明人は焦った。
このままでは田中が渡ってはいけないルビコン川的なものを渡ってしまう!
「あ、あの! この世界に何か手がかりがあるかもしれません! ちょ、調査しましょう!」
明人の顔が引きつっていた。
ムリヤリにでも話題を変えねば!
明人は全力で話題を変えようとしていたのだ。
「えー……じゃあ、次は抱っこしてくださいな……」
なぜか頬を紅色に染めて田中が言った。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドド。
なぜか明人の頭の中で漫画的な効果音が鳴った。
元の世界に戻ってきた衝撃よりもはるかに危険なモノを感じていたのだ。
主に貞操的な意味で。
◇
コンピューターを起動しブラウザで何かを検索している明人へ田中が声をかけた。
「で? 何か策でもありますの?」
「いえね……ここが平行世界だとして、私が伊集院明人の平行世界での同一キャラだと仮定します」
「仮定ばかりですわね」
「科学者でない私がなにを言っても仮定の域を出ません」
まずい!
皮肉っぽい言い方だった。
明人は言ってから反省した。
こういう言い方をしたから、前の自分は孤独だったのだ。
「すいませんでした」
「?」
田中はキョトンとしていた。
目の前の相手が悪意を向けるなんて思ってもいなかったのだろう。
何に対して謝罪したかもわからなかったのだ。
「いえ。言い方が悪かったもので。まず重要なのはここがいつか? 新聞のサイトもネットニュースにも大宮の火事の記録がありません。火事は私の死の直後、そして私は生きています。おそらく……私の最後の記憶よりも前だと考えられるでしょう」
「火事の阻止が目的と言うことですか?」
「いえそれには問題が……確認ですが、会長は帰るための手段を知っておられますか?」
「いいえ? あなたを助けるために使った能力でも無理……詳しくはあとで説明致しますわ」
「そうですか。いえね。火事を阻止するとしても記憶がないんです。私の頭の中に火事の記憶が無いんですよ」
「……なるほど。ところで伊集院明人。ここでは『私』なんですか? 『俺』じゃなくて」
田中は少し戸惑っているようだった。
「いえね。ここではいい年なもので……で、問題があるんです。ここが本当に火事が起こる世界なのか? ……ということですね」
明人は脈絡もなくクスリと笑った。
思えばいい年の男と女子高生が同じ空間にいるということ自体がファンタジーだ。
そう思うと自虐の笑いがこぼれてしまったのだ。
そんな明人の自虐を気にもとめないで田中は真剣に答えた。
「まずはそこからというわけですね。何をお笑いになってるんですか」
「いえすいません。……そこから何をすべきかが見えてくるんじゃないかなと思います」
「……なるほど。可能性は否定できませんね」
「でね。そこで考えたんですよ。この世界にも藤巻やジェーンが……同じ存在がいるんじゃないかって」
「……?」
「ええ。もちろん存在しないかもしれません。仮にいたとしてもこの世界では赤の他人です。ですが力を貸してもらえるんじゃないかと」
「それは難しくありませんか」
「いえ。難しくないでしょう。例えば藤巻さん。彼の秘密は?」
「……ロリコン?」
「それで脅迫します」
明人はさも当然と言わんばかりにさらりと言った。
まさに外道である。
明人はここでは手段は気にしないつもりだった。
記憶が確かならば、日付を見る限りでは自分の寿命はあと数日。
あと数日で心臓発作で死ぬのである。
もちろんそのことは田中には言わない。
恥ずかしいというものあるのだが、余計な心配はかけたくなかったからだ。
「ですけど、最初はジェーンがいいんじゃないかと思ってます」
「なぜ?」
「ここが事件解決がない世界だとすると、私たちしか知らない秘密を握ってますから」
「ダン・ジョンソン!」
「ええ。完全に同一人物じゃないでしょうが、揺さぶってみればいいかと」
「でもどうやって連絡を? 違う存在なら探し出すだけで手間がかかるんじゃ……?」
「いえね。彼女の電話番号を知ってるんですよ。元の世界の。携帯もネット電話もね。かけてみる価値はあると思いませんか?」
◇
浜松町。
某国立大学の産学協同センターがそこにはあった。
「まさかこの世界のジェーンに会えるとは思いませんでしたわ」
「ええ。こんなにうまくいくとは思いませんでした……」
あれからすぐに明人たちは前の世界のジェーンの番号に電話をかけた。
念のために一応非通知設定にしておく。
数回のコールで回線は繋がった。
「……誰?」
それは不機嫌な女性の声だった。
「あのすいません。ジェーン・ジョンソンさんでしょうか?」
明人はジェーンではなさそうだと思ったが、一応打ち合わせ通りに行くことにした。
「……どこの回し者だ?」
「いえ……どこのって……」
「俺の本名を知ってるのはごく一部だけだ……言え! お前らは誰だ? 10秒以内に言わなければ逆探知する」
まずい!
ここでもジェーンは同じ運命を背負っている!
しかも中身が同じだ!
こっちのジェーンもハッカーに違いない!
明人は慌てて回線を切断した。
「どうしましたの?」
「いえ。やはりこちらのジェーンでした……それに彼女もハッカーです……」
とため息をつきながら言った次の瞬間、携帯がけたたましく着信を知らせた。
相手の表示はSADAK●。
ハッキングされた!
明人は震える手で電話に出た。
「ゲハハハハ! この俺から逃げられるとでも思ってやがんのか! GPS座標ががわからなくても基地局からてめえらの居所は特定したかんな! 今から追い込みかけてやるからな! それがイヤだったらてめえらの正体を言いやがれ!!!」
同じ芸風。
それが明人に懐かしく感じられた。
だからこそ『正直に言おう』と、そう思ったのだ。
ただし……
「わかりました。直接会って話をして頂きたいと思ってます。こちらは二人。信じて貰えないかもしれませんが、普通の民間人で片方は女子高生です。もちろんそちらは護衛でもなんでもつけてくださっても結構ですし、場所も時間もお任せ致します。もちろん金銭的な要求も脅迫もでもありません。あくまで可能な限りでお力をお貸して頂きたいと思っているのです。それに、あなたならすでに電話から私の素性を洗い出しているでしょう。それを見て頂ければ私のバックになんの組織もいないことがわかるでしょう」
当初は脅すつもりだったので、半分は嘘であるが、どうやら相手は元の世界のジェーンと同じくたちが悪い人物だ。
どこまでも下出に出るべきだろうと明人は判断をした。
「お、おう……なんだか素直だな……わかった。まあなんの義理もねえけど、普通のオッサンが私の秘密に辿り着いたからくりを聞きたいしな。……人と喋るの久しぶりだし……いやなんでもない。大学のセンターに来てくれ。そこなら警備員もいるし安全だ。9時まで開いてるしな」
そうして明人たちはそのまま京浜東北線で浜松町に降り立った。
この世界のジェーンの協力を得られれば力強い。
二人は受付で入館証を貰いエレベーターで七階へ上がる。
話は通っているようですべての手続きがスムーズに進んだ。
薄暗い廊下を抜け明かりのついている部屋が見えてきた。
部屋番号を確認すると指定された部屋であった。
「よう。入んなよ」
ぶっきらぼうな声が聞こえた。
元の世界のジェーンがそのまま大人になったような声だった。
「ようこそ! 我が城へ!……っておっさんと女子高生? おいおい。犯罪者かよ」
酷く無礼な事を言った人物の容姿。
それはジェーンを知っている二人には衝撃的なものだった。
年は20代半ばから30代前半。
真っ赤に染めた髪を立てて、両耳と鼻、目尻にはピアス。
首には蛇のタトゥーが刻まれている。
黒い唇。ゴシック……いや、それはやりすぎたパンクファッションのようだった。
よく見ると両の全ての指の付け根にも髑髏のタトゥーがあった。
「俺がジェーン・ジョンソンだ。ここではメアリ・スミス。オーストラリア出身って事になってる。法情報学と応用数理の講師やりながらここで会社やってる」
「俺は……」
「オッサンの名前はXX。経歴は……言わねえでやるよ。惨めすぎてよー。武士の情けってヤツなー。そこのお嬢さんはわからんけど……嫁? な、わけねえな」
なぜか明人には名前の部分だけがノイズが入ったかのように頭に入らなかった。
明人はため息をついた。
相手に勝ったと思った瞬間に調子乗ってなめてかかる。
ジェーンの悪い癖だ。
明人と出会ってからはその癖はなりを潜めたが、どうやらこちらのジェーンは癖を直さないで大人になったらしい。
もっともそうでなくては会って貰えなかっただろうが。
それにしても……
ジェーンは意外にヘタレだ。
痛いのは嫌いなはずだ。
それがタトゥーを入れた。
おそらく……好きな男ができて、その男がそういうファッションの男だったのだろう。
それで、真似してみたら男がどん引き、振られて気づいたらもう後戻りできなかったということだろう。
手に取るようにわかる。
向こうのジェーンがそんなそぶりを見せたら殴ってでも止めよう。
明人は心に誓った。
すると突然、世界が二重になる。
ビジョン!
と、明人が思った次の瞬間には二重の世界は消え、ジェーンに変化が起こった。
そばかすと野暮ったい眼鏡、地味な服装、栗色の髪の毛を三つ編みにした女性に変化したのだ。
「え? え? え?」
「え? 何が起こってますの! 向こうのジェーンは殴ってでもこうならないようにしようと思ったら突然……」
二人は顔を見合わせた。
「なんだよ! 人の顔見て騒ぎやがって! ケンカ売ってんのか!!!」
何が起こっているのかわからないジェーンだけが不機嫌になって怒鳴った。




