動き出す世界
23区内。
明人は雑居ビルの一室に辿り着いた。
やはり藤巻はそこにいなかった。
真新しい血痕がある。
藤巻の血が点々としたたり落ちたのだろう。
その量は少ない。
これなら死ぬことはないだろう。
……と明人が冷静にいられるわけがなかった。
明人は部屋の中央に存在するロープが置かれている椅子を蹴った。
椅子は転がり壁に当り大きな音を立てた。
明人はいらついていた。
明人の前世では覚えている限りでは友人の記憶はない。
中学時代も特に理由もなく恐れられていたせいか友人はいなかった。
せっかくできた大切な友人なのだ。
明人はキレかかっていたのだ。
明人はポケットから携帯を取り出す。
武器が必要だ。
明人はまだ幾らか残っていた脳の冷静な部分でそう判断した。
短縮ダイヤルから『カルロス』を探しタッチパネルに表示された『通話』ボタンを押す。
数回のコールの後、電話に出たのは変な日本語の男だった。
「明人のアニキ! HAHAHA! 今度はなんだ! このカルロスの海賊団に入る決意でもしたのか!」
「それは断る」
カルロス。自称海賊。
仕事は調達屋。具体的には密輸。
漁獲高が減り、経済を維持できなくなったいわゆる漁村スラム。
そこの漁師を使い海上ルートで密輸した品々を販売するのだ。
扱う品は蟹などの魚介類やワシントン条約で禁止されている象牙、それに火器など多岐にわたり、顧客の方も入手経路を問わないスーパーや商社などから暴力団に明人のようなフリーのエージェントにまで及ぶ。
見た目は30がらみの色気のある男。
明人とはパキスタンの刑務所で出会った。
カルロスはそのときイスラム原理主義勢力が破壊して回っていた仏像を国外に運ぼうとして逮捕されていた。
明人が刑務所でカルロスを集団でリンチしていた看守のアゴをへし折って刑務所の二階からたたき落として以来、アニキと呼ばれ慕われている。
明人もアニキの意味を深く追求せず持ちつ持たれつの仲を続けている。
カルロスは見た目はヒスパニック系なのだが国籍すらわからない。
わかっているのは足立区で調達屋をやっているということだけである。
謎の男である。
「例の『アレ』。今から取りに行く」
「え? っちょ! ライアンの旦那にアニキには絶対に渡すなって言われてんだけど」
「今から取りに行く」
拒否など受け付けない。
もともと『アレ』は明人の所有物だ。
文句を言われる筋合いなど、どこにもない。
邪魔をするなら奪えばいい。
「あー! もう! わかったよ。出しとくよ! 何度も言うけどアレは歩兵用の火器じゃないからな! 死んでも知らねえぞ!」
明人はクククッと笑った。
それはまるで悪役明人が復活したかのようだった。
◇
明人との通話を終えたカルロスは、慌てて電話をした。
相手は……
「伊集院明人から接触がありました。ええ。病院送りにされたスペッツナズが接触する予定だった……」
「……そうか。カルロス。それでレイラの行方はわかったか?」
相手はロシア大統領。ユーリである。
カルロスの正体はロシアの工作員だったのだ。
それも大統領と太いパイプを持つ。
「いえ……まだ北浦和には帰ってないようです」
「……クソッ!」
「大丈夫ですって。どうやらレイラの件で明人のアニキが動いてます。死人は出ないでしょう」
「フッ……それは勘というやつかね?」
「いえいえ。美少年の導きだからですよ! 美少年は正義。美少年なのに男らしいアニキは正義!!! それがこの秘密結社の信条でしょう?」
「……そうだな。どうやら私は少し頭に血が上っていたらしい。神の導きを!」
「神の導きを!!!」
最低の通話内容だが本人たちは至って真面目だった。
ところが話がまとまってほっとしたカルロスの耳に信じられないものが聞こえてきた。
「ただいま二番線に大宮行き普通電車が参ります。白線の内側に……」
「っちょ! 大統領! おまッ! 今どこにいやがる! しかも電車ってコラァッ!」
「……ひみつ♪」
『ひみつ♪』じゃねえ!
ツッコミが追いつかない。
カルロスは激しい偏頭痛に襲われた。
◇
生徒会室。
「で、ロリキング……じゃなくて藤巻はさらわれたと」
「ええ。だよね?」
田中の質問に長岡明香里が答えていた。
野太いアイライン、本来の目より数ミリも下に付けまつ毛を装着。
目が大きく見える。
ウィッグで髪型まで変えているため、ぱっと見ただけでは同一人物に見えない。
いわゆるゴシックだ。
ぱっと見た目だけでは日本的なロリータは入っているかわからない。
どちらかというとロックムーブメントの影響を受けたファッションだ。
田中は任務そっちのけで見入る。
メイクをしたのは明香里ではなさそうだ。
せっかくのメイクなのに自信なさげな明香里は横にいる少女に何度も何度も確認していた。
「ああ」
そう感情をこめずに答えるのは銀髪の少女。
少女は同じくゴスのメイクをしていた。
ゴスと言ってもこちらはパンク系である。
ショートの銀髪をワックスで立てたワイルドな髪型。
ショートウルフというやつだろう。
注意深くよく見ると、微妙に違和感がある。
ウィッグだ!
そうか彼女がメイクの主か!
納得した田中がもう一度明香里の方を見る。
……完成度高ッ! ロリータ分がないのに凄く人形っぽい!!!
やば……カワイイ……うん……後でやりかた教えて貰いますわ。
田中は残念な納得をした。
「田中……会長だったな。伊集院明人の居場所を教えて欲しい……」
キャーッ!
クール系! ワイルドな銀髪! 胸がぺったんこですけどそこが少年ぽくていいですわ!
キャー! キャー! キャー! お持ち帰りしたい!!! って……伊集院?!
「え?」
「えっとあなたは硝煙の匂いがする。同業者だろう? 私はレイラ。ロシア所属のものだ」
「あッ!」
ようやく田中は理解した。
◇
災害があると大規模炊き出しをする芸能プロダクションの刑事ドラマのようにパトカーが列を成していた。
パトカーの横には埼玉県警。
彼らが目指すは横浜。
首謀者は背の低いかわいらしい女性。
中本である。
中本は中央に位置する自動車に自ら乗り込んでいた。
会議室からの指示など掃いて捨てるほどいるエリートでさせておけばいい。
中本はそう判断したのだ。
県警を出発する前、中本は友達の家に遊びに行く小学生のように船に乗り込むことを神奈川県警に通告した。
もちろん神奈川県警は猛反発。
やれ縄張りがどうの、刑事訴訟法がどうのと、小うるさかったが全て無視した。
県警の縄張り?
証拠?
裁判所の令状?
刑事訴訟法?
犯罪捜査規範?
そんなもんは知らん!
乗り込んで少女を救ってこい!
逆らうものは全員殴れ!
それが中本の命令である。
逆らうものはいなかった。
彼ら警察官は知っていたのだ。
クイーンテックの魔の手は県警だけではなく裁判所までに及んでいるということを。
そしてそれをひっくり返すには実力行使しかないのだ。
中本の携帯が鳴った。
先ほど投げてしまったせいかガラスは割れ少し歪んでいる。
中本が液晶を見ると酒井からだった。
電話に出るとなぜか近くで機械音が聞こえる。
それはまるでモーターのようだった。
酒井は上機嫌そのものだった。
「やっほー! なっかもっとさーん! 今ね。船に女の子が囚われてる証拠つかんだよー♪ これで船に乗り込んでもオーケーだよ♪」
証拠とは何だろう?
中本が酒井に問いただそうと思ったとき突然、悲鳴が聞こえた。
「ぎゃああああああッ! わかった! わかった言うから! ぎゃあああああッ! 女の子は5人! ごにんッ! ぎゃあああッ!」
「ね? 犯人の証言」
「えっと……今なにを?」
「ボクもう警察官じゃないからよくわからにゃい。テヘペロ♪」
とぼける酒井とは別の男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「オラァッ! まだ何か知ってんだろ! 吐け!」
ボスッという堅いものが何か柔らかいものにぶつかる音がする。
「もうなにもしりましぇーん!!! ホントに! ホントに知らない! 知らな……ぎゃああああああっ!」
「あー殺しちゃダメだよー。え? 吐かない? 仕方ないなー次は電気試そっか……そうそう。そこのコンセントにつないで。あ、ごめん中本さん一旦切るねー。じゃあねー」
アレは悪党アレは悪党アレは悪党アレは悪党アレは悪党アレは悪党。
中本は必死に念じる。
何か恐ろしいことが行われているようだが、ツッコミを入れたら負けに違いない。
だがこれで彼女たちが助けられる!
証拠を入手した方法は別として、大義名分は埼玉県警にあるのだ!
中本は引っかかりを感じながらもガッツポーズをしてモヤモヤを吹き飛ばした。
◇
酒井は中本との通話を終了するととある人物に電話をかけた。
もちろん小粋なBGMである男の悲鳴は気にしない。
「おーす。酒井。こっちは順調だぞ!」
豪快な声が聞こえた。
後ろでは少女が「にゃはははは!」と笑う声が聞こえる。
そう。男はライアンだったのだ。
今回のライアンたちの作戦の立案者は酒井だったのである。
「そうですか。これでシージャック鎮圧のついでに被害者を奪還できます」
「ああ。ところでロシアの動きは?」
「今のところ『良い子』にしてるようです」
「んじゃまあ今のところ予定通りだな」
「それにしても……失敗したら……本当に世界の終わりが来るんですかね?」
「ああ。公安の『姫様』も同じ見解だろ?」
「ええ。ですが困るんですよねえ。せっかく人生が面白くなってきたっていうのに!」
悪魔が笑った。
「そうだな。俺もようやく面白くなってきたところだ」
鬼も笑う。
「ご自分の敵討ちですか?」
「そんなカッコイイもんじゃねえよ。酒井、レイラを明人と共に戦わせろ。そして……」
「姫と会わせるのですね」
「ああ。こっちは山田浅右衛門を実地で鍛える。あとは頼むぜ!」
ライアンは山田を見た。
山田は無邪気に笑っている。
この世界は全てある人物の妄想からできている。
そしてこの世界のすでに決定された運命に干渉できるのは伊集院明人だけなのだ。
その事を知ったライアンが会いに行ったのだとは明人は知らないだろう。
知る必要も無い。
この後のプランはシンプルだ。
神様面した悪党を打ち倒すだけだ。
サラマンダーは今頃どうしているのだろうか?
案外、お節介なヤツが助けているかもしれない。




