氷山
氷山に空母が突っ込んだ。
がくんという衝撃とともに明人たちは揺れる。
いや宙に浮いた。
そのまま明人はコンクリートの甲板に叩きつけられる。
「ぐッ!」
全身が悲鳴をあげた。
明人が起き上がるよりも早く船が激しく揺れる。
フォークリフトが明人の方へ転がってくる。
「ふが!」
明人は必死になってそれを避ける。
フォークリフトが船から転落していく。
必死すぎて格好悪い声を出す。
(死ぬ。本気で死ぬ)
それが明人の偽らざる感想だ。
巨大な氷山への激突など全く想定外なのである。
なぜ動いていなかった船がこんなにも揺れたのか。
それは巨大な質量を持った氷山が凄まじいほどの勢いと速度でぶつかってきたからだ。
そして割れた氷が降りそそぐ。
ぶつかって割れた氷は雹どころの大きさではない。
ごとりとサッカーボール大の破片が明人へ飛んできた。
明人は必死になって逃げる。
船よりも大きい氷山の破片だ。
こんなものではすまない。
一つ一つが大きくしかも大量に降り注いだのだ。
「し、死ぬ!」
氷が降り注ぐ音の中でか細い上野の声が明人の耳に届いた。
すぐ近くにいる。
明人は必死になって前の見えないほどの氷とブリザードの中で上野の手を探る。
毛皮のコートの袖に手が引っかかる。
明人は自分の方へそれを引き寄せる。
華奢で軽い体。
上野だ。
「こ、今回ばかりは死ぬかと思いました……」
びしょ濡れになった上野は寒さのためガチガチと歯を鳴らしていた。
海水をかぶったようだ。
「い、今、船はどうなってる!?」
「わかりません! 吹っ飛ばされたと思ったら海水が降ってきました!」
「みんなは?」
「わかりません!」
次の瞬間、ぐらっと船が傾き、めきめきめきという音が響く。
それは金属がひしゃげる音だった。
「またかー!」
慌てて明人は上野を掴む。
明人たちは氷と共に甲板を滑っていく。
滑っていく中で明人の目にワイヤーが見えた。
明人はワイヤーを掴む。
二人はなんとか海に落ちずにすんだ。
「上野! あと何分動ける?」
そう言ったのには理由がある。
上野は海水を被ってしまった。
海水はブリザードの中で急激に固まり上野の体温を奪っていく。
このままでは死んでしまうだろう。
「極地型の強化人間を舐めないでください! あと30分は行けます!」
「いいから撤退するぞ! レールガンは壊せなかったが船は沈めた!」
「でも他の人たちは!?」
「ライアン先生がどうにかしてるはずだ! それに飯塚もいる」
その時だった。
「おい……レールガン破壊したぞ! 聞いてんのか?」
「ライアン先生!」
それはライアンからの無線だった。
◇
加納は転がっていた。
今回のメンバーの中で一番常人に近いのは加納だ。
明人すら立っていられないほどの揺れだ。
加納では抗う術はない。
ゴーグルをつけたままゴロゴロと転がっていた。
この状態では分身の操作などできるはずがない。
だが加納は自分のやるべき事を理解してた。
加納はこの世界では中学生である。
転生前の記憶もほとんどない。
彼が進藤に手を貸す理由はないように見える。
だが理由はあった。
彼は親もクラスメイトも偽物のように思っていた。
この世界に違和感を感じていたのだ。
自分の本当の居場所がどこにあるのか?
自分は一体何者なのか?
どうして帰りたいと思っているのか?
その答えを探していたのだ。
彼の薄れすぎてスパゲッティ状になった記憶では、彼はあの小さな会社で広報を担当していた。
WEBやショップ、雑誌に情報を送りアピールする仕事をしていた。
いや小さな会社だ。
誰が何を担当するという訳ではない。
広報もやっていたと言うべきかもしれない。
そこまでは覚えている。
あとはぼんやりと家族がいたような記憶がある。
他に覚えているのは会社が暴力団からお金を借りた。
そして会社を退職しようと思っていたことだけ。
その後なにかの原因でこの世界にやって来たのではないかと加納は推測している。
進藤たちが言うループの記憶はない。
いや、ループをしすぎて記憶が消滅したのかもしれない。
つい最近まで加納はこの世界を脱出したいと考えていた。
そんな加納に戻る方法を提示したのは進藤だ。
結局のところ加納は騙されていたのだ。
だが今はこの世界が少しだけ好きになった。
変なヤツらだが今の仲間は楽しい連中だ。
女装にこだわるのはやめて欲しいがそれでも上野やレイラといるのは楽しい。
学校でもいくらか話しかけてくれるヤツも現れた。
藤巻が不良時代の伝手で面倒を見てくれるように頼んでくれたのだ。
そのせいか学校も居心地が良くなった。
加納は藤巻に感謝している。
加納はすでにこの世界で生きる基盤というものを手に入れていたのだ。
もう加納は元の世界への帰還などどうでもよくなっていた。
この世界の人間として生きよう。
そう考えていた。
生きるために世界を破壊しようとする敵と戦わねばならないのだ。
そのためには何が起こったのかを知らなければならない。
加納はゴロゴロ転がりながらそれでも操作を開始した。
進藤は何かを企んでいる。
この船を見ればわかる。
派手すぎるのだ。
氷山に激突するのがわかっていながら冬の南極海で無理矢理航行。
航空機を排除して派手な兵器を積んでのパフォーマンス。
まるでこの船に戦力を集中させたいように見える。
おそらく蔡は切り捨てられたのだ。
蔡は目立つ人間だ。
大きな企業グループの総帥。
船を使っての堂々とした違法行為。
そして国際手配。
全てが派手すぎるのだ。
まるで生け贄のようだ。
加納も同じだ。
寝台列車の爆破。
研究所での立ち回り。
蔡と加納の口を封じて全てを押しつければいい。
全てが予定調和的に転がっているのだ。
そうしながらも進藤は伊集院明人へ情報を小出しに提供している。
ここに誘導するため?
氷山への激突まで予定に存在したとしたら?
加納はある可能性に辿り着いた。
ここで確定してないものはなにか?
船の沈没?
蔡の生死?
仲間たちの状態?
それとも……
「そうか! レールガンだ!」
加納は分身を操作する。
レールガンは今や目標から外れているのだ。
なぜあんなに大きなレールガンをつけたのだろう?
それが問題だ。
戦略を考えたらもっと威力抑えたものを複数配置すればいい。
ミサイルと同時に使用すればもっと効果的なはずだ。
つまりそれは悪意を持った誘導に違いない。
進藤はそこになにかを仕掛けているのだ。
必死になって加納は操作をする。
阻止せねばならない。
これは好意的な罠ではない。
今それに気づいているのはたった一人。
加納自身だけなのだ。
分身が走る。
あと数メートル。
その時、氷山から氷が降ってきた。
それを加納の分身は避ける。
だが、加納の本体は?
加納がそれに気づいたのと頭の上でガラスが割れたような音がしたのは同時だった。
次の瞬間、野太い声が聞こえる。
「おい加納、何があってもお前を守る! お前は作業を続けろ!」
それはライアンだった。
加納はもう一人ではなかった。
加納は自分の仕事をやり遂げればいい。
爆破だけを考えればいいのだ。
分身はついにレールガンの砲台へ肉薄する。
加納の分身が爆弾をセットする。
次の瞬間、それは起こった。
背中をなにかで殴られた。
それが刃物だと理解したのは一瞬遅れてからだった。
銃剣が加納の分身へ突き刺さっていた。
敵側の強化人間に銃剣で刺されたのだ。
加納は痛みには強い。
今まで分身は何度も殺された。
一瞬の痛みには耐性がある。
だが今度の痛みは格別だった。
危なくなったらやり直す。
それが今回はできなかったのだ。
銃剣を何度も突き刺される。
だが加納はあきらめなかった。
加納はどうしても守りたかった。
この世界を。
友人を。
上野を。
加納の分身は何度も刺されながらも、這って爆弾のスイッチを入れる。
そして一瞬の間を置いて爆弾が作動した。
レールガンは曲がり支えられなくなった本体がひしゃげて曲がる。
そして台座からちぎれたレールガンはそのまま落下、海の中へと消えていく。
海へと消えてからしばらくして海から水の柱が上がった。
船が揺れる。
「やっぱり爆薬仕掛けてやがったあの野郎!」
加納は満足そうに笑う。
最後までやり遂げたのだ。
加納はレールガンの最後を見届けると、痛みのあまり気絶した。




