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財団

 南極。昭和基地。

 6月、南極に冬が来た。

 この次期の南極は一日中夜の支配する闇の世界。

 それでも極地観測隊は今度の任務が、いつもの調査とは異なっていることを知っていた。

 あまりにも高額な予算、超大規模な人員、そうでありながらごく短い準備期間というアンバランスさ。

 そして隊員の構成もいつもとは違っていた。

 武装した自衛隊や警察、それにアメリカ軍の姿まで。

 「南極で戦争でも起こるのだろうか?」と科学者たちは噂した。

 そしてあの日、そこにいた全ての人間がこの大規模調査の目的を知ったのだ。

 ブラッドムーン。

 呪われた赤い月が出現したのだ。

 飛び交う無線通信。

 憶測が憶測を呼ぶ。

 海は大丈夫なのか?

 果たして無事に帰ることが出来るのか?

 だが彼ら、特に軍人たちは比較的冷静だった。

 彼らはパニック起きる前にすみやかに避難指示を出した。

 まるで何が起こるか知っていたかのように。

 だが、それも基地内の電光掲示板を見た隊員の叫び声で打ち消される。


「コンディション1だ! 外に出るな!!!」


 コンディション1。

 南極の猛吹雪である。

 風速25メートル以上の風。

 視界は3メートル未満。

 気温マイナス60度未満にまで下がる。

 いままで何人もの命を奪ってきた悪天候。

 それが突如として起こったのだ。


「なんてこった! こんな時に!!!」


 基地に絶望感が広がる。

 そんな中一本の無線通信が入った。


「今から貴公らを救助しに行く」


 そしてその数時間後、昭和基地から忽然として人間の姿が消えた。

 新たな事件は南極で始まったのだ。



 予想されていたようにブラッドムーンは日本人の食卓にも影響を及ぼしていた。

 海は荒れ、漁獲高は減少。

 一ヶ月前には冷凍の鯵が一匹500円する世界が来るとは誰も思っていなかっただろう。

 これは黙示録の第二のラッパだという主張が毎日テレビで放映されていた。

 その主張にひな壇芸人が毎日のようにくだらない見解を加えて茶化していく、それが日本の日常になっていた。

 そう、日本の民衆はこの事態にも呑気に構えていたのだ。

 なぜなら……


「またもやFAフューチャーエージェント財団が技術を公開しました。今度は画期的な魚の養殖法です」


 次々と新技術をもたらすFA財団の明るいニュースがブラッドムーンの驚異を緩和していたからだ。

 ちなみにFA財団の本当の読みは|ファッキン・アスホール《BLじゅるり》なのだがそれは国家レベルの力で隠蔽されている。


 もちろんジェーンの財団は順調だった。

 組織に属することのできないヤクザな気性の学者が次々とこのコミュニティに参加した。

 知識の公有化と無制限の自由、それに富の否定は彼らには理想郷に映った。

 ところが財団からしてみれば、それはどうでもいいことだったのだ。

 金の話をしないのは、単に資金は日米両政府から、ほぼ無制限に出ているから。

 自由なのは、発起人の研究者など本当は誰もおらず、内部規律など必要なかったからだ。


 実績は山のようにあり、あとは小出しにするだけだった。

 国も実績があれば予算やら補助金をつけやすい。

 あとは頭のいい人間に面白そうな意見を出してもらえばいい。

 だがジェーンには不満があった。


「……誰?」


 藤巻板金の食堂で、山田がう○い棒サラミ味を食べながらそう言った。

 その途端、ジェーンのこめかみに血管が浮かんだ。


「このバカワンコ!!! 私がなんに見えるのよ!」


「そんなキレイなジェーンはジェーンじゃない!!!」


「そこまで言うのか! なあ、そこまで容赦ねえ言い方するのかよ!!!」


 その時ジェーンはいつもの格好ではなかった。

 インタビューやパーティでの挨拶の仕事をこなしてきたのである。

 いつも制服の上に着ているキルとか、ファックとか、リベンジャーゴーナライズなどの反社会的な文字の書いてあるパーカーではなく、大統領の娘にふさわしいエレガントな服装……ジェーンが言うところの「ファッキン金持ちを商品棚に並べるための包装紙」を着ていた。

 髪もいつものようにいい加減に縛っているだけではなく、ジェーンの言うところの「犬のトリミングか! ぶっ殺すぞ!」な髪型にまとまっていた。

 そこにいるのはスラム育ちの汚いガキではなく、どこに出しても恥ずかしくないお嬢様だった。


「アタシもね! 表に出たからにはこういう格好しなきゃならないのよ!」


 つい最近、ロックバンドのボーカルに影響されて、髪の毛を真っ赤に染めようとしたところ、田中と明人に正座で説教されたことは気にしないでジェーンは言った。


 異世界からの帰還後、ジェーンは大統領の娘として表舞台に出ることになった。

 もちろんその経歴も明らかになった。

 スラム育ちの苦労人。

 受けた教育はスラムの失業者向けプログラム講座だけ。

 そこで覚えた知識でFBIにスカウト。

 ……なぜか逮捕までは省力されている。

 方々から圧力からかかり、なかったことになったのだ。

 そして、CIAなどにも出向し数々のソフトを開発。

 この年齢でそこまでの実績があるのは珍しい。

 しかも、まともな格好さえすれば、美形が多いこの世界の基準でも上位に入るルックス。

 ほどよく教養が欠けているせいで嫌味な印象を相手に与えることがない。

 さらには「え? 統合型歩兵戦闘システム? ちょっとだけ開発に参加したよー」ということで、退役軍人にもウケがよかった。

 しかもこれらの実績は大統領の娘とわかる前のものである。

 父親であるダンの言うとおり、苦労人のサクセスストーリーが嫌いなものはいない。

 映画の公開を待つまでもなく、話題性は充分だった。

 それゆえにジェーンは毎日小綺麗な格好をしてパーティーやら、インタビューやらに呼ばれる多忙な日々を送っていた。


「あー! ざっけんなクソが! どいつもこいつも可哀想な生き物を見る目をしやがって!!! わたしゃファッキン・ア○ーじゃねえっつーの!!!」


 どんな苦境にも負けない女の子の名前の前にファッキンを入れて叫ぶと、ジェーンは食堂のゴミ箱を蹴とばした。

 そのままジェーンは容赦なく冷蔵庫を開け、山田ですら手をつけない毒々しい色のジュース……ドクター○ッパーを手に取り、馴れた手つきで片手でキャップを外すと、容赦なく一気飲みした。


「プッハー!!! このケミカルな臭いがやめらんねえ!!!」


 自分の縄張りに戻ってきた安心感からか完全にいつものジェーンに戻っていた。

 見た目はヨークシャーテリア。

 中身はピットブル。

 それがジェーンである。

 けっしてどんな時も希望を忘れない純真な女の子にはなれないのだ。


「んで、うちの男どもはどうなったの?」


「学校の図書室で勉強してるよ」


 ジェーンが山田に聞いた。

 残念な学力の藤巻、圧倒的に出席率が足りない飯塚&みかん。

 彼らは中間試験を落とすわけにいかなかったのである。

 そこで明人はレイラとともに彼らと勉強をしていたのである。

 ちなみに山田は高校までの課程はすでに終わらせているため、勉強には参加する必要はない。

 自由すぎる性格ゆえ教えるのにも向いていないため、アジトで待機しているのだ。

 山田とは違い、明人もレイラも全教科をそつなくこなし、教えるのが上手いので教師役として参加していたのだ。

 ジェーンと山田はテレビを見ていた。

 やはりどの局もブラッドムーンのニュースで持ちきりだった。


「ジェーン。これからどうなるんだろうねえ?」


 山田が真面目な顔でジェーンに聞いた。


「とりあえず計算上は食料は大丈夫じゃないかな? 持ってきた技術を使えば人口さえ増えなければ維持は可能みたいよ」


「ふーん……」


「ただし氷河期が来たら人類絶滅決定。向こうの世界では三年以内に氷河期に突入するって予想されてたみたいね」


「寒いのはやだなあ。お腹冷えちゃうよ」


 山田が理解しているのかあやしいコメントを返し、ジェーンが苦笑いする。

 ジェーンはこのままカオスな会話をするのを避けるために話を変えた。


「そういやマキちゃんは?」


 マキちゃんとは異世界から連れて帰ってきた強化人間、上野マキのことである。

 本来の年齢は5歳なのだが、見た目は高校生くらいである。

 そこで明人たちと同じ高校へ通わせることにしたのだ。

 政府からのごり押しが可能だからである。


「上野は明日転校してくるって」


「で、結局何歳って設定になったの?」


「2月生まれの15歳だってさ」


「同じクラス?」


「そうそう」


 当初、上野は「高等教育まで終わっております」と固辞していた。

 ところが酒井が「行かないの? パパ……すごく悲しいな……」と捨てられた子犬の目をすると、「い、いや、それは……わかったから! その目やめやがれです!!!」と高校へ通うことに合意したのである。

 そこまで話すと二人は無言になった。

 数秒の沈黙、そして山田はお茶を飲むと一言、


「平和だよねえ」


 と感慨深げにつぶやいた。


「ホント平和だよねえ。私以外」


 ジェーンも大筋は同意した。


 このところの明人たちは平和な学園生活を謳歌していた。

 そう。

 どこまでも平和だったのだ。


 あれから明人たちも三島と話し合ったが、一時様子がおかしかった三島は何事もなかったようにいつもの三島に戻っていた。

 しかたなくジェーンたちは、国家権力まで使い、ありとあらゆる身辺調査をしたが三島に不審な点はなかった。

 結局、手がかりのなくなった明人たちは普通の学生生活を送るしかなかったのである。

 だが人生とはそうそう上手くいかないものである。

 新たな事件の余波はそぐそこまで迫っていたのである。

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