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姫神

 これはある悪役の物語である。

 そこは悪役が二年前の埼玉の機動隊による暴動を阻止しなかった世界。

 そして大国どうしの戦争が起きなかった代わりに大統領とその娘が死んだ世界。 

 異世界の英雄も、正義の拳を持つ悪役もいない世界。

 悪役の仕事は女を誘拐すること。

 ある日、悪役はいつものように女を攫った。

 悪役はいつものように攫った女をいたぶった。

 だが女の反応はいつもの女どもとは違った。


「あなたはどうして泣きそうな顔をしているの?」


 悪役の酷い行いによって息も絶え絶えの様子にも関わらず女はそう言った。

 それは『家に帰して』でも、『殺さないで』でもなく、自分を気遣う言葉だった。

 悪役はその瞬間、二年前の機動隊による暴動で死んだ母親を思い出した。

 悪役はもう自分を心配する人間など世界のどこにもいないと思っていたのだ。

 だが……

 悪役は女の胸で泣いた。

 女はそれを優しく抱き留めた。

 

 悪役は心に誓った。女を助けることを。

 そして機会を窺った。

 するとある男……主人公がヒロインを取り返そうとしていることを知った。

 悪役はこの機会を逃さなかった。

 ありとあらゆる手を使い主人公を裏で助けたのだ。

 誘導し、助言し、あるときは命を救った。


 早く自分に辿り着け。

 そして俺を殺せ。


 それだけが女を救う手段だと悪役は確信していた。

 悪役は女には酷い態度をとり続けた。

 暴力こそ振るわなかったが無視し続けた。

 悪役は理解していたのである。

 いくら二年前の暴動で県警が崩壊した埼玉であっても人身売買など長く続けられるはずがない。

 自分が破滅するのは時間の問題だろう。

 これ以上誰かの心に残ってはならない。

 ただ消え去るのだ。


 悪役は奔走した。

 それとなく警察に痕跡とも言うべきデータを送る。

 だがこの世界の悪い警察官僚はすでにいない。

 大統領と神の眼を持つハッカーもすでにいない。

 警察の女王もいない。

 鉄の馬を乗りこなす男もすでにいない。

 隠密と人斬りも使い物にならない状態に追い込まれていた。

 誰も真相に辿り着くことはなく悪役の思惑は外れた。

 だが悪役はあきらめなかった。

 あるときは高校の担任を通して主人公に情報を送り、あるときは妨害や警告をしたかのように見せかけて情報を与えた。

 高校の担任が教頭に殺害された後でも悪役はあきらめなかった。

 ありとあらゆる手で主人公や警察を誘導していった。

 自分を無能な小悪党に見せ、警戒されないように気をつけながら。


 数々の屍を乗り越えた先に主人公は真相のすぐ近くまで辿り着いた。

 混乱する組織。

 そして警察の手が迫った時、組織は悪役たちを切り捨てることを決めた。

 だがそれも悪役の狙い通りだった。

 ついに悪役は混乱の中、女を逃がすことに成功した。

 女の死を偽装し、新しい身分を与え、自分たちの手が及んでいない外国に逃がしたのだ。


 そして審判の日が来た。

 金髪で中途半端な長髪。

 紫色のスーツ。

 趣味の悪いサイケデリックなペイズリー柄に黄色のシャツ。

 胸元に見える金のネックレス。

 ワニ皮の靴。

 あまりにもわざとらしいその格好。

 ホストにしてはやり過ぎだと悪役は思った。

 いきなりその男がナイフを悪役の腹に突き立てた。

 そのまま刺さった刃を上に持ち上げる。

 刃は悪役の体重で更に悪役の体の奥へと入ってきた。

 男が刃をえぐりながら回し、傷口を広げる。

 悪役は急激に血液が失われていくのを感じた。


 自分は死ぬのだな。

 悪役は納得した。

 これでいい。

 全ての痕跡は消した。

 女を逃がしたことを知っているのは自分だけだ。

 これで拷問されて無理矢理口を割らされることはなくなった。

 ああ良かった。

 これで彼女の安全は担保された。

 ああ、なんて素晴らしい日なのだろう。


「伊集院明人を捕まえました。あと数分って所でしょう。ええこれから病院に運んで処理します」


 男の声が聞こえた。

 電話でもしているのだろう。

 悪役は誇らしい気持ちでいっぱいだった。

 ざまあみやがれ。

 俺はお前らを出し抜いた。

 俺はお前らに勝ったんだ!


 悪役の耳に烏の鳴き声が聞こえた。

 それを聞いてまるで自分を迎えに来たようだなと思った。

 悪役がまだ小さい頃、母親に聞いたおとぎ話。

 三本足の烏の話。

 もしあの烏が三本足の烏なら自分はどこに導かれるのだろうか?

 あの女がいる世界なら……いや……あの女がまだ無事な時に導いて欲しい。

 今度こそ……今度こそあの女を傷つける前に救うんだ。


 烏がもう一度鳴いた。

 同時に悪役の命の灯火が消えた。

 悪役は穏やかな顔で笑っていた。



「伊集院これから先は聖域だ。ちゃんとしろよ。にゃははは!」


 山田が明人の背中を叩きながら乱暴な口調でそう言った。

 内容と比べて態度が実に軽い。

 あれから三島の教室に行ってみると三島は学校に来ていなかった。

 携帯で電話をかけても繋がらなかったが、あとで明人の携帯にメールで「風邪引いて学校休んだ」とメールがあった。

 明人は山田との約束をキャンセルして三島の家に見舞いに行こうと思ったが思い直した。

 明人と三島はまだ「つきあっている」と断言できるわけではない。

 それに明人は金髪坊主という自分の外見が、たとえ地毛が金色だとしても他人に意味もなく威圧を与えることをよく理解している。

 そんな自分が家にまで押しかけては迷惑だろうと判断した。

 結局、明人の代わりに藤巻が様子を見に行くことになり、明人は山田との約束を果たすことに決めたのだ。


 そこは千代田区某所。

 山田浅右衛門屋敷跡のすぐ近く、雑居ビルの地下に山田道場が存在した。


「ただいまー」


「「お嬢!!!」」


 筋骨隆々とした体格の良い男たちが山田に駆け寄ってくる。

 山田の門弟である。


「姫来てる?」


 山田がそう聞くと、30代くらいと思われる男が言った。


「ええ、いらっしゃってます。……ところでそこの人殺しの目つきをした金髪野郎はどなたで」


「うん? ……王子様?」


 山田自身はそれほど他意はない。

 『いい人』とか『友達』程度の意味であった。

 だが言われた男は一瞬にして鬼の表情に変化した。


「王子様ぁ? ……クソッ! 虫がつかないようにそういう教育を一切しなかったのが裏目に出たか!!! オドレワリャア! 俺らのお嬢を返せええええェッ!」


 屈強な男が涙を流しながら叫んだ。


「い、いや! まだなにもしてな……」


「『まだ』……だと。チャンスがあればするつもりかこのクソ野郎ォッ!!! お嬢を弄びやがって!!!」


 それを聞いて山田が余計なことを言う。


「あそび? 毎日遊んでるぞ。駄菓子くれるしな」


「このアルティメットクズ野郎オオオオオッ!!! 純粋無垢なお嬢を菓子でつりやがってえええええぇッ!!! 道場へ来やがれええええッ!!!」


「なんだお前ら伊集院に稽古つけて貰いたかったのか。いいぞー。私は姫と話してるからな」


「っちょ! 山田! 置いてくな!」


「オラァ! テメエ来いコラァッ! 殺……じゃなくて稽古つけてやる」


「今、『殺』って言ったよな! 聞こえたぞ!」


 アキトの猛抗議もむなしく、男たちに捕まったアキトが道場へ引きずられていく。

 アキトの実力を知っている山田は心配した様子もなく「まったなー」と手を振っていた。



「姫。お待たせ」


 山田が自室に入ると、そこには和服を着た少女が待っていた。

 少女は姫神琴乃。

 山田にビジョンの使い方を教えた人物である。

 自室と言っても山田の私物はすでに藤巻板金に全て運び込んだため、机があるだけの色気もなにもない殺風景な部屋である。

 山田は少女の側へ近寄ると座布団も敷かずに畳の上であぐらをかいた。

 そして学校用の鞄を開けると教科書より多くのスペースをとっている食料袋を取り出した。


「食べる?」


 山田がう○い棒を差し出す。

 サラミ味である。


「いえ……それより伊集院明人は?」


「ああ。若い衆に稽古つけてる」


「へ?」


「うん。道場でね」


「あ、あの伊集院明人ですよね? なよなよした……長髪の……」


「うん? 伊集院は坊主頭だぞ? 昔の軍人っぽい感じの」


 どうも話がかみ合わない。

 姫神琴乃は違和感を感じた。

 やはり漏れ伝わったとおり、今の伊集院明人はどのビジョンの伊集院明人とも似通っていない。

 シナリオライターだろうか?

 それともこの間感じたもっと邪悪な人間だろうか?

 姫神の心臓が高鳴った。

遅くなりました。

首を故障して書けませんでした。

調子がよくなったので通常更新に戻します。

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