それぞれの転機。 (後半後藤の独白で少し暗いので注意)
長いので分けます。
今回の後半、事件の核心部分の一部に触れるため、少し話が暗いので注意
話はジェーンによるロシア大統領下僕化の直後に遡る。
ロシア対外情報庁地下。
ブーツの音が暗い廊下に鳴り響く。
その音の主は細い銀髪をお団子にした女性。
廊下の奥の鉄のドアの前にくるとノックをする。
しわがれた声がする。
「入れ」
「失礼します」
直立不動で敬礼をしながら大声で挨拶をする。
「『学校』所属レイラ・ケレンスキー学生であります!」
「うむ。貴様なかなか優秀だそうだな」
「ありがとうございます」
男がフンッとつまらそうに鼻を鳴らした。
「任務だ」
そう言って男は机に辞令を投げ出す。
「はッ!」
「数日前、我が軍の通信衛星が乗っ取られた。その容疑者の一団の情報を掴んだ。場所は日本国埼玉県ロサンゼルス市……例の連続爆破事件があったさいたま市から20キロほどの場所だ。一連の事件は偶然とは思えん。学生として潜入し調査せよ」
「はッ!」
「同学園には我が国の誇る工作員。伊集院明人がいる。……だがこの期に及んであやつは非協力的になりおった。レイラ、もう一つの任務だ。ヤツを籠絡せよ。手段は問わん」
明人からすれば「ロシアのスパイ? 誰が?」という程に付き合いが薄い。
母親の出身地を根拠に権利を主張されているだけなのである。
だがロシア側としてはそんな意見など関係はない。
ロシアが権利を主張しているのだからそれが絶対なのである。
「はッ!」
レイラは勢いよく答えた。
◇
「いやさー明人君。警察クビになっちゃった。テヘペロ」
呑気にもそう言うのは埼玉県警本部長である酒井だった。
銃撃で入院した明人の見舞いに来ていたのだ。
「誰かが責任を取らなければならない。と言うことですか?」
「ああそうだね。アメリカ大使館の爆発に爆弾処理の失敗。怪我人多数で埼玉県警が機能停止寸前。さらにお忍びで来てたVIPも巻き込んだと」
「そうですか……」
「んでさ、転職先なんだけどさ……」
そう言いながら酒井は名刺を取り出す。
そこには
国家安全保障局 次長
と書いてあった。
「これは……?」
「いやさあ。最初は年齢的にもせいぜい課長級って言われてたんだよねー。前職の埼玉県警本部長ってのも幸運が重なった結果だしね。でもさ……幹部職員候補全員が逃げちゃってさー」
「え?」
「いやー。君らの管理って聞いた瞬間に全員泣きながら逃げてやんの! いやもう大笑い!」
「……そうですか」
明人は胸をなで下ろした。
鬼畜で変人と言えど知人だ。
貸しも借りもある。
明人の行動でとばっちりを食らわせるのは後味が悪い。
「さて……本題だけどさ。ロサンゼルスに君らのオフィスを作るね。場所は旧藤巻板金工場跡地。藤巻君の実のお父さんの工場だ。これはメインバンクの許可を得て藤巻板金さんからすでに買収した」
「政府の指揮下に入れと言うことですか?」
「まさか! アメリカ大統領にローマに公安の田中家に山田一門が後ろ盾の君らを指揮下に? それができたら日本は世界征服できちゃうんじゃないかな? ……彼らの本音はね、ただ単に君らと連絡の取れる窓口が欲しいだけだよ。君らも人数増えたんだ拠点が必要だろ?」
酒井の言うことも一理ある。
だが一つだけ心配もある。
「その顔は「家族を人質にとるんじゃないかな?」って顔だね。それはないね。班レベルの規模で攻撃ヘリを墜とす連中を脅す度胸なんて誰もないって」
「そうですか……あと、次の埼玉県警の本部長はいったいどなたでしょうか?」
「ふふふふ。秘密」
酒井は底意地の悪い笑顔で笑った。
◇
中本孝子は焦っていた。
この世界は狂っている。
その影響がとうとう中本にまでやってきたのだ。
「……署長それ本気ですか?」
「なんのことでしょうか?」
「この狂った辞令ですよ!」
中本は辞令書を机へ叩きつける。
署長は笑顔を崩さないまま言った。
「中本警視監。なにかご不満でも? 埼玉県警トップは警視監って決まってますよ」
「だからそれです! 私はノンキャリア、しかも巡査ですよ! そもそも酒井さんだって不自然に若すぎるでしょ!」
「そりゃ全員逃げましたから」
「はい?」
「だから酒井さんの時も上から下に至るまで全員が逃げたから階級が低い状態で就任したんです。今回に至っては私を含めた警視正までもが全員逃げましたが、前回の例からお飾りの階級を用意する手はずは整っております」
「はい?」
喧嘩売ってるのか?
中本は思った。
だが署長は大真面目な顔で続ける。
「相次ぐ凶悪犯罪に治安の悪化、テロ対策、VIPの警護に、おまけにアメリカ大使館に米軍基地をぶち壊すのスパイユニットの管理……はっきり言って、責任も命の危険もついて回る地獄のような環境ですな。まあ喜んでたのは酒井さんだけです。実際、酒井さんもわかっているだけで五回ほど暗殺されそうになりましたし」
「あー……まあ、酒井さんは狂人ですので。でもなんで巡査の私に!」
「それは酒井さんに後継指名されているからですよ」
「はい?」
「いやだから酒井さんが後継者として指名してるんですよ。なあに本来の県警トップの職務は私たちにお任せください。貴方は酒井さんと彼らの子守をお願いします。給料その他は階級に準じますので」
「いやいやいやいやいやいや! おかしいでしょ! 最初から最後まで全部おかしいでしょ!」
「これも本当の意味での狂人に関わってしまった不運だと思ってあきらめてください」
中本は心の底からあきれ果てた。
なんでこうなった……
激動の一年はまだ始まったばかりであることを彼女はまだ知らなかった。
◇
一ヶ月後。
杖をつきながら明人は後藤の病室に向かっていた。
傍らには山田。
他の世界を知るものたちでの話し合いのためだ。
病室の前で警備をしていた警官が明人たちに気づいて会釈する。
明人もつられて会釈を返す。
すでに明人の存在は埼玉県警全体に知れ渡っていた。
最後までヘリと戦っていた姿が避難した警官たちに目撃されていたのだ。
明人たちのヘリ撃墜はすでに伝説となっていた。
「高校卒業後は、ぜひ埼玉県警に来てください」
顔を上げると警官は満面の笑みでそう言った。
それを聞いた明人は喜怒哀楽のどれにも属さない苦い顔をする。
警官本人からしたら特に他意はないのだが、明人からすればアメリカ大使館全壊の件を思い出し胃が痛くなる思いだった。
病室の中に入ると防弾ガラスの向こうにいる後藤がニヤニヤと笑いながら、体に固定された機械式のベッドを立体的に回転させ体を起こした。
革ベルトで頭部まで固定されるその姿は明人には少しだけ哀れとも思えた。
「お、山田浅右衛門! おいおいおいおい! 出現は9月だろ! やっぱお前面白いな!」
「彼女に敬意を払え。じゃなければ次は背骨をへし折る」
「……俺ちゃんの首の骨折ったやつが言うと説得力が違うな。ところでさ浅右衛門。お前、未来が見えるんだって。俺らは気持ち良……」
病室が揺れた。
明人の拳が病室の防弾ガラスに突き刺さっていた。
何枚もの特殊フィルムが間に挟まれた多層構造のガラスを途中まで破壊していた。
「おい……それ防弾……」
「だからなんだ? 俺は言ったはずだ『彼女に敬意を払え』と」
振動に警備の警察官も飛び込んで来た。
「今の振動! な、なにやってんだ!」
「何って? この野郎の背骨を折るんですよ」
警官は防弾ガラスに拳を突き刺す明人を見て唖然として立ち尽くす。
噂は本当だったのだ。彼らはヘリと戦い、そして墜としたのだ。
警官はすべてを理解し、口を閉じた。
明人の表情を見て後藤も顔色を変えた。
ただの脅しではないことを理解したのだ。
「いや……わかった。敬意を払う。これ以上やったら本当にお前は背骨を折る」
「明人。コイツを殺す必要はない。何を言おうともコイツはここからは出られない」
山田がそう言うのを聞いた明人は手を引いた。
本人がそう言うのだから報復する必要はない。
明人はそう納得した。
「おい。警官を追い出せ。公安の秘密の会合だ」
なぜか後藤が場を仕切る。
山田は仕方ないといったそぶりで頷くと警官を適当な理由をつけて外に追いやった。
「さあて。俺が先に話すかな。伊集院明人。お前は異世界人だな?」
「ああ。元の世界で心臓発作で死んだはずだ。らめ(略)の発売日の一ヶ月後に」
「一ヶ月後? じゃあ大宮の火事のことは知ってるな?」
「火事? なんのことだ?」
それを聞いた瞬間、後藤は目を見開いた後、クククククと引きつった笑いを漏らした。
「そうか! そうか! そうか! お前……俺たちと同じ世界から来たっていつから思ってた?」
後藤は目を輝かせていた。
明人は後藤のことを享楽的な論理的思考のないタイプの人間だと思っていた。
だが実際は少し違うようだ。
論理的思考はできて、それでもなお享楽的に生きるタイプの人間なのだ。
「意味がわからない」
「お前と俺たち、それに山田ちゃんたち現地人は全員違う世界の住民だ。だからお前は俺の首の骨を折れたんだな!」
「どういう意味だ?」
「基本的に俺たちは仲間内でしか傷つけたり殺したりすることができない。いや、仲間もシナリオから外れるような行為をした場合は直後に理不尽な死を迎える。ところがお前は死なない。それが何だろうとずっと考えていた。ようやくわかったよ! お前は俺たちとも違う世界の人間だ!」
後藤は確信を持っていた。
明人は火事を知らない。
あの凄惨な事件を。
日本では放火事件は死人が出なくてもテレビでの扱いは大きい。
しかも、詐欺のようなことをした連中の死という話題性があるニュースだ。
少なくともネットでは話題になるはずだ。
知らないはずがないのだ。
明人はあの火事が起こらなかった世界から来たのだ。
そうに違いない。
どこかの平行世界。
そこに自分たちは死ない未来が存在したのだ。
後藤は急に静かになり、ぽつぽつと主観では百年も前の遠い昔の話をし始めた。
「あれは発売一ヶ月後のことだった。俺たちは史上最悪のクソゲーによるネットの大炎上を利用してダウンロード販売で大儲け、パッケージ分はオークションで横流ししてプレミア価格で販売してたんだ」
「ほとんど詐欺だな」
「だがな……それが甘かった。個別キャラのファンが俺たちが逃げ切るのを許さなかった。そこで起こったのが俺たちへの脅迫だ」
◇
「三島かりんを殺したお前たちを許さない。どの世界に逃げようともお前らを殺す」
ある日、脅迫状が会社のポストに投函された。
キャラにファンがつく。
これはありえることなのだろう。
だがそれは異常なほど熱狂的だった。
確かにかなり昔にメインヒロインが処女でないという理由で人気ゲームが炎上した例があった。
だがそのときも割れたCDが会社に送りつけられた程度だったのだ。
ところが今回は事件が起こった。
後藤のアパート、その玄関に火のついた新聞紙が投げ込まれたのだ。
彼らは恐れおののいた。
そこで、オフィスを埼玉県川口市、この世界ではロサンゼルス市と呼ばれる地域に移したのだ。
会社の借金を返してもまだ金は残っていた。
後藤たちは希望と熱意を持っていた。
今度こそ自分たちの理想のゲームを作ろう。
そこで彼女たちはハッピーエンドを迎えるのだ。
だが、その熱意は実ることはなかった。
ある日、オフィスに届けられた荷物。
差出人は逃げた会社の代表だった。
何事かとメンバー全員で開封しようとしたその瞬間、後藤たちは炎に包まれた。
◇
「あれは爆弾だろうな……俺ちゃん丸焼け。後のことはわからない」
後藤はそう言うと押し黙った。




