雪上車
ブリザードが止んだのを見計らって、明人たちは出発した。
キャタピラのついた雪上車を藤巻が運転していた。
実は藤巻は重機の操作も得意である。
工場の敷地内でフォークリフトやらトラックへの搬入やらをしていたのだ。
なのでコンピュータに出会うまでに自動車窃盗で稼いでいたジェーンが「この車は盗んだことがない(運転したことがない)から運転してみたい」と主張したが、全員一致で却下された。
「ぶー。ダブルDは自動車泥棒の天才って褒めてくれたんだよ!」
「あとでその野郎の居場所教えろ。殴ってくるから」
ふくれるジェーンに明人は言い放った。
助手席でナビをしていた上野もうんうんと頷きながらライフルのマガジンを交換する。
藤巻がニヤリと凶暴な笑みを浮かべ、レイラが両手に持ったナイフをしゃりんとこすり合わせ、飯塚は無表情で爆薬を弓に取り付け、山田がちゃきんと鯉口を鳴らした。(みかんと田中、動けない加納、そして彼らを護衛するライアンは後方で待機している)
全方位を犯罪者で固められた幼少期を過ごしたのもジェーンの人格を歪ませた原因の一つだろう。
上野のように人類の滅亡回避というある程度の合理的理由があったわけではない。
ただ単に育った場所と運が悪かったのだ。
ジェーンがそういうふうに育ってしまった過去は取り戻せない。
だが、これから関係者に落とし前をつけさせることはできる。
そして車内の会話はCIAやら軍も固唾を飲みながら傍受していた。
強行突入のため常時回線はオープンにされていたのだ。
同時にその内容はデジタル回線でダンの下へも送られていた。
財団のトップであるジェーンは将来高い確率で政府で高い地位に就くと予想されている。
けっして親が大統領だからという理由ではない。
未来の技術を独占しているという本人が反則クラスの能力を持った人材だからだ。
たった一人で技術革命を為し得るジェーンを囲い込まない政治家がいるはずがない。
誰もが、どの派閥も仲良くしておきたい人物なのだ。
そんなジェーンの政治的な弱点、それはストリッパーだった母親ではない。
それは大統領であるダンが自ら告白して情報は知れ渡っている。
すでにノンフィクションの本が複数発売されているほどだ。
だが、それ以外が致命的だった。
サイバー犯罪での逮捕。
それ以前の自動車窃盗や各種犯罪への荷担。
それどころかジェーン本人は知らないが、ジェーンはギャングのメンバーでもある。
しっかりメンバーに組み込まれていたのだ。
当時ジェーンが作った送金システムは未だに麻薬や売春に使われているほどなのである。
もはや若いときのヤンチャではすむレベルではない。
捜査機関や諜報機関での奉職で刑事事件での訴追こそされないが、政治家としては致命的である。
刑事行政機関の職員としても裁判所の証拠採用で不利になることも予想される。
その過去を知っているものは無条件で排除しなければならないのだ。
ダン個人の娘を守りたいという親心だけではない。
国益のためでもあるのだ。
近いうちに彼らにダブルD一味掃討の指令が降りることだろう。
しかも危険人物である明人一味にも個人的に恨みを買った。
こうして本人の知らない間に小悪党に死亡フラグが立ったのである。
そんなやりとりをしながらも、明人たちは順調に進んでいた。
明人たちの雪上車の後方に兵士たちが乗った数台の雪上車も随行していた。
車内で男たちが話をしていた。
「まったく……あそこにいるのはガキどもなんだよな……」
「だな」
「俺たちだけでどうにかできないのか? 大人として」
「無理……だな。そう思ったヤツらは全員棺桶の中だ」
「……確かに連中はレールガンまで持っているからな」
「俺はヒーローになりたいって思ってた」
「俺もだ。大学の奨学金目当てじゃなけりゃみんなそうだろ?」
「ああ、でも現実は……」
「まあな……」
男たちが口ごもる。
現実はアメコミのヒーローのようにはいかない。
彼らはそれをよくわかっていた。
それがわかっていたからこそ明人たちが羨ましかった。
二人はため息をつく。
その次の瞬間だった。
地面が揺れた。
車両の中のはずなのに、それははっきりと感じられた。
地震?
いや違う。
それを察したときには遅かった。
地面だと思ってたもの。
それは氷の塊だった。
それが車両の前方から崩れていったのだ。
低い轟音を立てながら崩れていく音が内蔵まで響く。
「く、クソ!」
慌ててドライバーがハンドルを切る。
細かい氷の塊が舞い上がりまるで霧のように視界をふさいだ。
間一髪かわした。
だが、そう安堵したドライバーの目に明人たちの車両が氷の霧の中に消えて行くのが見えた。
「お、おい! 大丈夫か!? 返事しろ!」
無線に向かい大声を上げるが応答はない。
大統領の娘が死んだ。
ドライバーは思った。
だが、それと同時に救助せねばとドライバーは思った。
車両が引き替えしていく。
「た、たいへんだ」
ドライバーの顔が真っ青になり、胸がドキドキと高鳴った。
◇
氷が降り注ぐ。
「ぬおおおおおお!」
冷静なようで案外冷静ではない上野が叫んだ。
レイラは地味に固まり、山田はうわーいと楽しげな声を上げた。
だが、藤巻は冷静だった。
「Uターンしてる時間はねえ! 直進する」
そう言うと全速力で氷の中を突っ走った。
屋根に氷がぶつかる音が響く。
無線からはノイズだけが聞こえる。
「あ、飛んだ」
突如、藤巻が冷静すぎる声でつぶやいた。
そしていきなり車両が重力から解放される。
車両が下に落ちていくのだと全員が理解した。
「ふ、藤巻てめえええええええええええええ!」
キレた飯塚が叫ぶ。
ふわりと車内の全員の体が浮く。
「んみゃああああああああああああ!」
ジェーンが悲鳴をあげた。
どすん。
今度潰されるかのような重力に襲われる。
案外、時間は短かった。
実際、たいした高さではなかったのかもしれない。
「ぬおおおおおお! 尻が! 尻があああああああ!」
ジェーンが尻を押さえながら悶絶する。
「おう、ジェーンちゃんすまねえ」
「藤巻さん。走れるか?」
「あ、ああ。エンジンはかかる。問題なさそうだ」
「後続と分断されたな……」
「ああ、ここからは進藤の領土ってことだろうな」
「キャタピラの確認もしなきゃな」
「最悪の場合は後ろに詰んでいるスノーモービルを使わねばなりませんね」
先ほどの悲鳴はなかったことにして上野がいつものように冷静に言った。
「まあ、大丈夫だと思うぜ」
そう言うと藤巻はレンチを片手に外に出る。
外はもう氷は降っていなかった。
車両の知識がある明人とジェーンも外に出る。
三人はレンチでキャタピラを軽く叩き異常がないか調べる。
幸いなことに、ひしゃげていたり抜けている箇所はない。
「大丈夫そうだな」
「ああ」
「死ぬかと思った……まだ尻が痛え……」
それはまさに幸運だった。
転がりながら落ちていってもおかしくはなかった。
腹をくくって突っ込んだのだ幸いしたようだ。
雪上車の屋根には氷が突き刺さっている。
明人はそんな痛々しい姿を晒す雪上車を眺めながら思った。
確率的にありえない。
運が良すぎる。
まるで運命に誘導されているようだ。
なにがここで起こっているのだ?
またもや難しいことを考える明人。
だが長く考える時間はなかった。
ジェーンが悲鳴をあげたのだ。
「あ、アキト! その手! い、いやああああああああッ!」
「ん?」
明人は自身の手を眺めた。
左手が透けている。
「うん?」
もう一度見た。
やはり透けている。
「うわっ! ちょッ!」
どういうことだ?
明人は思った。
それは映画で見たことのある現象だった。
タイムパラドクス。
時間に反したのか?
いやまだ決まったわけではない。
そもそも、これは運命に動かされているのではないか?
明人は混乱した。




