昭和基地
昭和基地。
南緯69度00分、東経39度35分に存在する日本の観測拠点である。
建物の数62棟、総床面積7000㎡超。
『東京』なのに千葉県にあるネズミパークの3倍以上の広さである。
隊員個人に約四畳半の個室を完備。
風呂トイレ共同。
ネットあり。
半分ヤクザのような風体のセールスマンによる新聞勧誘がないため、学生街の安アパートより住環境はいい。
外に出るには無線が必要である。
無線がなければ例え10メートル先でも遭難して凍死する恐れがあるからだ。
やはり極地というのは一歩間違えば死に直結するのだ。
何人も寄せ付けない極地の冬。
明人たちはその極地の最前線
そこに明人たちは来ていた。
まずはここで調査をするべきだと判断したのだ。
もちろん極地用の装備を拝借する目的もある。
基地の中には財団の学者と多国籍軍がいた。
彼らは軍属とはいっても治安組織からの出向者を中心に組織されていた。
学者もまた同じである。
彼らは調査を続行していた。
明人たち男子も調査を手伝っている。
といっても専門家がいる以上、アルバイトレベルの仕事しかできない。
具体的には荷物の運搬、医薬品や食料などの備品のチェック、照明器具やボイラーの動作チェックなどである。
明人は照明器具とボイラー、飯塚は荷物の運搬とチェックである。
実家が自動車用板金工場である藤巻は、そこに車両の動作チェックなどが加わる。
完全にアルバイト気分である。
猫の手とも言えるだろう。
ジェーンや上野、レイラたちのように専用端末が与えられるわけではない。
戦闘しかできない脳筋はこういうときに役に立たないのである。
同じくスキルがあまりない田中は基地の個室で休んでいる。
脳を酷使しすぎて動けなくなったのだ。
一見、役立たずに見える山田とライアンは捜査や証拠収集にかり出されている。
二人とも人格に問題を抱えてはいるが、能力は高いのだ。
基地の一施設、情報処理棟ではジェーンがぼやいていた。
ジェーンの後ろには着ていた真っ赤なコートがハンガーで吊されていた。
よく見るとファーや表面がぼろぼろになっている。
「死ぬかと思った……あったくよー。だまされたぜ。『暖かいですよ』って言うから200ドルも払ったのに。一発で壊れたじゃねえか!」
ジェーンは、頬を膨らませていた。
真っ赤なコートがぼろぼろになっているのには理由があった。
あまりの寒さに繊維が壊れたのだ。
最近ようやくファックとかキルと書かれていない服を着ることを覚えたジェーン。
だがまだジェーンは品質の良しあしはわからないのである。
「だから毛皮じゃないと死ぬと言ったのに……」
レイラがぼそりとつぶやいた。
レイラは工作員訓練施設出身のためか妙に面倒見がいい。
ジェーンや上野とは趣味が似ているせいか、まるで姉妹のようである。
「毛皮だと思ったんだもん!」
ジェーンは膨れながら一生懸命言い訳をする。
最近小ぎれいになったと言ってもまだこのレベルである。
「タグにナイロン、ポリエステル、ポリアクリル、ポリ塩化ビニルって書いてある毛皮があるか!」
「ぬお! そんな巧妙な罠とは!」
罠ではなくただの不注意である。
「だから買うならあらかじめ寅○で作業着を買えと言ったのだ!」
作業服の一大ブランドである。
ちなみに化学繊維100%なのでそれも適さない。
つまり冗談である。
「一人で店に入れねえ!」
寅○が作業服なのは知っていても、レイラの冗談を判別するだけの知識はなかったジェーンは素で反論する。
「作業服のアルマー○をバカにするなー!」
レイラがキレる。
テンションがおかしい。
「そうですよ! 12年後には地下足袋の力●とともに世界的アパレルブランドとしてショッピングセンターに必ず入ってるんですからね」
上野はえっへんと薄っぺらい胸を張った。
「え……?」
「え……?」
レイラとジェーンはお互いを見合わせる。
とんでもない方向からとんでもない情報が飛んできたのだ。
「い、今なんつった?」
「クールジャパンを背負った世界的アパレルブランドとして……」
「マジで?」
「なんですかその顔は! 12年後の海外のアーティストはニッカポッカに地下足袋ですよ!」
嘘である。
嘘に違いない。
嘘でなければならない。
「……」
レイラとジェーンは上野に冷たい視線を送る。
その目は「ねえよ!」というものだった。
「う、嘘なんてついてませんからね!」
その上野の必死さに二人は嘘だと言うことを確信した。
上野はまだしもレイラは嘘をついて人をからかう人間ではない。
あまりの寒さにレイラも上野も精神が壊れかかっているのだ。
外の気温はシベリア生まれのレイラも、極地探索型強化人間の上野も耐えられない寒さなのである。
「ところで……なにかわかったか?」
レイラは仕事の話に話題を変えた。
「リアルタイムの監視カメラの映像を見ているところ。やっぱり人っ子一人いない」
「施設は?」
「それは上野ちゃんが見てる」
「エアコンや水耕栽培システムの数値は異常なしです。センサーもエラー吐いてません」
「手がかりなしか」
「いえそうでもありません。異常が出てないってことはこの施設が無人になってからそう時間は経ってないということです」
上野はいつものように無表情で言った。
人間の作ったシステムはつねにメンテナンスが必要である。
特に極地のしせつならなおさらである。
いつ壊れるかわからないのだ。
「ジェーン。監視カメラの録画分はどうだ?」
「見てるけど丸一日分消えてる。進藤の目的はわからずじまい」
ジェーンがぼやく。
「PCにもそれらしき研究はなし。なんだろうねえ……まあいいや。報告報告」
そこまで言うとジェーンは持ってきた袋から自分の頭ほどの箱を取り出した。
「なにそれ?」
「うん。先生が大戦のときにくすねて来た日本のテレタイプ暗号機。エニグマ互換なんだってさ」
そう言いながらジェーンは機械に電話線を繋ぐ。
「エニグマ? ってあのナチスのか!」
「そそ。ここから先は傍受されてるから普通方法じゃ相手に筒抜けだと思うんだ。普通のやり方ならね」
そう言うとジェーンは邪悪な顔で微笑む。
エニグマはナチス・ドイツの作った機械式暗号である。
暗号自体は現在の暗号方式に劣るが、ローテクですでに廃棄されたもの故に逆に解読が困難である。
2006年にコンピューターが暗号を解読したが、その方法は分散型コンピューティングによるブルートフォースアタック、つまり大量のコンピューターによる力技、総当たりでの解読だった。
それも一ヶ月以上の時間をかけてのことである。
進藤といえどもエニグマの解読プログラムは用意していないだろう。
つまり、ローテクでもかなりの時間を稼ぐことができるのだ。
「なあに。まさか向こうもエニグマで通信してるとは思わないでしょ。うけけけ!」
「ちょっと待ってください……先生って?」
「別名ドリキャ●仮面。財団の大口スポンサーだよ」
ジェーンはローテク技術を学ぶために工兵の訓練を受けていた。
つまり第二次大戦当時に工兵をしていた人物である。
「っちょ、ものすげえスキャンダルじゃないですか!」
「え、でも某FPSのフレンド登録してるし、偽名使って動画投稿サイトにゲームの実況動画も投稿してるよ」
レトロゲームの実況で大量の登録ユーザー数がいると言われる。
聞かなければよかった。
上野とレイラは思った。
「あ、そうそう。ここはさ監視がゆるいからせっかくだし言うわ」
突然ジェーンがぼそりとつぶやいた。
キーを打つ音が響く。
それは現代のキーボードと比べて大きな音だった。
「監視ですか?」
「うん。エシュロンもプリズムもこの基地は重要じゃないと思ってる」
「どうしたジェーン。私に言ったら同じだろう」
レイラが呆れたという口調で言った。
「いいの。ネットワークに監視されてなければいいんだ」
「どういうことだ?」
「今さあ。ロブとボブがアタックかけてるんだ」
「どこに?」
上野はとりあえず聞いた。
いやな予感がしていた。
「ローマの銀行。よく考えても見てよ。クイーンテックだけじゃ原子力空母を買えるわけないよね? じゃあ資金源は?」
「……おいジェーン」
「一応言っておくけど、どこの国も私たちの国のトップも敵対はしてないと思うよ。パパもドリ●ャス仮面もね……」
「でも?」
「たぶん中から漏れてる。システムかもしれない。でもそれをするには昔から、少なくとも数百年単位で協力してる連中がいる」
「……おい」
「今回の件も動かされてる気がするんだ。運命とかじゃなくて人為的なものを感じる」
「陰謀論じゃないですか?」
上野が口を挟んだ。
「そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない」
「……じゃあ敵は誰だって言うんですか?」
「進藤だよ。今はね」
ジェーンはエニグマの送信ボタンを押した。




