飯塚 ~怒りの埼玉~
ダンによる肉体言語を用いた破天荒な演説の直後のことだった。
「おいーっす。ダン。アルカイダの残党潰したぞ!」
最強の自由人が副大統領に直接電話をかけていた。
副大統領であり、次期アメリカ大統領であるダンもそんなことは気にしない。
理不尽すぎる存在の行動は考えるだけ無駄なのだ。
「いつもすまないライアン」
「なあにいいって事よ。それより予言の破壊へのバックアップは今まで通り頼むぜ!」
「勿論だ。なんせあの葉ダニ野郎は娘婿になる可能性が……CIA長官……元はと言えばお前がジェーンに明人を籠絡しろなんて命令を出したから……おどりゃあああッ!」
「っちょ! っちょっと! ダンやめろ! 椅子を投げるな!!! 俺もジェーンに脅迫されてたんだって! っちょ! 机を持ち上げるな!!! ら、らめええええええぇッ!」
ライアンの耳に何かが壁に当たって壊れる音とCIA長官の命乞いが聞こえてきた。
「おーいダン。遊んでるなら切るぞー」
「あークッソ! 長官逃げるなよ! 逃げるなよ! いいな! おー、ライアンすまん。で、新しい弟子の仕上がりどうなんだ? 明人のサポートに回ったんだろ?」
「あー……あのな。麗華っちは良くも悪くも優秀だぞ……でな、亮ちゃんな……あのな、アイツ明人より危険だから」
「え?」
「あー! オレ今から次のアルカイダ潰さないと! じゃあ電話切るぜ! バーイ!」
「おい!次のアルカイダって!?」
ライアンは何かを触れられたくない傷に触れられたかのようにムリヤリ通話を切った。
ダンは一瞬呆気に取られたが、すぐにCIA長官に指示を出した。
「娘の同級生の飯塚亮を調べてくれ。何もかもだ!」
あのライアンが『危険』と言ったのだ。
何かあるに違いない。
ダンの胸がバクバクと高鳴っていた。
◇
ドリ○ャス仮面の暗黒のフォースをかいくぐった二台のベンツが陸王を追いかけていた。
それを飯塚は必死に赴くままに振り切ろうとしていた。
「ちょっと、飯塚! 追いつかれてしまいますわ!」
田中麗華が叫んだ。
だが飯塚は無言だった。
運転スキルのない飯塚には言葉を返す余裕などなかったのだ。
麗華はベ○ツの中から男が身を乗り出し銃を構えるのを発見した。
「飯塚! AK!」
AK47が二人を狙っていた。
アフリカではさんざん苦労させられた銃だ。
見間違えるわけがない。
「会長。手裏剣!」
「この距離で届くわけないでしょ!」
「じゃあ分銅!」
「もっと届かないわ! あなた忍者を何だと思ってますの! だいたい遠距離はアナタの間合いでしょ!」
「じゃあ運転交代してください! たしか免許持ってるでしょ!」
飯塚はそう言うとハンドルを離しスルスルとサイドカーへ乗り込んだ。
麗華もあわてて陸王へ飛び乗りハンドルをつかんだ。
麗華も一応は二輪の免許は持っているが家が送り迎えをしてくるため、ほとんどペーパードライバーである。
それでも必死になってハンドルを握る。
麗華の耳に映画の効果音より幾分か重い銃声が聞こえた。
避けようと無理矢理ハンドルを切った車体が大きく揺れる。
幸いにも銃弾は命中しなかった。
だが麗華を焦らせるには充分だった。
麗華の心を表したかのように車体が揺れた。
飯塚は揺れを気にすることなく、一心不乱にサイドカーの中にあったバッグを漁る。
目的のものは底の方にあった。
飯塚は急いでケースから折り畳まれた弓を取り出す。
それは照準器も安定器もないいわゆるベアボウ。
アフリカでの『オペレーションわらしべ長者』遂行中に敵兵から奪った品である。
飯塚はアーチェリーの経験はない。
弓の簡単な扱い方だけはライアンが教えてくれた。
それ以外はいきなり放り込まれたアフリカでの実戦で培われたものだ。
アルミ合金のハンドルの弓をつがえ弦を引く。
カーボン製のリムが歪み手に負荷がかかる。
飯塚の腕と肩はどこまでも緩められ、手だけが弦を引いているかのようだった。
飯塚は弓を引いたまま集中をするために長く呼吸が消えるまで息を吐く。
バイクが風を切る音が聞こえた。
飯塚は車体や小銃を構える男ではなく全体を眺めた。
まるで自分がそこにいないかのような感覚が飯塚にわき上がった。
火を噴く小銃が見えた。
すると乱暴に視界が揺れた。
麗華がハンドルを切ったのだ。
麗華が何かを叫んでいたが今の飯塚の耳には入らなかった。
そこまで集中していたのだ。
だがまだ足らない。
飯塚は何も考えず、まるで自分を消すかのように弓と一体となる。
髪の毛の先を銃弾が掠めた。
飯塚は銃弾をまるで路傍の石であるかのように気にもとめない。
それよりも射ることの方が大事だった。
全ての思考が消え自己が世界の中で無になった瞬間、飯塚は矢を放った。
すでに決まった結果への課程。
理合を感じたのだ。
矢が人間の目では見ることのできない速度で何度もしなりながら飛んでいく。
回転しながら突き進む矢が小銃を構えた男の肩に突き刺さった。
コントロールを失った小銃が火を噴きながら空へ弾をばらまき、倒れた男は車外に投げ出された。
飯塚は結果など気にもとめず、機械的な動きで二本目の矢をつがえ矢を放つ。
二本目の矢もうねりながらベンツのガラスへと突き進みガラスが音を立てながら砕けた。
飯塚の放った矢はフロントガラスに穴を空け運転手の肩を貫いていた。
運転手の男が痛みのあまり悲鳴を上げた。
その瞬間、コントロールを失った車体が左右にぶれながら縁石に乗り上げ、そして飛んだ。
スピードを乗せた自動車が空中で回転しながら墜落した。
残るは一台。
「会長。鏑矢使います」
飯塚が感情も込めずにそう言った。
「あまり残りはありませんわよ!」
「大丈夫です。外しませんから」
そう言うと飯塚はバッグから先端に丸い鏑がついた矢を取り出し、弓を引く。
遠くにいた二台目が一気に加速してくるのが見えた。
飯塚は息を吐きまたもや無になる。
追手の自動車のフロントガラスが突然割れ、助手席に小銃を構えた男が見えた。
不安定な足場ではなく、ある程度命中力を確保できる姿勢で狙うためにわざと割ったのだ。
助手席に座った男が小銃を撃った。
同時に麗華がハンドルを切った。
サイドカーに銃弾が掠めるキュンという音が飯塚の耳に響いた。
その時、飯塚は自身の額に水滴のようなものが当たったような気がした。
それは小銃の射手の殺気。
狙われている。次は当たるに違いない。
飯塚は冷静にそう判断した。
ナイフを首に突きつけられているかのようなプレッシャー。
それををものともせず、飯塚は斜め上方に矢を放った。
同時に麗華がハンドルを切り飯塚のすぐ近くを銃弾が掠めた。
そこは飯塚の心臓があった場所だった。
弧を描き空気を切り裂きながら、矢が飛んでいく。
そのまま、猛烈な勢いで追いかけてくる自動車のフロント部分に矢が当たる。
その刹那、矢が爆発した。
車のフロント部分が爆風で持ち上がる。
そのまま後方に回転しながら自動車が宙に飛んだ。
鏑矢の先端に田中一族特製の爆薬が取り付けられていたのだ。
空中で乗員たちが車外に投げ出されるのが見えた。
死人は出ないだろう。
大怪我はするかもしれないが。
そう結果に満足する飯塚の目にガス管工事を知らせる看板が目に入った。
飯塚の額に冷や汗が滴った。
無人の自動車は炎を上げながら、回転しながら宙を飛び、工事のフェンスを突き抜けた。
爆発、そして炎上。火柱が上がるのが見えた。
飯塚が呆然としていると工事現場のすぐ近くの建設途中のビルからも火の手が上がった。
ガス管に引火したのかもしれない。
ビル建設現場のフェンスが大きく吹き飛び地響きがした。
飯塚の目にはるか後方でゴゴゴゴゴという音を立てながらビルが倒壊していくのが見えた。
「あっれー?」
呆然とする飯塚に麗華が怒鳴った。
「なんであなたが矢を放つと必ず爆発と破壊が起こりますの! アフリカでも散々ライアン先生があなたの矢から逃げ回ってましたわ。だいたいね! あなた石油プラント丸ごと燃やしたの懲りてないでしょ!」
「正直ボクにもなにがなんだか。反省はしてるんですよ! でもいつも映画みたいな事になっちゃうんです!」
涙目で必死に反論する飯塚。
必死さに反してその説得力は皆無である。
「あなたそれでよく死人を出しませんわね……あなたの矢での二次被害を出した場所はいつも都合良く無人ですし……」
建設中のビルが完全に倒壊し粉塵が舞っていた。
それを眺めながら田中が呆れたようにそう言った。
◇
斉藤みかんは一人下校していた。
飯塚亮が海外旅行に出かけてしまったからである。
普段なら気落ちするところだが今は正直なところ助かっている。
飯塚にどんな顔をして会えばいいかわからないからだ。
ここ数日、みかんは上の空であった。
伊集院明人。
彼は恩人である。
みかんの事を助けてくれたばかりか飯塚のプライドをも守ってくれた。
子供番組の正義の味方というのは本当に存在したのだなとみかんは思った。
彼を見ると心がざわつく。
最初は助けてくれた恩人だから少しだけ気持ちが揺らいだのだろうと思った。
そういうことは珍しくないと本には書いてあった。
確かに明人は女性にモテそうな勝ち組の男子に思えた。
小説などにあるように他の男の子の方へ心が揺らぐこともあるのかもしれないと、みかんは思った。
だがみかんには飯塚を裏切る気はさらさらなかった。
伊集院明人にはみかんは必要ではないが飯塚亮にはみかんが必要だ。
自分を必要としてくれる人の側にいる事の方がみかんには価値があったのだ。
そう納得していたみかん。
だが、納得していたにもかかわらず心がざわつく。
これが恋ではないと理解したのは数日前だった。
授業中に教科書を読む伊集院明人を見た瞬間にふと頭の中に声が聞こえた。
彼は敵だ。
馬鹿馬鹿しい。
彼は自分たちを助けてくれたのに。……でも。
みかんはそう無理矢理納得しながらも根拠のない不安に支配されていた。
数日たったというのに下校途中の道ですらもその考えは頭から離れなかった。
みかんは頭を抱えた。
なにせ女の勘という根拠すらないのだ。
二年生の三島花梨への態度を見ても悪い人間ではない。
むしろ誠実な人間だ。
態度も紳士的だし常にこぎれいで、『不潔だから生理的に受け付けない』ということもない。
飯塚が彼に心酔していることは多少気になるが、嫌う理由などないはずだ。
自分はいつからこんなに嫌な人間になったのかと彼女は心の中で深く悩んだ。
そしてその悩みは突然終焉を迎えることになる。
考えながら家路をみかんは歩いていた。
道の先に20代くらいの男が立っているのが見えた。
それはまるで芸能人のような派手な格好をした男だった。
中学生の男の子がオシャレをしようとしてやり過ぎたような服装の男。
露骨なまでに周囲から浮いている。
そんな男はスマートホンをいじっていた。
比較的人通りの多い道である、みかんは男を特に警戒することもなく、横を通り過ぎようとした。
その時、男がいきなりみかんに話しかけてきた。
そのまま、みかんの進路を妨害するかのように立ちはだかる。
「やっぱり……今回は無事なのか! 手を貸してくれ! 今回のこの世界は何もかもがおかしい。今度こそ元の世界に帰れるかもしれない!!!」
「だ、誰? なんですか?」
みかんは困惑した。
男はまるで旧友に話しかけるかのように馴れ馴れしい。
嫌がるみかんを無視して肩を掴み興奮した様子で話しかけてくる。
「今度こそ元の世界に戻ろう。なあ菊池!」
菊池と呼ばれた瞬間、みかんの意識は暗転した。




