伊集院明人は二度死ぬ 1
「ちょっと待て……それはおかしい!」
薄暗い室内で男が叫んだ。
駅前の住宅街。
駅から数分の立地の良い場所にかつての団地があった。
遺棄された建物がそのままの姿で残り、周囲は柵に覆われ、電気が通っていないため薄暗く、どことなく不気味な印象であった。
ほとんど管理はされず、烏の巣になっているその団地。
ところどころコンクリートが割れた通路。
吸い込まれそうに感じる闇に覆われた階段。
塗装が剥がれそこから赤く錆びたドア。
90年代初頭から忘れ去られた室内。
ネットも水道も電気も来ていないその部屋は、湿気を吸った中空の石膏ボードの壁が自然と崩れ落ちコンクリートが剥き出しになっていた。
ガラスが割れ、応急処置としてベニアが張られた窓。
カビとホコリの臭いがする室内には動物の毛が散乱していた。
その薄暗い室内に男女が集まっていた。
彼らは見た目には集団としての特徴はない。
年齢も性別も人種もバラバラ。
ソファや椅子に座るもの。
立っているもの。
男の一人が持ち込んだランタンがパラフィンオイルを燃やしながら室内を明るく照らしていた。
全員がまとまりもなく自由にしている。
事情を知らない人間が見ればまるで廃墟探検に来た若者たちのようだった。
だが彼らには目的があった。
彼らが唯一しなくてはならないこと、つまりこの集まりのルールは単純だった。
それは話し合い。この世界と自分たちの未来について話し合うことだけだった。
ランタンの静かに揺らめく炎を見て冷静になったのだろうか、先ほど声を上げた男が声のトーンを落として言った。
「前田。お前はまだ一週目だって言ってたな。なぜお前はループしていない?」
前田と呼ばれた男。
その男は明らかに外国人の男だった。
とても前田という名前ではなさそうな顔である。
彼はこの世界ではライアンと呼ばれていた。
ライアンはためらいがちに答えた。
「死んだ時期だろう。それしか思い浮かばない」
ライアンはそう言うと顔を下に背けた。
誰にもわかるはずがない。
自分たちに起こったこの理不尽な現象を論理的に説明できるものなど、どこにもいないのだ。
「問題はどうやって抜け出すか。でしょう?」
少女の声が響いた。
幼さを残す高い声。
先ほどの男の声より比較的冷静な声だった。
それを聞いた男が怒鳴った。
「ああそうだ! だがお前はいいよな! この世界にとどまるんだろ!」
「ええ、そうですね。私はこの世界に骨を埋めるつもりです。家族も恋人もいますので」
男はそれを聞いて面白くなさそうに舌打ちをした。
「クソが! 気持ち悪いんだよ!」
「でしょうね……ですが、私はすでに斉藤みかんに飲み込まれています。前世の記憶はオマケにしかすぎません」
「ああそうかよ! 悪かったな!!! でよ、前田ァッ! お前はこの世界の何を知ってやがるんだ? ああ?」
ライアンは抑制した声でそれに答えた。
「俺は……この世界では軍事の専門家だ。だから言うが……お前らはおかしいと思わなかったのか? たとえ100年間の蓄積があろうとも、たかだか犯罪組織が核を手に入れて米露の間に戦争を起こす。そんなことが可能だと思っているのか?」
「どういう意味だ?」
「赤坂プレスセンター襲撃の資金源はどこだ?」
「それはロシア連邦からの独立派に……」
「どうやってコネクションを築いた? それも今回の週のたった三ヶ月で」
「そ、それは中国のエージェントが……」
「向こうから連絡してきたんだろ?」
男の顔が蒼白になった。
かまわずライアンは続けた。
「CIAの調査ではお前らのバックはクイーンテックと判明している」
「……クイーンテック? いやちょっと待て! 俺はそんなこと聞いていない」
その時、男の声が響いた。
「お前らホントバカだよな」
それは老けた声だった。だが、妙に軽い。
年齢を重ねた人間の人格の重厚さなど微塵も感じさせない声だった。
同時にスチール製のドアが軋む音がし、何か四角いものが室内に入ってきた。
それは車輪のついた椅子。
車椅子だった。
車椅子には教頭。
病院に幽閉されているはずの後藤が乗っていた。
後藤の車椅子を押しているのは温厚そうな顔の少年。
飯塚だった。
「お目出度いお前らのことだ。自分たちが特別だとでも思ってたんだろ? だから旧開発陣の手のひらで踊らされるんだよ」
「後藤……てめえ! だいたい旧開発陣ってなんだよ!」
「だからよお。この世界にいるんだよ。俺たちを置いて逃げやがったクソどもが!」
「後藤の言うとおり。クイーンテックの会長は……このゲームの旧開発陣の一人だ」
「おい……じゃあなんだよ……俺たちの今まで努力はなんだったんだよ」
「はあ? 無駄に決まってるだろバーカ! ぎゃはははは!」
楽しそうな後藤。
まさにクズ。
クズである事をエンジョイするのが後藤スタイルである。
そんな中、後藤の笑い声を無視して斉藤みかんが持ってきた水筒の蓋を開けた。
そしてカップを兼ねている蓋に暖かい紅茶を注いだ。
あたりに紅茶の香ばしい香りが漂う。
「あ、俺にもお茶くれよ」
そう上機嫌に後藤が言った瞬間、みかんは問答無用で勢いよく後藤の頭にお茶をかけた。
「ぎゃっ! 熱ッ! て、てめえ何しやがる!」
「後藤。お前少し黙ってろ」
少女が吐き捨てた言葉から有無を言わせぬ迫力とプレッシャーが押し寄せ、後藤は空気を読んで黙ることにした。
豹変した斉藤みかんにを見た飯塚の顔が青くなった。
「あ、あの……みかんさん」
「なあに亮ちゃん?」
いつもと同じ笑顔だった。
それが怖い。
「い、いえ……なんでもありません」
「変なの♪ うふふ」
みかん以外の全員が貝のように押し黙る。
「もうみんなやだなあ。ちょっと後藤くんに『めっ』しただけじゃないですか」
『めっ』ってレベルじゃねえ。
みかん以外のその場にいた全員の心が一つになった。
「とにかく……私たちも諜報機関でアルバイトすることになったし、みんなにも手伝って欲しいなあって思ってるの。もちろん私たちの問題に関係のある事ですよ」
「俺たちは……なにをすればいい?」
男が引きつりながらも質問をした。
その質問に斉藤みかんはすぐに答えた。
「とりあえずは科学実験の護衛かな。もしかすると何か手がかりがつかめるかもしれません」
みかんは笑顔を崩さなかった。
もちろんその場にその笑顔を不機嫌にさせような猛者など存在しなかった。
◇
旧藤巻板金ビル。
今では明人たちのアジトになっている建物に文科省のエージェントである姫神がマイクロバスで迎えにやってきた。
「さあ皆さん! 楽しい社会科見学ですよ!」
一人テンションが高い姫神と対照的に明人もジェーンも山田もレイラも再起不能状態で真っ白くなっていた。
結局、レイラが切腹することはなかった。
ユーリが優しく「つい調子に乗ってしまったようだ。すまない」と詫びて終わりである。
ダンの方も「強敵と拳で友情を確かめ合っただけさ」と適当なことを言い、結局は四方丸く収まった。
……被害者の心以外は。
今まで数多くの悪党と戦いを繰り広げてきた明人たちは、ぽっきりと折れてしまっていたのだ。心が。
テンションの低い明人たちをよそにマイクロバスの後ろから政府専用車両が何台も群れを成していた。
世界最高クラスのVIP二人の護衛である。
そして日本の首相も実験の視察に来ていた。
世間では何かの会議が行われるに違いないとまで噂されていた。
だが実際はもっと事は深刻であった。
研究が進むにつれ井上論文の正しさが証明されてきた。
予言に関しても彼が何かを観測したのではないかと研究者までが言い出した。
その中でダンジョンソンは世界の破滅は来ると信じていた。
キリスト教的な意味ではなくもっと具体的な破滅が来ると信じていた。
回避せねばならない。
ジェーンに未来を残すために。
そのためにも手段を選ぶ余裕などなかった。
金も人材も使い倒す。
たとえそれが娘のボーイフレンドだとしてもだ。
ダンは決意を固めていた。
そして伊集院明人はこの実験により世界の真実に一歩近づくことになる。




