さいたまタワー
「おい……そりゃマジか?」
CIA長官が口から泡を吐いた。
「ええ、ヤツでゴザル。ロシアの諜報機関のサーバーに高度に暗号化されたファイルがあったでゴザル。これはウチらに見せるためのファイルでゴザルな……」
アフリカ系アメリカ人の男がそう答えた。
ジェーンの子分、その一人であるロブだ。
彼の専門は暗号解読。
アメリカ軍の解いてはいけない暗号を解析したあげく、その方程式と暗号解析プログラムを25ドルでオークションに出して逮捕されたウィザードクラスのハッカーである。
ロブはCIA長官に対して続けた。
「今回の首謀者はラストサムライ富田浩でゴザル」
富田浩。
元共産主義テロリスト。
日本で数々のテロ事件を起こした後、傭兵として世界各国の紛争地帯を渡り歩いた歴戦の兵。
その戦闘力からラストサムライと称される。
齢60を超えた身だが、経験豊富な戦士である。
「つまりヤツもすでにロシアに切られたわけだ。ロブ。富田を説得することはできるか?」
「無理でゴザルな。たとえ連絡が取れたとしても彼は切られたことを理解してもなお反抗をやめるつもりがないでゴザル。彼の暴走は物理手段以外では止められないでゴザルな」
ロブの報告を聞いたCIA長官は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
◇
米軍赤坂プレスセンター
銃撃戦が始まっていた。
米軍と戦っているのは小銃で武装した集団。
その中に一人の少女が混じっていた。
彼女はらめ(略)のヒロイン。
そして明人が運命をねじ曲げ、現在では飯塚亮の恋人である斉藤みかんだった。
そして今の彼女の中身はシナリオライターの一人、菊池である。
一見非力に見える彼女も計り知れない戦闘力を秘めていた。
それは何度も後藤を殺したことで得たものである。
菊池は鞘から数本のナイフを抜くと自然な動きで次々と投げた。
ナイフは回転しながら弧を描き飛んでいく。
それは見事な回転打法だった。
ナイフが米兵たちの手に突き刺さり米兵たちは痛みのあまり銃から手を離す。
「武器を奪ってください。後が面倒ですから殺さないように」
菊池は興味もないといった様子で男たちに命令した。
そんな姿を見て、後ろに控えた老人が声をかけた。
小銃を片手に持ち、なぜか刀を腰に下げている白髪の老人。
富田浩。
ラストサムライと呼ばれる最凶のテロリストである。
「お嬢ちゃん。俺と勝負せんか?」
「嫌です。あなたの間合いに入ったが最後、肩口から心臓までばっさりです」
それを聞いた富田は心の底から嬉しそうな顔で笑った。
「お嬢ちゃん。その年でそれがわかるのか! いやなめすぎていた。いやあスマンスマン!」
「それよりもヘリを奪ってください。私は操縦できません」
「あいよー! 嬢ちゃん気に入ったぜ!」
笑い続ける富田を見ながら菊池は己の中にモヤモヤとしたものを感じていた。
◇
赤坂プレスセンター襲撃の数時間前。
ロサンゼルス市医療センター。
みかんが気がつくとそこは病院だった。
みかんは自分の体をまさぐった。
おかしい。
この100週において斉藤みかんの体が傷つけられていないことなど一度としてなかった。
暴行の跡は何もない。
精神も絶望に支配されていない。
みかんはなぜか激しく動揺しながら、病室のカレンダーを見た。
おかしい。
この頃だったら、いつまでも助けに来ない飯塚亮を憎んでいるはずだ。
精神の一部が壊れているはずなのだ。
どのシナリオにもない現象だ。
後藤は何をした?
あの論理的思考も満足にできない快楽主義者がみかんを手込めにしないだと!
あの男は元の世界に戻る気などないはずだ。
ただ目の前の快楽を貪るだけのはずだ。
いったい何が起こっているのだ?
みかんは混乱していた。
次にみかんは鏡を見た。
殴られた形跡はない。
歯も無事だ。
次に自分の手を見た。
本来ならつけられているはずの傷はなかった。
この手は両親に大切に育てられた少女のものだ。
驚いているとだんだんと記憶が今の菊池である自分にリンクされてきた。
入学初日の出来事を思い出していく。
伊集院明人が初日の強制イベントを阻止しただと!
なぜだ?
なぜイレギュラーが発生した?
バグ?
いやそもそもこれは誤動作というレベルか?
誰かが書いたシナリオか?
いや序盤のスクリプトは全員でちゃんと確認しているはずだ。
こんなシナリオは存在しない。
プログラマーの前田の陰謀か?
いやあり得ない。
奴がシナリオに介入するはずがない!
みかんが混乱していると病室のドアが開いた。
「あら、みかん。起きたの? あんた貧血で倒れたんだって。ママびっくりしちゃったわ!」
病室に入ってきたのはみかんの母親だった。
「え、そうなの? ママごめんなさい」
ごく自然に返事をした。
現在の斉藤みかんである菊池はもう通算で100年以上も斉藤みかんとして生きている。
男として生きた19年の何倍もの時間を斉藤みかんとして過ごしたのだ。
もはや自分が男という認識すら消えてしまっていた。
「もー気をつけなさいよ! 亮ちゃんが聞いたら心配して倒れるわよ」
飯塚亮の名前を聞いた瞬間、みかんの中で感情の激流が起こった。
涙があふれそうになる。
会いたい。
飯塚亮に会いたい。
それは100週を経過した斉藤みかんの絶望の果ての感情だった。
だが同時にシナリオライター菊池としての意識がそれを必死に拒んだ。
このままでは自分は完全に斉藤みかんになってしまう!
それだけはダメだ!
早く元の世界に帰らねば!
菊池は必死に感情を抑える。
「ちょっと、みかん何があったの!?」
斉藤みかんが、みかんと菊池の間で葛藤を続けていると、母親の声が聞こえた。
「……うん。なんでもない。ちょっと友達に電話してくるね」
「亮ちゃんに電話ね。はいはい」
みかんはベッドの脇にあった携帯を手に取ると談話室へ急いだ。
みかんの中の菊池の部分は激しく動揺していた。
今回のこの世界は危険だ!
このままでは菊池が消滅してしまう!
完全に斉藤みかんになってしまうのだ。
その前に元の世界へ戻らねばならない。
脱出組の仲間に電話しなければ!
みかんは菊池として行動をはじめた。
◇
菊池は携帯から電話をかけた。
それはIP電話の電話番号。
脱出組の仲間への緊急連絡先である。
過去数度、後藤の魔の手から逃れることができた実績がある連絡先だ。
(もっともその場合でも斉藤みかんは結局のところ無残に死ぬことにはなるのだが)
例えそうであっても今回も脱出組に頼らなければならないのだ。
今回もこの番号は使えるに違いない。
電話の呼び出しコールが鳴る。
菊池の心臓が高鳴る。
数回の呼び出し音、そして電話が繋がった。
「はい。有限会社ネイキッドランチ……」
「私です。斉藤……いえ……菊池です」
「菊池か。……今回は早いな……いやそれも仕方ないのか。……伊集院明人がバグを起こした」
「知ってます」
「俺たちの考えた設定がぐちゃぐちゃに壊されている! クソッ! 何がどうなってやがる! あークソッ! スパイってなんだよ!」
「スパイ? マフィアではなく?」
伊集院明人がスパイであることは菊池もみかんも持っていない情報だった。
みかんの見た伊集院明人は確かに化け物じみた強さだった。
だがスパイというのはどういう意味なのか?
菊池には理解できなかった。
菊池の知る限りでは伊集院明人は犯罪組織とコンタクトを取っているはずだ。
「英国のダブルオーでCIAのスパイで埼玉県警のエージェントだ」
「ふざけてるんですか?」
確かに統一されたシナリオでは、そういう異能者がごろごろしている世界であるという設定だった。
そうでなければ超能力少女などの安易に考えたキャラを登場させられないからだ。
それを考えても今の明人の経歴は異常だったのだ。
「ふざけてなんかいない! お前も知っているな? 数十回前に突如現れた異能者。ライアンの存在を……」
「ええ……私たちの誰もが作っていなかったキャラですね」
「なぜか伊集院明人がライアンの弟子になった」
ド○キャス仮面、ライアン、ある日モブキャラが異常な変化を遂げる現象は過去数度報告されていた。
だが伊集院明人のようなメインキャラの変化は初めてである。
「……何が起こったんですか?」
「わからん。……いや違う。俺たちの今までの努力が実を結んだに違いない。今度こそ俺たちは戻れるんだよ! なあ菊池! この世界を滅ぼして元の世界に戻ろう!」
それは異常な発言だった。
だがその発言に至るまでは、血のにじむような苦労があったのだ。
通算して100年もこの世界をさ迷っている制作者たち。
後藤以外は皆、一度はヒロインたちを助けようとした。
それが元の世界に戻る方法に違いないと考えたからだ。
だが彼女たちがシナリオから外れた瞬間、訪れるのは理不尽な死だった。
別の事件での殺害、交通事故、心臓発作、突然の病死……
数十回もの失敗を経た彼らは覚った。
ヒロインを救うことはできないと。
すでにシナリオは確定している。
そこに元の世界に戻るルートは存在しないことを確信した。
そして別のアプローチを試すことにしたのだ。
それは原作に存在しないルートを開拓すること。
しかし生半可な変化は容易に軌道修正されてしまった。
数十回の試行錯誤を経て、彼らは国内外のテロリストや犯罪組織とコネクションを持つためのイベントを発生させる方法を発見した。
新しいルートの確立である。
そこに至って彼らは確信した。
救うことは不可能なのだと。
そして世界が許容するのは破壊だけなのだと。
目指すは世界の滅亡ルートなのだ。
「わかっているな菊池。もう俺たちにはこの世界に殺されるか……それともこの世界を殺すかしか選択肢がないんだ……菊池いや斉藤みかん。ルートを外れたお前はじきに死ぬ。その前に手を貸してくれ」
電話の主は狂気をはらんだ声でそう言った。
◇
爆弾での脅迫のせいで明人たちは未だに学校から動けずにいた。
酒井は警察の命令を無視して動くつもりのようだが、それでも警察車両の手配が遅れている。
明人たちが無為な時間を過ごす中、ジェーンはCIAと連絡を取って諜報活動を開始していた。
夕日が差し込む教室。
その中で明人とジェーンは二人きりでいた。
とは言ってもジェーンはCIAと連絡を取っている。
山田も公安に報告をするために廊下に出ていた。
やることがないのは所属のない明人だけだった。
「うんわかった。ありがとホセ。ロブにもお礼言っておいて。うん。バーイ」
「ジェーンたん……電話を切る前にご褒美をはぁはぁはぁ……」
「今すぐペーパーナイフでチ○コ切り落とせクズ」
「ひゃっふー!!! ご褒美キタアァァァァッ!」
ジェーンの凄まじい罵倒を聞いて明人は「あの二人はジェーンの教育に悪いよな?」と思っていた。
その視線に気づいたジェーンが明人に声をかけた。
「明人。ロブがニューヨークに仕掛けられた爆弾はだいたい場所がわかったって」
「そうかそれはよかった……それにしてもジェーンの子分の二人……よくダンが同じ職場にいることを許したな……」
「ふえ? 子分? 違うよ。二人とも、もともと私の先生だよ」
「うん?」
「FBIに入局してからしばらくはあの二人のアシスタントをしてたんだ。あの二人さあ、見た目は終わってるけど腕は確かだよ」
それは初耳だった。
明らかにジェーンにあごで使われているあの二人がジェーンの先生だというのだ。
明人が素直に驚いていると山田が教室に駆け込んできた。
「ロサンゼルス市で爆発事件だ。ビルが倒壊したみたいだ! テロかもしれない!!!」
実は犯人は飯塚である。
まだこのときは飯塚の犯行であることは誰にも知られていなかったのである。
「お姫様。どうして逃げようとしたの? 君は永遠にボクの側にいればいいんだ! ねえ愛してる! 愛してる! 愛してる!」
その時、突如ヤンデレ男の声が響いた。
「おっと着信着信」
それはジェーンの携帯の着信音であった。
ダンが聞いたら自分を責めてむせび泣くだろう。
「ういーホセ。どうしたん? え? 何? フリーネット?」
ジェーンが携帯を持ったまま、明人と山田の方を向いた。
「ねえ明人さいたまタワーって知ってる?」
さいたまタワー。
東京スカイツリーの第二候補として計画されたは巨大建造物である。
明人のいた元の世界では14万世帯への電波障害が懸念され、結局、本命の東京都墨田区に東京スカイツリーが建設されることになり計画は消滅した。
またその後、高層ビルやサッカースタジアムを建設する計画である『MNDさいたま』が決定されたが、それもリーマンショックにより白紙撤回。
現在では病院建設の計画が進められている。
だが、らめ(略)の世界においては県知事が強引に建設を進め、鉄道博物館とともに埼玉の名所となっていた。
「ああ。さいたま新都心駅の近くだ」
「そこに爆弾が仕掛けられたって……フリーネットに犯行声明が……」
二件の爆発事件。
そしてまだ明らかになっていない米軍赤坂プレスセンター襲撃。
この時はまだ伊集院明人はその先にあるものを知らなかった。




