赤坂プレスセンター 後編
カラシニコフを持った少女がそこにはいた。
それは斉藤みかん。
「みかん……どうして……?」
飯塚とみかんの目が合った。
みかんは一瞬だけ視線を下げるとキッと今度は明人を睨みつけた。
「よく来ました。伊集院明人! すでに核ミサイルのスイッチは入ってます!」
「お前は誰だ!!!」
それは山田の声だった。
山田はすでに刀を抜いていた。
「それはどうでも……」
「言え! お前は本当に私の同級生の斉藤なのか!」
山田はまるで牙を剥く狼のような表情をしていた。
山田は何かを知っているのだ。
「……そうであり、同時に違うと言えます」
「やはり貴様は異世界からの侵略者か!」
そう怒鳴った山田は刀を八相に構えみかんの方へ駆け出した。
一歩二歩と踏み込んだところで山田は何者かに抱きしめられた。
それは明人だった。
「な! 邪魔をするな伊集院!」
「山田殺すな! ……頼む!」
「なんでだ! ボクは核を止めなきゃ……世界を救わなければならないんだ! そのためにヤツを殺さなければならないんだ!」
「いいから聞け! 俺もだ! 俺も異世界の人間なんだ!」
山田の体から力が抜ける。
山田の体が小刻みに震え、それが明人に伝わってきた。
明人はそのまま、みかんに言った。
「斉藤さん。君が何者でも構わない。俺の目的は君たちを守ることだ!」
「嘘だ!」
みかんは叫んだ。
みかんから見た伊集院明人は信用の置ける人物だ。
だが、みかんの菊池としての部分がそれを拒んだ。
菊池からすれば何度も酷い目に遭わされた記憶から恐怖の対象でしかないのだ。
「俺は君を殺さない!」
「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!」
「みかん!」
飯塚が声を張った。
「亮ちゃん……」
「帰ろ。な? みんな心配してる」
「だめ……だめなの! 私は……」
亮ちゃんに殺される。
みかんの目から涙が溢れる。
そして次の瞬間、みかんは気づいた。
飯塚の遙か後方に小銃を構える男がいたのだ。
射線は完全に飯塚を捕らえていた。
彼らは大なり小なりみかんの姿に動揺し、誰一人として射撃手に気づいていなかった。
亮ちゃんが危ない。
その瞬間、菊池はみかんの意志に飲み込まれ、完全にみかんとして動いた。
カラシニコフを構える。
ビジョンではみかんの武器はナイフだった。
それがカラシニコフに変わっただけだ。
ここで自分は死ぬのだ。
そう、みかんは確信した。
明人はみかんが小銃を構えた瞬間、山田を解放しみかんの視線を追った。
みかんが飯塚に銃を向けていた。
その意味を考えたのだ。
明人は信じていた。
たとえ何があろうともみかんが飯塚を傷つけるはずがないと。
みかんの視線の先には門で倒したはずの兵士がいた。
それは藤巻にバイクではねられた男だった。
まずい。
明人は駆けだした。
飯塚は弓を構えていた。
この引き金を引いたとき自分は死ぬ。
みかんは緊張しながらも不思議な幸福感に包まれていた。
みかんが引き金を引いた。
何発もの弾が発射されるがみかんの細腕では反動で狙いが上にずれ、兵士には当たらない。
だが明人以外にも危機を知らせるには充分だった。
そして次の瞬間、何者かに抱きしめられ押し倒される。
小銃の弾がみかんの居た位置を通り抜けていった。
「みかん! 大丈夫!」
それは飯塚だった。
「なんで……」
飯塚は矢を放つことはなかった。
それはビジョンが破壊された瞬間だった。
この何度もループする世界で初めてみかんは死から逃れたのだ。
明人は必死に駆けた。
殺させない。
誰も殺させない。
それだけを考えて拳を握った。
あと数メートルで小銃を持つ兵士を無力化できる距離まで近づいていた。
「獲った!」
そう思った次の瞬間、パァーンッという音が明人の耳に響いた。
胸と脇腹に痛みが走った。
横から発砲されたのだと気づいた。
柱の陰に潜んだもう一人敵がいたのだ。
明人が顔を向けると老人がいた。
倒したはずのラストサムライ。
富田だった。
頭から血を流し血走った目をしながら富田は片手で拳銃を構えていた。
もう一度引き金を引いた。
弾丸が胸に命中し明人はバランスを崩し床に叩きつけられる。
一見すると命中した銃弾は体には達していないように見えた。
明人が学生服の裏地に縫い付けていたワイヤー入りのケブラー繊維が役に立ったかのようだった。
だが防弾といえども完全に銃弾を無効化できるわけではない。
一発は明人の胸を撃ち抜いていたのだ。
その弾丸は明人の肋骨を破壊していた。
呼吸が乱れ、息を吸うたびに明人を苦痛が襲う。
喉の奥から血なまぐさいものがせり上がってきた。
血だ。
折れた肋骨が内臓に突き刺さったのかもしれない。
「伊集院!」
「アキト!」
藤巻とジェーンが叫んだ。
藤巻は懐に手を入れる。
今の藤巻は強力な武器を持っていた。
ジェーンから盗んだ44口径の拳銃。
藤巻は両手でマグナムを構え撃鉄を引き引き金に指をかけた。
富田も歴戦の兵である。
その程度で勝てる相手ではない。
藤巻よりも早く彼の額の真ん中を狙い冷徹に引き金を引いた。
だが、富田はここで失敗をした。
彼は藤巻のつたない構えを見て素人だと判断したのだ。
だからわざとヘッドショットをすることにした。
その慢心が命取りだったことには気づかずに。
銃弾が藤巻の額目がけて直進する。
普通なら死が確実に訪れただろう。
だが藤巻には武器があった。
一つは、限界まで高められた動体視力。
そして脳の無駄な処理を停止することにより脳の処理を一つのタスクに専念させるゾーン。
藤巻の世界がモノクロになる。
世界に流れる時間はどこまでも遅くなっていた。
火薬の爆発する光すら藤巻にははっきりと見えていた。
それとともにゆっくりと銃弾が藤巻に向かってくる。
藤巻は首を捻る。
藤巻は銃弾よりも速く動けるわけではない。
それでも充分だった。
銃弾は藤巻の額の肉をえぐり、血が噴き出した。
だが銃弾は肉を切り裂いただけで頭部を破壊する事はなかった。
藤巻は死と紙一重の差で銃弾を避けたのだ。
噴き出す血を意に介さず藤巻は引き金を引いた。
近距離からの発砲。
44口径拳銃の発砲の反動で藤巻は倒れる。
素人のメチャクチャな構えから発射された弾丸は富田の体の中心に向かっていった。
スピードの遅い強力な弾丸が胸に届いた。
このとき富田は入り口で戦闘不能になっている兵士から奪った防弾チョッキを着ていた。
防弾チョッキの上から藤巻の放ったマグナム弾がねじ込まれる。
それは鋭くも速くもない弾だった。
しかし熊を倒すことができるほど大きく重く力強かった。
セラミックの入っていない富田の防弾チョッキはギリギリマグナム弾を防ぐことが出来るものだった。
だが無傷とはいかない。
胸骨が砕ける音が富田の中で響き、衝撃で床に叩きつけられる。
「まだだぁッ!」
だがまだ富田の心は折れてはなかった。
富田はよろよろと起き上がり血走った目で拳銃を構えた。
(小銃の支援があればこんなガキどもに負けるはずがない)
富田はそう信じていたのだ。
◇
明人が撃たれた瞬間、田中は理解した。
明人は倒れ、もう一人の射手が小銃で狙っている。
この圧倒的に不利な状況で己が何をすべきかと言うことを。
田中は気配を絶つ。
柱の陰に入り闇に溶け込む。
そのままカラシニコフを構える兵士の方へ走って行く。
足音はしない。
明人や山田のように無音で歩くのではない。
無音で走るのだ。
袖から腕に巻き付けた分銅を出していく。
分銅を投げたとしても確実に仕留められる保証はない。
もっと確実に無効化できる技でなければならない。
そのためにはもっと近づく必要があった。
背後に回る。
まだ兵士は気がつかない。
田中は両の手に鎖を持つ。
今だ!
背後から田中は鎖を兵士の首に巻き付ける。
突然のことに驚く兵士。
田中はそのまま鎖を締め、体を反転し兵士の背中に潜り込み、腰を浮かせて背負う。
吊された男の首を鎖が自分自身の体重で締まっていく。
地蔵背負い。
体格に劣る女性でも大の男を絞殺することの可能な技である。
それは何百年も昔から伝わる血塗られた暗殺の技術。
完全に首を捕らえた鎖が兵士の脳への血液の流れを止める。
頭にたまった血によって顔が腫れ、酸欠によって意識が混濁する。
「いち、にい、さん……」
田中は頭の中で数を数えていた。
田中は七つまで数えると男が急に重くなった。
そこで鎖を緩める。
殺すつもりはない。無力化できればいいのだ。
兵士はどさりと床に倒れた。
すでに失神していたのだ。
◇
富田が音の方を見ると仲間の兵士が倒れていた。
それを成したのは自身に分銅を投げつけた少女だった。
富田は終局を覚った。
(せめて一矢報いなければならない。全ての原因である、そこの坊主頭のガキにだ)
富田は拳銃を倒れている明人へ向ける。
「伊集院を殺させはしない!」
富田の耳に少女の声が聞こえた。
そして富田の見たもの。
それは高く跳躍しながら刀を振りかぶり、今代の山田浅右衛門。
それは峰打ちだった。
富田の肩口に山田の刀がめり込む。
ぐしゃりという音がし鎖骨が砕けた。
「まだだ! まだだ!!!」
よろよろと足をもつれさせながら富田は拳銃を明人へ向けようとした。
だが明人の姿はそこから消えていたのだ。
「……怯えろ」
地の底から響く声が聞こえた。
口から血を流す少年が目の前にいた。
伊集院明人は血を吐きながらも拳を振りかぶっていた。
「てめえ不死身なのか!」
「朝目覚めるたびに俺が立っている。その恐怖に怯えろ!」
富田の顔面に断罪の拳が振り下ろさる。
その拳は鉄よりも固く大砲よりも強かった。
44口径を遙かに凌ぐ衝撃だった。
富田の体がまるで塵のように吹き飛び、今度こそ富田は意識を手放した。
◇
解放された職員たちによって核爆弾の時限装置が次々と解除されていた。
みかんを拘束しようとした兵士たちも、その手にみかんを抱いた飯塚の圧倒的な殺気に近づくことができないでいた。
ジェーンが自分たちがCIA所属であることを説明すると嫌々ながらも兵士たちは手を引いた。
CIAが一切の責任を取るということも本部への問い合わせで確約された。
それに兵士たちの本音では、基地を占拠したテロリストを排除した戦士と戦わされるなどまっぴらごめんだったのだ。
ジェーンは血を吐き続ける明人を心配しながらも自分の仕事をこなしていた。
地下に遺棄されていた1988年製のメインフレームコンピュータ。
それが核ミサイルの制御装置だった。
古いCRTディスプレイにはコンソールが表示されていた。
ジェーンは大統領権限のユーザーでログオン。
核のコントロールを確認する。
やっぱり!
本命は携帯型核爆弾ではない。
核弾頭だったのだ。
「W87核弾頭のカウントダウンが始まってる! どこからミサイル発射するの!?」
近くにいた若い兵士が答える。
「エージェント・ジェーン! ヘリポートであります!」
「なるほどね。赤坂基地を返還できないわけだ」
「解除法は?」
「大統領、副大統領、それと国防長官の持っている物理キーであります! ですが鍵は1995年のPC入れ替えのどさくさに破棄されました!」
「マジでお前らバカじゃねえの?」
コンソールから目標を確認する。
やはり目標はモスクワだった。
ジェーンは携帯を取り出す。
OSは専用。
ジェーンの知らない昔のシステム。
暗号方式もわからない。
一人では無理だ。
古いシステムの専門家が必要だ。
「はいはいジェーンたん」
「ホセ。赤坂プレスセンターじゃなくてハーディ・バラックスの核弾頭の解除法わかる?」
「……はい?」
「コンピュータは1988年製のメインフレーム。主記憶は128メガ。OSは専用。照準はモスクワ。タイマーはあと一時間」
「っちょ! 何言ってんの! ちょっと待って……1988年製?」
「うん」
「最大で630メガFLOPSか……やるか!」
「ジェーンたん。メモリエディタでプログラムに介入して! 無駄データをぶち込んでメモリを溢れさせるんだ! バッファオーバーランを狙え!」
「え? だって保護機能が!」
「大丈夫! ジェーンたんのノートは300ギガFLOPS。圧倒的パワーで蹂躙するんだ!」
ジェーンは明人の方を見た。
明人は咳き込んでいた。
山田の介抱も時間稼ぎにしかなっていないようだ。
もうあまり時間がない。
(医者の用意はまだなのか!)
いらだつジェーンに藤巻がそっと語りかけた。
「ジェーンちゃん。伊集院は君を信じてる」
「藤巻。第三次世界大戦が起こったらごめんね」
「明人は死なねえし戦争も起こらねえ。なあ、電子の妖精?」
ジェーンは無言で頷く。
そのままノートPCを出しローカルネットワークから核弾頭制御プログラムに進入。
あとはメモリを溢れさせるだけだ。
余計な技術など必要ない。
ブルータルに。破壊的にプログラムを蹂躙する。
ランダムで生成した文字列を処理させメモリを奪っていく。
恐れることはない。
相手は何十年も前のシステムだ。
そして今では使い古されたセキュリティホールを突く。
よし城門は開いた!
そこから大量のデータを流し込む。
そして地下室にビープ音が響いた
「止まった……」
プログラムはエラーコードを吐いて停止していた。
最後は電子の妖精が世界を救ったのだ。
◇
明人が咳き込む。
血が口からあふれ出していた。
ゴボッという音がした。
「このままだと自分の血で溺れる!」
山田はそう言うと明人の口に己の口を重ねる。
それはキスではなかった。
明人の血を吸い、口を離し床に血を吐き捨てる。
「よし! 横にするぞ!」
田中たちが明人を横向きに寝かせる。
「伊集院! 死ぬな! お願いだ死なないでくれ!」
血まみれになった山田が悲痛な声で懇願する。
「ほら色男! 起きなさい!」
田中もボロボロと涙をこぼしていた。
山田たちが応急処置をしていると
「医務室の準備が整った! 運ぶぞ!」
兵士たちがストレッチャーを運んできた。
兵士たちが慣れた手つきで明人を運んでいく。
二人はただただ見守ることしか出来なかった。
◇
「アメリカをなめるなあッ!」
「パンチパンチパンチぃ! そしてプレジデントの大統領スラムゥッ!」
うるさい。
それが明人の感想だった。
目が覚める。
息苦しい。
酸素マスクがつけられていた。
心電図の規則的な音が聞こえた。
それとプロレスの解説。
「ん、起きたか?」
山田の声が聞こえた。
のどがカラカラに乾いていた。
「9ミリで撃たれたのさ。死ぬとこだったぞ」
「そうか……ジェーンは?」
「アメリカに帰ったよ。仕返ししてくるって」
「飯塚は? ……斉藤は!!!」
「大丈夫だ。国家機密扱いで田中家が保護した」
「そうか……」
「あ、そうだ!」
そう言うと山田は明人の酸素マスクを外し唇を重ねた。
明人は一気に思考停止する。
「じゃあみんな呼んでくる」
頬を赤く染めた山田が上機嫌で病室を後にする。
「……なんだよ」
明人はあまりの事にそれだけ言うのが精一杯だった。
顔を真っ赤にしながら。




