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レイラ1

 レイラがトラブルに巻き込まれていた同時刻、明人は正に最大の敵との交戦中であった。


「っく! なぜ……こうなった」


「どうだ伊集院! 時間の貴重さを思い知れ!」


 女の目があやしく光る。

 それは明人の担任の内藤だった。

 明人は悩む。

 目の前の問題は明人の前にエベレストのごとき壮大なスケールでそびえ立つ。


「まさか……たった一ヶ月でここまで進むなんて……」


「フハハハハハハ高校生活をなめるな!」


 明人は……補習中だった。

 怪我による一ヶ月の休み。

 大事な高校生活の最初の一ヶ月を棒に振ってしまったのだ。

 これにより明人の学業には深刻な影響が出ていた。

 それをわかっていた内藤が特別に補習授業をしてくれていたのだ。


「フフフ。伊集院。人生は長い。たかだが一年くらいどうって事もないさ……」


 明人の後ろで偉そうに藤巻が言った。

 元々高スペックのキャラである藤巻も、一年以上勉強をしていないせいか学力はすでに取り返しのつかない水準まで落ち込んでいた。

 そのせいで明人のついでに補習を受けるハメになったのだ。

 だが藤巻は空気など読まない。

 この余裕の態度である。

 そんな藤巻を見た内藤が非情な言葉を発した。


「伊集院。これが一年後のお前だ……」


「うあああああああああああぁぁぁぁッ!!!」


 明人はパキスタンで戦車に追いかけられた時よりも悲痛な声をあげた。



 レイラは予定通り、女生徒を交番に送り届けることにした。

 日本は世界一安全な国だ。

 警察に届ければ身の安全が確保されるはずだ。

 レイラはなるべく人通りの多い道を通り、駅に向かう。


「交番なら駅の下のコンビニの横にあります」


 女子生徒の言葉を信じてそこに向かうと確かに交番が存在した。

 レイラは交番の前に警察官がいるのを確認すると急いで飛び出した。


「ど、どうしたんだね?」


 交番の前にいた警官は若い男だった。

 細身の体、人の良さそうな顔。

 レイラの持つ警官のイメージとはかけ離れている。


「あの、図書館で変な男の人に連れて行かれそうになって!!!」


「ちょっと! ちょっと落ち着いて!」


 女生徒が男性警官に事情を説明する間、レイラは慎重に下から上まで観察する。

 靴は革靴。青い制服に警棒。手には長い棒を持っている。拳銃も装備。ホルスターに自動拳銃をさしていた。

 

(自動拳銃……?)


 気になったレイラは注意深く拳銃を見る。


(トカレフだと!)


 レイラは動揺を顔に出さないように努めた。

 この男は警官などではない。

 この国の警官がトカレフを装備しているはずがないのだ。

 レイラは相手に覚られないように隙をうかがった。

 すると女生徒に事情を聞いていた警官が油断したのか視線を外した。

 その瞬間、レイラは女生徒の手を引っ張った。


「え、なに?」


 驚く女生徒。

 レイラは女生徒を自分の後ろに引き込むと同時に軽く飛び偽警官に前蹴りをお見舞いした。

 吹き飛ぶ偽警官に目もくれず、レイラは無理矢理手を引っ張り交番を出る。

 

「おまわりさんに何をするの!」


「あれは警官じゃない。日本の警官がトカレフなんて持っているはずがない」


「え?」


「連中の仲間だ」


 明らかに動揺する女生徒にレイラはどう接すればいいかわからなくなった。

 レイラは護衛の訓練など受けたことがなかったのだ。


「家はどこだ?」


「ろ、ロサンゼルス……蕨駅の近く……」


「わかった。行くぞ」


「え?」


「送る」


 レイラは女生徒の手を引きながら、携帯電話を取り出した。

 甚だ遺憾ではあるがターニャに教えてもらった電話番号に助けを求めねばならなくなった。

 そうレイラは判断していた。



 ジェーンは引っ越しの準備をしていた。

 とは言っても借宿はホテルだったため荷物は少なく、パソコンを梱包さえすれば全て完了というところまで来ていた。

 引っ越し先は旧藤巻板金。表向きは私立大学の研究所という事になっている。

 すでにサーバーやスパコンも設置完了した。

 ロブやホセも近々やって来る事になった。


 あれからジェーンの身辺にも色々変化があった。

 CIA所属だった身分はそのままだが、同時にアメリカ大使館大使付情報分析官という無駄に長い肩書きもついてきたのだ。

 それだけではなく、日本の大学に国費留学生として籍を置くことにもなってしまった。

 それもこれも父親のダン・ジョンソンが大統領に正式に就任した影響だった。

 確かに「大統領の娘はCIA所属の工作員で主にハッキングや盗聴の仕事をしてまーす♪」とは口が裂けても言えないだろう。

 かといってCIAとしても、ジェーンの個人プロジェクトや世界中に存在する奴隷(コネクション)を高く評価しており、手放すことはできない。

 そこで、表向きはフードスタンプ受給家庭用の教育プログラムで才能を見いだされ、大学で研究をしているということになった。

 正に嘘だらけの人生である。

 高校に関しては取りあえず引き続き通えることになった。

 任務も正式に伊集院明人のバックアップとなった。

 アメリカ大使館大使付情報分析官の身分とは要するに『アメリカ大使館に活動を定期的に報告しろ』ということである。

 大学の方も講義に出ろという意味ではなく、『日本政府にも活動を報告しろ』という意味での身分だ。

 非情に面倒くさい話だ。明らかに仕事の量が多すぎる。

 そこでジェーンは日本への報告を省略するために旧藤巻板金に住み込むことにしたのだ。

 お前らの管理区域で仕事してやるから勝手に解釈しろという意味である。

 結果、意を汲んでくれた酒井によって旧藤巻板金は表向きは研究施設にリノベーションされ、ジェーンの住居スペースまで完備されることになった。


 そんなジェーンの衛星電話(イリジウム)が鳴った。

 番号は非通知。

 普通なら出ることはないだろう。

 だが、この回線の場合は違った。

 この電話の回線はロブたちと組んで各国の通信衛星をハッキングして作った独自仕様の秘匿通信回線である。

 回線の存在が明らかになると面倒なのでこの番号を知っているのはアキトを含めた数人のみ。

 それが鳴っているのだ。よほどの事態に違いない。

 ジェーンは電話に出ることにした。


「誰?」


「こちらはレイラだ。そちらは旧KGBの秘匿回線だと聞いている」


 レイラは嘘をつくことにした。

 旧KGBの秘匿回線などと言われたことはない。

 だがどの勢力なのかは、はっきりさせておく必要がある。

 ターニャの事を疑ったことなどない。

 だがターニャも騙されている可能性は否定できないのだ。

 東側の勢力であることを理由に協力を断られても仕方がないとレイラは思っていた。

 それよりも他の勢力に借りを作るのは良くないと思ったのだ。

 敵側まで上手に使うような腹芸をするには、少女の精神は潔癖すぎたのだ。


 電話に出たジェーンも話を合わせることにした。

 電話先の女性の声には覚えがない。

 だとすると連絡先を教えた誰かが漏らしたに違いないのだ。

 拷問などの手段により口を割ったと仮定すると、この回線に捜査の手が伸びているということである。

 それは非常に面倒なのである。

 だから誰が口を割ったかがとても重要だった。

 この回線を知っている、数少ないCIAエージェントからの情報だったら、この回線を即時に破棄しなければならないのだ。

 そのために心理戦が必要になるはずだ。

 こちらのスパイはスラム生まれのスラム育ち。

 謀略や裏切りは日常茶飯事。

 少女の精神は腹の底まで汚れきっていた。


「ええ」


「ターニャの紹介で電話した。私はレイラだ」


 電話の主は素直に名前を語った。

 もしかすると相手は思ったよりもチョロい相手かもしれない。

 ジェーンはそんな感想を持った。

 次にターニャという名前。

 ジェーンはターニャという名前に覚えがない。

 数人存在する、44マグナムのボランティアスタッフでもないだろう。

 ターニャ……名前の響きからスラブ系。東欧系かもしれない。

 相手が強調した内容からすると旧KGB関係者。

 KGB……?

 ジェーンの脳裏に最近知り合ったあの男の顔が浮かんだ。

 

(ユーリ……あの腐れド変態。ネカマまでやってやがったのか!)


 ユーリはジェーンには絶対に逆らえない。

 弱みを握るだけではなく、同人誌やフィギュア、BL小説を安全なルートで送ってやって恩を売っている。

 実際ユーリも無表情で喜んでいるに違いない。

 実際、この回線を通じて欲しいものリストを定期的に送って来ている。

 関係は良好なはずである。

 お互い裏切るメリットは何もない。

 だとすると本当にジェーンを頼るような事態が起こった可能性が高い。

 ここは手を貸した方がいいに違いない。


「ターニャね……うん。何が必要?」


「我々は今、さいたま市内で何者かに追われている。相手は東アジア系。相手は刃物やトカレフで武装。途中、交番で警官になりすました連中に襲われた。警察もグルかもしれない。こちらは民間人が一名同行。彼女を守らなければならないので動きがとれない」


「民間人?」


「女子学生だ。ターゲットは彼女だと思われる」


 それを聞いてジェーンはピンときた。

 明人のPCに入っていた捜査ファイル。

 そこにある人物かもしれない。

 明人は暗号化しているから読まれていないと思っているに違いないが、ジェーンは全てに目を通していた。

 全部読んだ上で、あえて知らないふりをしているのだ。

 この世界がゲームであることも、予定されたシナリオが崩壊したことも、何もかもだ。

 時が来たら明人が全てを話すだろう。

 ジェーンはそれだけ明人を信頼していた。

 今回の件、その女子生徒も明人が守らなければならない対象かもしれない。

 すでに明人が知っているシナリオは崩壊したのだ。

 だとしたらジェーンは全力でバックアップするだけだ。


「救出部隊を派遣するね。どこかで待ち合わせしよ」


 ジェーンはそう提案した。

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