井上の真実
日曜の朝。
明人は……
薄暗い玄関にいた。
明人の後ろで、母親のスヴェトラーナがオロオロとしていた。
玄関の照明が突然点灯しなくなったのだ。
工事も電気店に日曜の早朝だったせいか電話が繋がらず明人が修理をすることになった。
最近はLEDもいいものが出てきたなと思いつつ、電球を交換する。
スイッチを入れるが照明は明りを灯さない。
ここまでは予想していた。
次にスイッチのオンオフを繰り返す。
やはり切り替えの音が軽い。
「やっぱりスイッチだな……」
そう言うと明人はあらかじめ用意していた交換用のスイッチを取り出す。
「母さん。念のために電気落としますね」
所詮は素人工事だ。
感電しない自信はあるが、万が一があってからでは遅い。
明人は配電盤から玄関のブレーカーを落とし、玄関へ帰ってくるとドライバーを取り出した。
スイッチを取り出し、中の導線を外す。
明人は慣れた手つきであっという間に新しいスイッチと交換した。
ブレーカーを戻し、スイッチを入れると明りが灯る。
「やっぱりスイッチみたいですね」
明人はウンウンと一人納得した。
そんな明人を見て母親のスヴェトラーナは涙を浮かべる。
「さいきん凄くいい子になっちゃって……もうママ嬉しくて嬉しくて……」
わざとらしい仕草で涙を拭くスヴェトラーナ。
そんな母親の姿見て明人は困惑する。
「そんな大げさな……」
手先が器用で技術を持っているものが家族にいれば無料で奉仕させられるものだ。
よくあることである。
「あっくんは昔から不器用で粘土も絵も下手だったのに。学校のお友達がいいのねえ」
それを聞いた明人はぴくりと動きを止めた。
なにかがおかしい。
「不器用? 誰が?」
伊集院明人が不器用?
それを明人にも初耳だった。
「なに言ってるのあっくん? あっくんは昔から悲惨なくらい絵が下手で……心の闇が出てるというか……ほら、ママ子ども番組出てるじゃない? ……この子大丈夫かしらと本気で心配したわ……あ、……ごめんなさい。記憶がないんだよね……」
記憶がないのではなく、中は別人なのだからしかたない。
そう頭の中でぼやいた瞬間、ある疑問が頭によぎった。
なぜ自分は当たり前のようにそれを受け入れているのだろう?
自分は伊集院明人とは別人である。
それが前提だ。
ライアン先生や後藤も別人になった。
だからそれはあるだろう。
ではこの世界の元の自分はいったいどこにいるのだろう?
井上……
違うような気がする。
彼ほどの人間なら違う世界で引きこもりになるだろうか?
では自分は誰なんだ?
明人が難しい顔で考えているとインターホンが鳴る。
山田と田中だ。
それになぜか上野と加納もいた。
井上の家に行くので待ち合わせをしていたのだ。
明人が時計を見ると約束の時間より少しだけ早かった。
ちなみに単位が厳しい藤巻と出席日数が厳しい飯塚は勉強、レイラと斉藤はそのお目付役である。
ジェーンはテレビに出演している。
明人は自分の部屋で着替えをし、ついでに伊集院家で護衛兼英会話の教師というよくわからないポジションで離れに住んでいるライアンを呼ぶ。
明人がライアンと応接間に行くと山田が満足そうな顔でおやつを食べていた。
「あっくんが……こんな普通の女の子を連れてくるなんて……」
スヴェトラーナが涙を流す。
ちょっと待て!
山田で普通……だと……
それまで伊集院明人はどんな女を連れ込んでやがったんだよ。
明人はツッコミきれない。
そしてさりげなく加納が女の子にカウントされているのには触れない。
明人はスヴェトラーナを見る。
なんだか妙に機嫌がいい。
この表情をしているときの母親はろくな事をしない。
それを明人は経験から学んでいた。
嫌な予感がした明人は山田たちを急かした。
「じゃあ用意できたし行こうか!」
「ところであっくん……」
来た!
明人は思った。
やはりこの母親は、なにかを企んでいる。
「誰があっくんの彼女? 山田ちゃん? それともこのお嬢様?」
明人は盛大に噴き出した。
「お母様。全員が愛人です。かくゆう私も」
上野が適当なことを言いながら、いつもの無表情かつ棒読みのまま顔を赤らめる。
「うーえーのー!!!」
「いつものように首輪を付けて監禁しようというのですね……さすがビースト」
「ハラショー……」
上野のテロ発言を聞いたスヴェトラーナが呆然と呟きながら拍手をした。
「母さん違うから! 違うから!!!」
明人は慌てて否定するがもはや遅い。
その騒ぎに田中までもが参戦する。
「明人様。10キロ太ったら私を自由にしてくれていいんですのよ」
「うがああああああ!」
こうして上野のテロのせいで、疑問に思ったことが明人の頭から抜け落ちたのだった。
◇
「まさか井上に別邸があったなんてね……」
「私たちもびっくりしました。まさか戸籍の偽造までして隠してるとは……」
田中と山田が興奮したように言った。
特に田中は「どうだ!」とその豊かな胸を張っていた。
どうやらかなり苦労したようだ。
そこは東京都北区。
埼玉と東京の境である。
飲み屋街を抜け埼玉側に向かう。
途中、曲がりくねった路地に入るとそれはあった。
築三十年以上の古い一軒家がそこに存在した。
鍵はすでに入手していた。
新聞受けにはチラシだけが入っている。
新聞は購読していないようだ。
古い民家にも関わらず、扉は重く頑丈なもので、鍵はイスラエル製のディンプルキーが2つ必要だった。
やけに厳重な防犯対策がなされている。
明人たちが中に入るとホコリが飛んだ。
やはり人間が管理しないとあっという間に廃墟になっていく。
だがその時、明人の視界でなにかが光るのが見えた。
それはホコリがなにかの光源を通過し、光が反射したものだった。
「レーザー感知システムだ……」
明人は遮らないようにレーザーの下をくぐる。
手作りの装置が見えた。
装置はボードコンピュータと一体となっていて装置の先にはネットワークケーブルでインターネットに繋がっている。
回路を見る限りブザーを鳴らし、ネットでなにか通知するための装置のようだ。
爆発物などはなさそうだ。
だが外から電源を切断されたときの対策などが組まれているかもしれない。
そのままにしておくべきだと明人は判断した。
「とりあえず光を遮らないでください」
なぜここまで厳重なのだろう。
明人は首をかしげた。
居間に着くと、そこには資料の山があった。
明人はその中の一つを手に取るが全く理解出来ない。
文字は読めるが内容が理解できないのだ。
それは物理の専門教育が必要なレベルの資料のようだった。
それもあきらめずに明人はいくつかの資料に目を通す。
だが全くわからない。
明人はポリポリと頭をかいた。
明人たちが資料を漁っていると山田がフローリングの床に座り込んだ。
「飽きたー!」
「早ッ! 山田そこまで嫌なのか!」
「うんヤダ! こういうの嫌いー!」
どうやらこの駄犬は戦闘にしか向いてないらしい。
山田が仕事を放棄するとライアンも床に座り込んだ。
「うーん……手がかりがありすぎるが読み解くのは難しい……だな」
「ですねえ。しかたない専門チームを派遣してもらうしかありませんね……資料自体は大量にありますし」
「いっそビジョンで見るとか! あははははは!」
男二人があきらめつつある中、山田が軽口を叩いた。
すると明人とライアンが目を丸くしながら山田を見ていた。
「え? なに? どうし……」
「それだ!!!」
こうして山田の仕事は増えたのだ。
「疲れるから嫌なんだけど……」
山田がブツブツと文句を言った。
「なに食いたい?」
「うんわかった! がんばる!!!」
山田はノリノリでビジョンを発動させる。
ここ一ヶ月の訓練である程度はコントロールができるようになっていたのだ。
山田がビジョンを発動すると視界に井上が映った。
わざとらしい大きな動きで書類の隙間に円筒形の入れ物を置いたのだ。
「伊集院そこ。なんだっけ? 設計図入れる丸いヤツ」
山田が指し示す所を明人は探す。
図面ケース、いわゆるアートチューブがそこにはあった。
明人が中を開けると、そこには丸められたノートが入っていた。
明人がノートを開くと最初のページに万年筆の青いインクで文字が書かれていた。
異世界の俺へ。
これをお前が見つけたと言うことは、俺はもうこの世にはいないだろう。
もしかするとすでにこの世界にブラッドムーンが出現しているかもしれない。
俺はこの世界に飛ばされてしまった。
会長も上野もここにはいない。
もう帰還はできないだろう。
悔しいが次のお前に全てを託す。
キッチンの収納ボックスの中にPCを置いた。
お前ならパスワードはわかるだろう……
30年後の伊集院明人より
「どういうことだ……? 井上が伊集院明人……?」
明人は呆然としながらつぶやいた。




