プロポーズ、そして映画
「うん。じゃあ結婚しよう」
酒井の爆弾発言。
中本は思わずワインを噴き出した。
そのままむせる。
どうしてこうなった?
中本の頭の中には耳の奥からじんじんという音が鳴り響いていた。
「……げほッ。どうして私なんですか?」
「君といるのが一番楽しい。それじゃダメかい?」
酒井の顔はいつもの笑顔。
表情から感情を読み取ることができなかった。
「私は元不良で、学歴もなく、本当だったらただの巡査です。酒井さんとは生きてる世界が違います」
「それがなに? キミは正しいことをする人間で、埼玉県警に君臨する女王様。そしてボクは今やキミに仕える騎士だ」
フフフと酒井が笑った。
「……後悔しますよ」
それが遠回しのOKだとは、言った本人である中本も気づいていなかった。
「それはないよ。……僕の両親はねえ、優秀だった。初対面で人に『何ゼミですか?』って聞くタイプ。彼らの中では日本に大学は一つしかないみたいなんだ。それ以外は人間としてすら認識されない。彼らにとってはボクも含めた他人はゲームの駒でしかないんだろうねえ」
「それはまた……極端ですね」
「それがまた傑作なんだけど、ボクがそれが異常だって事に気づいたのは30過ぎてからなんだ。人間と機械は違うし、人を駒のように扱えばその報いは必ず自分に返ってくる。それを理解するまでに30年もかかったんだ。そしてボクの凝り固まった世界をぶち壊してくれたのが明人くん」
「あの子は別のベクトルで偏ってますけどね」
「そうだね。でもそこがいいんだ……ボクはね。人が言うことを聞いてくれるのが当たり前だと思ってたんだ。でもそれは間違いだった」
「でも酒井さんはそういう身分の人ですから」
「身分なんて幻想だよ。現にボクはこの年まで家族を作ることもできなかった半人前だ。だけどね、ようやく自分にとってなにが大切かわかったんだ」
確かに挫折は一時的には不幸だ。
だがそこから学ぶことができれば視野が広がり人間的に成長することができる。
酒井は部下に裏切られるという挫折を肥やしにして人間的に成長していたのだ。
「ボクの家族になってほしい」
それは「愛している」とか「好きだ」とは言わない不器用な告白だった。
だが中本には酒井の気持ちはちゃんと伝わっていた。
中本は答える代わりにニコリと微笑んだ。
◇
腹黒官僚酒井のとんでもないプロポーズという陰謀の裏で、もう一つの陰謀が進行していた。
「なんでアタシ?!」
ジェーンが困惑しながら抗議した。
ジェーンがいるのは臨時措置として都内のビルに間借りしているアメリカ大使館だった。
そして抗議する相手はテレビ電話に映る人物。
アメリカ大統領ダン・ジョンソン。
ジェーンの父親である。
「そりゃ、内々に聞いたら全員に断られたからだよ」
そこでは会議が行われていた。
それは政治的に非常に繊細で高度な会議だった。
その内容とは……
ジェーンが持ち帰った12年分の資料である。
一見すると12年ではそれほど技術の差はないように思えるかもしれない。
だが、人類の絶滅がそう遠くないと予想された未来、そこでは全てのリソースが科学技術に割り振られていた。
そのため、通常の12年よりも科学技術の時計は早く進んでいた。
また、現在の最先端技術、その実用化や応用も驚くほど進んでいたのだ。
そこで大きな……とてつもなく大きな問題が浮上した。
学術的発見は本来発見するはずだった研究者には申し訳ないが、公開してしまえばいいだけだ。
だが、それ以外の、特許や表立って公開していない技術などが問題であった。
特に軍事関連が問題である。
例えば、アメリカ軍が現在開発中の次期主力戦闘機、プラズマ兵器、軍事車両、統合型歩兵戦闘システム、それらの実戦配備後の完成品の設計図である。
本来だったらとんでもない開発費を使って開発するはずだったアイテムの完成品をすぐに手に入れることができる。
また、上野をはじめとする強化人間の技術。
異世界では倫理的に許されていたかもしれないが、この世界ではそれは絶対に許されない禁忌である。
公開などできようはずがない。
そしてそれら新技術のもたらす結果についても、責任を取ることのできる人間は誰もいなかったのだ。
12年分の技術の先取り、それは一見するとバラ色の未来のように思える。
だが事態はそう簡単ではない。
実際は世界全てを敵に回しかねない諸刃の剣なのだ。
一国の技術独占などどこの国でも許されないだろう。
なぜなら自国で開発したのではないからだ。
将来開発されるはずだった技術を横からくすねたとも言えるのだ。
かと言ってただ単に技術を公開するというのは自殺行為ですらある。
要するにアメリカ政府ですら、この情報をどう扱っていいかわからなかったのだ。
そこでダンは秘密裏に会議を開いた。
口が硬く信用のおける専門家に広く意見を聞くためだ。
そしてそこで話し合われた結果とは……
「なんでアタシがトップなのよ!!!」
……世界各国の在野の科学者・発明家による財団を立ち上げることなのだ。
もちろん彼らが発明したわけではない。
彼らが発明したということにするアリバイ作りのためだけの財団なのだ。
危険なものを除いた全ての知識は公有。
原則全てを公開する。
あくまでハッカー文化という自由の中で自然発生的に生まれた団体の発明ということになっているのだ。
そしてその財団の象徴はジェーン。
「まず、ジェーンは小学校中退だ。どこの国もそうだが、ちゃんとした教育を受ける機会を与えられなかった天才が、暖かい周囲に支えられて成功するというサクセスストーリーは人を魅了する」
「なにその嘘まみれ!!!」
実際はジェーンは自分の意思で学校に寄りつかず、車泥棒とかオンライン詐欺に精を出していた。
結局、公務員年金を盗もうとしてFBIに捕まり、CIAやNSA、軍にまで便利に使われたのが現実である。
ジェーンは、ほぼコンピューターの腕一本で生きている。
ギャグはあっても感動はほとんどなかったはずだ。
プロパガンダにしても酷すぎる内容だ。
「そしてその彼女は大統領の娘だった。感動の再会。涙。……実は、もうすでにハリウッドと提携済みだ」
ダンが会心の笑みで親指を立てた。
プロパガンダを利用したスケールの大きい親バカだった。
ジェーンがわなわなと震えた。
怒りのあまり絶句している。
「映画化決定。監督はあの巨匠」
「うがあああああああああッ!」
アホがいる。
国レベルのアホがいる。
金と権力持ってるアホがいる。
ジェーンがマウスを画面に叩きつける。
するとダンは真剣な顔に変わっていた。
「第二に、ブラッドムーンの出現……正直言って黙示録レベルの事態だ。南極での大規模調査も開始した。技術は全人類の生存のために使わなければならない。わかるね?」
「うん……」
「その意味をちゃんと理解しているのは当時者だけだよ……だから俺はジェーンに頼みたい。家族だからじゃない。俺は、いや俺たちは、この技術の管理をする資格と能力を持っているのは君だけだという結論を出した。もちろん最大限のバックアップはする」
確かに父親であるダンの言っていることは一理ある。
技術を持ち帰ったのはジェーンなのだ。
「なぜジェーンが技術を持ち帰ったのか? 俺は神の啓示だと思うよ」
「……」
ジェーンは黙った。
ジェーンは一切の神を信じていない。
だが父親の信仰は尊重してやりたいと思ったのだ。
「第三に、財団の本部は日本だから。すでに日本政府と話はつけた。いや……彼らも俺たちの共犯者だ」
ダンは「してやったり」という表情で笑った。
その顔を見たジェーンは「やっぱりこの人と親子なんだな」と思わずにはいられなかった。
「わかった。ところで映画だけどアキト役は誰?」
「……絶対にアイツ役は出してやらねえ。パパは許しません!」
「えーけちー」
ジェーンは不満げな声を出した。
◇
その夜、二つの運命が交錯したのをまるで待ち構えるかのように、それは突然出現した。
いつも見慣れた夜空に、月、そしてもう一つ火星よりも強く、赤く、不気味に輝く星が出現した。
人々は一様にそれに魅入っていた。
神学者はこの世の終わりを本能的に感じ、科学者たちはとうとう大量絶滅の時が来たのだと理解した。




