明人のトラウマ
ここのところ明人は徒歩通学であった。
必要以上に目立つのでやめて欲しいと頼むとあっさりと了承が得られた。
それどころか今まで勝手に抜け出していた放課後も自由に使っていいと言われていた。
旧華族という幻想を理想とごっちゃにした父親とピントのずれた過保護に走る母親。
明人は転生前の記憶が蘇る前の悪行の数々が原因で全く信用されていない。
それが両親の態度が一変したのである。
どうやらライアンとジェーンがアメリカの偉い人経由で何かをしたようだが、絶対に聞きたくないと明人は思った。
恐ろしいからだ。
「実は息子さんはアメリカ大統領の娘さんと懇意にしていまして……」とかの恐ろしく面倒くさい方法で説得したに違いない。
あわよくば留学名目でCIAの専属にとかのほとんど人身売買のような取引も行われているのだろうが、内容さえ知らなければ「俺は聞いてない。ふざけんな死ね」ですむはずだ。
最悪の場合、ジェーンさえ本気にならなければ物理的に逃げるきることができるはずだ。
明人がそんな事を考えながら校門に辿り着くと、三島が待っていた。
おいおい風邪ひいてるんだろ? もしかしてやはり何か起こっているのか? と、本気で心配した明人がオロオロとしながら声をかけた。
「三島。もう大丈夫なのか?」
「うん。ここのところなんだか頭が痛くてさ……でも大丈夫」
声が暗い。
やはり何かあるようだ。
「あのさ伊集院」
「なんだ?」
「運命って信じてる?」
もちろん明人は信じていない。
明人の目的は運命を壊すことにあるし、明人は己自身の存在すら疑ってかかっているタイプの人間だ。
もちろん、それ自体が運命の存在を前提にする背理だという事にも気づいている。
だが気にくわないのだ。理不尽というものが。
努力に関係のない運命などというものが。
ゆえに明人はなんと答えていいかわからなかった。
「ううん。なんでもない」
三島の顔は真っ赤だった。
どういうことだろうか?
「今ね……毎晩変な夢を見るんだ……」
「変な?」
三島はさらに顔を真っ赤にさせる。
完全にテンパっているようだ。
「いやあのね……うがーッ! ううん! いいんだ! 伊集院! これお弁当!!!」
そう早口で言うと三島は明人に弁当を押しつけた。
「なんだよ……」
明人は首をひねった。
一方、三島は完全にテンパっていた。
伊集院に変な子だって思われる!
三島は顔を真っ赤にしながら焦っていた。
このところよく見る変な夢。
今よりもワイルドな伊集院。
それが強引に……
それは壁ドンとかそういうのを全て飛ばしたハードコアな夢だった。
その夢のせいで全く眠れないのだ!
うぎゃああああああああああッ!
何を考えてるんだ!
アホか私は!
三島は……自分が現実の対象であんなことを考えているというのがどうしようもなく恥ずかしかったのだ。
漫画の読み過ぎだ……どうしよう。
こんなのがバレたら伊集院に嫌われる……
三島は本気で悩んでいた。
いや、今の伊集院明人はジェーンや山田のようなとんでもない変人も受け入れているだろ。
という冷静なツッコミは今の彼女には届かない。
免疫のない三島は自分がなんだか汚いもののように思えるほど追い込まれていたのだ。
◇
「ということで一週間後に授業参観がある。プリントなくしたアホはすぐに私に言うこと」
内藤がホームルームでそう言った。
それにジェーンが手をあげる。
「ん? なんだジェーン?」
「先生……うちのバカ親父が来るって言い張ってるんですが……」
内藤は引きつった。
担任の内藤にはジェーンの父親はアメリカ大統領であるということが具体的に知らされていたのだ。
「お父さんにはよく言っておいてくれ……」
「はい!」
「せんせー!」
今度は山田が手をあげる。
「お前もか……」
「はい! 誰が来るかで揉めて殺し合いに発展しそうです!」
返事だけはとてもいいが内容は壮絶である。
「お前らぁ……ハアッ……とりあえず酒井さんに相談しとく」
「はい!」
内藤が下を向くと藤巻と目が合った。
「……藤巻ぃッ!」
噛みつかんばかりの表情で威嚇する。
「誰も来ないッス」
「よしッ! いいぞ!」
誰も来ないのがいい。
何かが間違っている。
だが内藤は真剣そのものである。
そして最後に机に突っ伏している金髪に声をかけた。
「おい。伊集院……」
「母親が来ます……最近の警察に逮捕されないという素行の良さなどを内藤先生と話し合いたいそうです……」
なぜか机に突っ伏したままで死にそうな声だった。
「えっと大丈夫か」
「……死にたいです」
明人がそう言うとジェーンが反応した。
「明人のママ! ねえねえアキトのママって女優さんなんでしょ? すっげー美人に違いないよね!」
「料理研究家だ」
声が暗い。
しかも説明がぞんざいである。
「先生……その日おなか痛くなるんで休んでいいですか?」
「……なめてんのかテメエ」
内藤はどこまでも非情だった。
◇
「えー。緊急首脳会談のために来日したダン・ジョンソン大統領が……同日、ロシアのユーリ大統領も……和平交渉の行方は……」
テレビのニュースが日米露の緊急首脳会談のニュースを報じていた。
あれから一週間後。
明人にとっての地獄の一日が始まった。
朝から机に突っ伏している。
「ねえねえ。アキト。アキトのママはいつ来るの?」
アキトは耳を押さえる。
聞こえないと言いたいらしい。
「ねえねえ。なんでそんなに言いたくないのぉ? だいたいさあ、なんでCIAの力を使ってもわからないのよー!」
明人はあくまで黙秘する。
絶対に言えるか!!! と言わんばかりである。
父兄が来る時間が来ると駐車場に車の列ができていて、それを男子生徒たちが眺めていた。
「うっわ! マジで大統領来たぞ!!!」
何台もの公用車が学校に入ってきた。
『娘に会いたい』とアメリカ大統領がごね、『弟子に会いたいと』ロシア大統領がごねたのだ。
男子生徒が派手な隊列に目を奪われていた。
そんな中、駐車場を見ていた生徒が声を上げる。
「すげえスポーツカー! なにあのドピンクのランボルギーニ!」
その声を聞いて明人がビクッと動いた。
「アキトのママ?」
アキトは答えない。
貝のように口を閉じていた。
どたどたどたという音が廊下から聞こえてきた。
「やっほー! あっくんママですよー♪」
伊集院スヴェトラーナ40歳。
明人の母親である。
東スラヴ系。
職業、料理研究家。
伊集院明人のトラウマ。
小学校時代の壮絶なイジメの原因となった女である。
その女性は恐ろしく可憐だった。
その背は低く、声は高かった。
線が細く華奢、それは触れたら壊れそうなほどだった。
一言で表すならロリだった。
「え? キャシーちゃん!!!」
藤巻が声を上げた。
朝の子ども向け番組。その伝説のアイドルが目の前にいたのだ。
キャシーちゃん12歳こと、伊集院スヴェトラーナ40歳がそこにいたのだ。
「よっしゃあああああああッ! ヒャッハー!!!! 私の時代来たアアアアアァァァッ!!!」
同時に血走った目でジェーンが叫んだ。
男はみんなマザコン。
ネットのどこかで見た。
これはチャンスだ。
背が伸びないとか毛が生えないとかで悩んでいた時代は終わったのだ。
これは落ちる。いや落とす! 堕としてくれる!
現在一番有利なのは自分だ。
「ふ、ふはは! ふはははははは! 勝った! 完全に勝った……」
ジェーンは笑いが止まらない。
だがアキトの反応は予想外のものだった。
「なんで誰も気づかないんだよ……」
涙声である。
「15年も同じ番組に出てるのになんで誰も年齢を気にしないんだよ!!! なあコラァ!」
それはマジ泣きであった。
記憶を取り戻す前の子どもの頃から疑問に思っていた。
明らかにおかしい。
なんで同じ番組に出続けているのに年齢がおかしいというツッコミを誰も入れなのだろう。
「あ、あのアキトさん……?」
ジェーンが冷や汗を流した。
「もういやじゃああああ! こんな生活もう嫌じゃあああああッ!」
アキトは男泣きをした。




