若き狼
「ふむ。少年、レイラから何か渡されなかったか?」
藤巻はすぐに自分のポケットを漁り、金属製の棒を取り出す。
「レイラのヤワラスティックか。どれ。貸したまえ」
藤巻は言われたとおり棒を差し出す。
ユーリはそれを受け取ると上下を逆に捻る。
どうやらこの棒の中に何かが入っているようだ。
「ふむ。針金にリード線。糸鋸。それに釘。言われたとおりやっているようだな」
どうやらレイラは脱出のための道具を藤巻に渡したらしい。
棒の中身を取り出したユーリは上下に分かれた棒を手で叩く。
すると更に何かが出てくる。
「内緒で埋めこんだ発信器。電池はまだあるな。音声は転送済みと」
「内緒? つか、音声を転送?」
「君もどうかね? 家族の行方を見守ること。それも保護者のつとめだろう? 想像してみたまえ。君の大事な人がある日男を連れてくる様を」
わかるだろ? うん? と言わんばかりだった。
その時、藤巻の脳裏に最愛の義妹の姿が浮かんだ。
妹である霞が朝からなんだか機嫌がいい。
鼻歌を歌っていたりする。
嫌な予感がしていると、家のチャイムが鳴る。
どういうわけか、うきうきしながら霞が応対する。
なんだろうと思い藤巻が玄関に行くと、ニコニコと上機嫌な表情の霞の横には自分と同じくらいの年齢の男がいた。
その顔にはモザイクが入っている。
そして霞は事もあろうに腕を組みながら言った。
「お兄ちゃん。これ彼♪」
ぶしゃッ!
こめかみに浮かんだ血管から血が噴き出す。
「ハハハハハ。確かにGPSは必要だナ。霞、オニイチャン霞ノタメニ害虫皆殺シニスル」
藤巻はなぜか妙な片言になりながらGPSの存在を肯定した。
瞳孔は完全に開き、全身が震えている。
ユーリもレイラのことを想像していたらしい。
口から血を流していた。
「ダロ? GPSバンザイ! レイラニ近ヅクミナゴロシ。 次、結婚式ソウゾウスル」
藤巻はウエディングドレスに身を包んだ霞を思い浮かべた。
「お兄ちゃん……赤ちゃんできちゃったから結婚するね。お兄ちゃんだけは私の味方だよね?」
目が赤く染まり血の涙が溢れてくる。
オノレ……オノレ……おのれえええええええええッ!!!
ユーリも血の涙を流していた。
「オレ、レイラ守ル。近ヅク男、皆殺シ」
目の前の藤巻が近づく男なのだがユーリはまだ知らない。
藤巻もレイラの思いに気づいていない。
「勇者よ! その思いが貴様を強くする!」
ユーリが手を差し出す。
藤巻がその手を握る。
「師匠ォッ!!!」
がしっと握手をする二人。
ここに過保護ーズが結成されたのだ。
完全にストーカーではあるが。
熱い握手を交わし変態同士のなれ合いを深める二人。
そんな二人に怒鳴り声が浴びせられた。
「うおらあああああッ! 火蜥蜴なめてんじゃねえ! オレのハーレー帰しやがれ!」
二人が声の方を見ると肩に木刀を担いだ真鍋幸三こと通称ダブルDがいた。
その周りには何台ものバイク。
真鍋が仲間を呼んだのだ。
「おおコラァッ! バイク返さねえと殺っちまうぞ! オイコラァ!」
「まなべっち、じゃなくてダブルDのハーレー返しやがれ! オラァ!」
頭の悪そうな金髪の少年も怒鳴った。
藤巻は首を捻る。
どこかで聞いた声だ。
「ん? ダブルD? でっかい大仏顔……真鍋!?」
藤巻は真鍋に声をかけた。
「ひいいいいいいいいいいいッ!」
藤巻に気づいた真鍋が悲鳴を上げる。
「ふふふふふふふふふふふ、藤巻! なんでてめえが!?」
真鍋の脳裏に明人に半殺しにされたあの夜のことがよぎる。
真鍋は圧倒的な暴力で何が起こったのかすらわからないうちに一方的に殺されかけたのだ。
しかもボコボコにしたはずの藤巻が復活。
村田を葬り去った。
真鍋の心にはその時の恐怖が刻み込まれていたのだ。
真鍋は首を振る。
違う。
そうじゃない。
相手は金髪眼鏡。あの伊集院明人だ。
アレが化け物なのは仕方がない。
だが今のオレはなんだ?
藤巻にまでびびってやがる!
そうだ!
ここで藤巻を倒しオレは過去のオレを乗り越えるのだ。
真鍋は決心した。
そして真鍋は藤巻を挑発することにした。
相手に何もさせない。それが喧嘩のセオリーだ。
隙を作って仲間と一緒にタコ殴り。
前と同じだ。
ついでに不気味な外人も一緒に殴ればいい。
なあにこちらは10人。
二人に負けるはずがない!
「なんだっけ? てめえの妹。霞だっけ? あの時もお兄ちゃんお兄ちゃんって泣いてたなあ? また攫っちまうか? ああコラァ?」
「ああ?」
藤巻の目が赤く光る。
完全に危険色である。
かかった!
真鍋は勝利を確信した。
だが真鍋は知らなかった。
すでに背後にいた男の存在を。
真鍋の腹に手が回りがっしりと胴がロックされた。
「へ?」
真鍋の体が重力から解放され、ぐるんと視界が回る。
次の瞬間、真鍋は後頭部から急激に落下した。
「ぐべッ!」
裏投。
いわゆるバックドロップである。
技の主はユーリである。
白目を剥く真鍋に目もくれずにユーリは言った。
「少年。レッスンだ。ひとつ。男は常にエレガントであれ。たとえそれが戦場であってもだ」
ユーリはバックドロップで歪んだネクタイを直す。
「ふたつ。相手に何もさせるな。一方的に倒せ。生まれ変わることもできないほどにな」
ユーリがサングラスを外す。
ユーリの目も赤くなっていた。
「みっつ。子どもの敵は見つけ次第、即、滅殺だ!!!」
そう言うなりユーリは愚かな生け贄の集団に飛び込んでいく。
「俺にも残してくださいよ」
藤巻もユーリに続く。
真鍋も含めた元火蜥蜴のメンバーは大きな思い違いをしていた。
明人とともに戦った藤巻。
彼はもう数ヶ月前の藤巻ではない。
それは単純な殴り合いにおいても……である。
陸に負けたのも陸に制作者による補正があっただけなのである。
「ふはははははは!!!」
ユーリが心底楽しそうに笑った。
まるで回収日の生ゴミのように放り投げられていく火蜥蜴の面々。
藤巻の方へ向かったものも、その拳を顔面にねじ込まれ鼻を押さえうずくまる。
「やめろッ! 来るな! くるなあああああッ!」
「ぎゃああああああッ! 痛い! いでええよおおおおッ!」
「ふ、ふじま! (ガツッ) ぎ!(バキ) でめ!(ゴス) もうにゃぐりゃないで(べき)」
それは一方敵な狩りだった。
銃弾をかわす動体視力の持ち主と、冬のシベリアで上半身裸のまま鼻歌交じりに虎狩りをする元工作員。
戦力差がありすぎたのだ。
埼玉の片隅で粋がっていただけの彼らでは猛獣と素手で対峙しているようなものなのだ。
「ひいいいッ! に、逃げ! にげろおおおッ!」
ようやく自分たちと相手の戦力差を理解した元火蜥蜴の面々は肉食動物の集団に襲われた小動物の群れのように逃げ出した。
命よりも大切だと公言していたバイクすら置いて。
「ふむ。足も手に入ったようだな」
全く表情を変えずにユーリは笑った。
なぜか藤巻にはそれがわかった。
「そうっスね。無駄な改造だらけのゼファーですけど」
なぜヤンキーと自称している連中はゼファーが好きなのだろう。
しかも無駄な改造を施し性能を劣化させたバカ仕様の。
確かにカスタムは楽しい。
見た目やイメージの大切さも藤巻はよくわかっている。
だが連中のドライビングテクを考えるとむやみな改造は危険なだけだ。
それに改造を常識の範囲内にしておけばメンテも修理も楽なのに。
バイクの修理も行う板金屋のせがれはいつも疑問に思っていた。
だがそれは仕方ない。
モトクロスというモータースポーツのアスリートとして育ってきた藤巻と、日々何も考えようとせず、その場のノリだけで生きてきたヤンキーでは価値観の根本の部分が異なる。
藤巻のようなアスリートからすれば安全性と性能こそが最優先だ。
自動二輪をメカから理解する藤巻には機能美をわざわざドブに捨てるような改造は理解できなかった。
逆に村田たちは藤巻をノリの悪いやつだと切って捨てていた。ただ単にひがんでいただけだと自覚もせずに。
藤巻は文化の違いから決して村田たちの群れに交わることはできない。
村田たちはそんな藤巻を妬み決して懐まで侵入させなかった。
これが村田たちと藤巻の間に存在した決定的な溝だった。
少しだけ寂しそうな顔をした藤巻の横顔を見たユーリは珍しくにやりと笑った。
「孤独を知るものこそが強くなれる。そうは思わないか少年? いや、サラマンダー藤巻」
「……わからねえ。そこまで人生経験ないんでな。……ところで師匠。あんたナニモンだ?」
藤巻は新聞を読む習慣もテレビやネットのニュースをチェックする習慣もなくロシア大統領の顔を知らなかったのだ。
「ああ。私はロシア大統領のユーリだ」
「あー。了解。詮索しねえよ」
藤巻は「はいはい与太話ですねー」と言ったような態度だった。
だがユーリはそれで満足だった。
ユーリはこの世には真実など何もないことを工作員時代に嫌と言うほど知った。
そして相手がどう思うかなどさほど意味がないということは趣味のネカマで学んだ。
所詮、世界など自分自身の主観で構成されているものだ。
だから信じて貰えなくても構わない。
それはたいして重要ではないからだ。
重要なのは娘とさえ思っている弟子の手伝いをすること。
そしてそのついでに別の若き狼にも知恵を授けられることだ。
老いた狼の役目、そして喜びは若き狼に知恵を授けることなのだから。
「藤巻。行くぞ」
「学校だな? たぶん二人は学校にいるはずだしな」
「っふ……違う。よっつ。我々の世界で舐められるのは死ぬのと同じ事だ。つまり、うちの娘を一瞬でも危険にさらした罪。命をもって償わせてやる。ローマは運命がどうとか、手を出すなと小うるさかったがもう知らん。全員皆殺しだ!」
ユーリの顔は一切の変化がなくいつもの無表情のままだった。
藤巻はそれを見て「あー。キレてんだなあ」と思った。
「そうか。俺も連中には借りがある……手伝うぜ」
若き狼はさらりとそう言った。
◇
ホームセンターコ○リのロゴが入った軽トラックが横浜の路上を軽快に走行していた。
いや軽快というにはスピードが出すぎていた。
カーブや坂にさしかかるたびにふわっと運転席が浮く。
荷台に大きく重い何かが積み込まれているせいだ。
「アキト君……さすがにアレはやりすぎじゃないかな?」
飯塚が引きつった顔で軽トラックを運転する明人にそう言った。
「なんだい飯塚君? 今まで俺がやりすぎた事なんてあるかな?」
いつもだ!!!
飯塚はツッコミが間に合わない。
せめて、みかんがいてくれたら。
飯塚は心の中で後悔する。
飯塚たちは二手に分かれた。
軽トラックの定員などの問題があったからだ。
今頃みかんは仲間を呼びに行っているはずだ。
合流できればすぐに事件は解決するはずだ。
……それまで生きてられたらだが。
不自然に重心が高くなった軽トラックがドリフト走行をする。
飯塚はそのたびに悲鳴をあげながらトラックにしがみついた。




