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上野マキの受難

◇加納


 加納は進藤に捕らわれている間に気づいた。

 異世界探査のクルーの一人に眼鏡の男がいた。

 宇宙飛行士や極地探検家にしては華奢な男だった。

 その男と目が合った。

 その瞬間、加納の中に不思議な感覚がわき上がった。


 なぜコイツはここにいる?!

 どうしてここにいるんだ?!

 なぜ俺はここにいるんだ?!


 加納はわかっていた。

 その男こそ加納自身だったのだ。

 そしてもう一人、クルーに重要な人物がいた。

 チームリーダーである三島花梨の副官の男。

 それは進藤だ。


 そうだ!

 進藤を殺すべきだったのだ。

 それなのに自分は進藤の手駒となっていた。


 実験の成功により、世界はフェイルセーフ、保護機能によりリセットされた。

 全て元通りになったのだ。

 失われた命もなにもかも。

 では加納はどうなるのだろうか?

 現実問題として加納は明人とたちと同じく実在している。

 では、リセットされた世界の加納はいったいどうなったのだろうか?

 同じ存在が同時に存在することになるのではないか?

 これはパラドックスだ。

 だが宇宙の崩壊は起こっていない。

 つまり、このパラドックスは世界に許容されているのだ。

 いや、とんでもないバグなのかもしれない。

 しかも加納自身があの世界から異物として排除された。

 つまり加納はあの世界の人間として認識されていなかったのだ。

 どういうことなのだろう?

 どれだけ考えても加納には答えは見つからなかった。



◇上野マキの受難


「うん、いいよ」


 酒井がニコリと笑った。

 明人の額からひとしずくの冷たい汗がぽとりと落ちた。


「いやあ、別の世界のボクの娘かあ。いやあ、なんか感動を覚えるねえ」


 酒井はニコニコと笑っている。

 酒井の言う「ボクの娘」とは上野マキのことである。

 この世界の人間ではない上野には戸籍がない。

 この日本では戸籍がないというのは存在していないのと同じである。

 だから「なんとかしてもらえないか?」と相談してみたのだ。

 そして表面上は少年らしく情に訴えてみたのだ。


 その際、上野は異世界の酒井の娘だと話を盛ったのだ。

 明人は嘘は言っていないと自分では思っている。

 ただ多分に推測が入っていた。

 上野自身は多くを語らないが、おそらく上野は酒井の娘として育てられていたと明人は推測している。

 少なくとも二人にはなにがしらの絆があった。

 七五三ネタの軽口もその現れに違いないと明人は確信していた。

 もちろんそれはこの世界の酒井には関係がないことだ。

 なんの義務もない。

 だが、聡明な酒井のことだ。

 きっと彼女の強化人間という価値を冷静に判断して、身元引受人くらいにはなってくれるかもしれない。

 ただやりすぎてはならない。

 解剖なんてさせるつもりがない。

 情に訴えたのも「上野のバックには伊集院明人がいる。ヘタな真似したらわかるよな?」という遠回しな脅迫である。

 実験動物にして明人を敵に回すような愚かな真似はしないだろう。

 もちろん明人は、不穏な動きがあったら、首謀者全員に生まれてきたことを後悔させてやろうと思っている。

 幸いなことに仲間全員がこの提案に賛同してくれている。

 明人は酒井がどう動くか、その一挙手一投足をつぶさに観察していた。

 もちろん酒井のことを明人は信用している。

 だが上野の存在はその信頼関係を壊すには十分なものだった。

 酒井はそんな明人の心配をよそに、笑顔を崩さずに電話をかけていた。


「うん。そういうことで早退するね。よろしく♪」


 うん?

 早退?

 なにかがおかしい。


「明人君ごめんね。ちょっと友達に電話するから」


 受話器を置くと酒井は今度は携帯を取り出す。

 やはり、なにかがおかしい。

 話が斜め上にずれてきている。

 これは仕事の話のはずだ。

 まるでプライベートの話のような展開だ。

 明人はとてつもなく嫌な予感がしていた。


「やっほー久しぶり。えーっと悪いんだけどさあ、戸籍作れない? 昔、亡命してきたXXXの工作員に戸籍作ったじゃない。そうそう……うん。ボクの娘」


 明人の目の前で恐ろしい相談がされていた。

 やはりその流れがおかしい。

 「ボクの娘」とか言っている。


「んじゃ、データとか送るね。ありがとう!」


 酒井が電話を切る。

 明人はなぜかごくりと生唾を飲み込んだ。

 今なにが起こっているのだ?


「明人君。今日はいろんな人に会わないとならないから、悪いけど明日迎えに行くから♪」


「迎え?」


「いや楽しみだねえ。娘。うーんまさか娘ができるとはねえ」


 酒井は何かとんでもない勘違いをしている。

 なにか別のベクトルでやりすぎ感が漂ってくる。

 これでいいのだろうか?

 明人の不安は消えなかった。


 その後、悪魔的手腕と人脈により、あっという間に出張届けやら戸籍やらを取得し、一人の人間の存在をでっちあげた酒井。

 今ままで見たことないような笑顔で明人たちのアジトへ上野を迎えに来た。

 明人に先導されて上野が酒井と対面する。


「初めまして。自分が上野マキであります」


 相変わらずの無表情で上野が言った。


「やあ。君がマキちゃんだね」


 一瞬、上野のまぶたがぴくりと動いた。

 「そう言えば、向こうの酒井とも下の名前で呼ばれたことで喧嘩していたな」と、明人は思った。

 だが、もちろんこの世界の酒井はそのことを知らない。

 上野も明人と同じ事を考えたのか、いつもの無表情に戻っていた。

 そんな空気は絶対に読まない男はニコニコと上機嫌で言った。


「あのさ。ランド行こう!」


 斜め上に話が飛んだ。

 やはり異次元のベクトルで失敗した!!!

 明人は自分の頭を押さえる。


「はい?」


 上野がポカーンとしながら聞き返した。

 明人も酒井が何を言っているのかわからない。


「うん。5歳だもんね。これから親子になればいいさ。はっはっは!」


 上野は明人の袖を掴み引き寄せた。

 強化人間の腕力で明人がぐらつく。

 上野は明人の耳を自分へ近づけると、小声で明人に訴えかけた。


「(なんですかあの人! 私の世界の酒井よりカオスじゃないですか!)」


「(い、いや、俺もわからん!!!)」


「え? マキちゃん明人君と一緒に行きたいの? えー、でも今日はパパと行こうね」


 上野はもう一度、明人を引き寄せた。


「(っちょ! ド金髪! あの人止めてください!!! つうかパパって何ですか?!)」


「(いや、わかりやすいように酒井さんに娘だって説明したらあんな感じに……)」


「(てめえ! なにしやがるんですか!!!)」


 上野が明人に猛抗議した。

 だがそれは酒井には届かない。


「はっはっは! じゃあ行こうか」


 暴れることもできずに上野は酒井に連れて行かれる。

 小細工しなければよかった……

 明人はかなり本気で後悔した。



 数日後……

 ジンギスカンを食べさせろと暴れた山田を大人しくさせるために、藤巻板金の庭でバーベキューをやっていた明人たち。

 そこへ着物姿の上野がやって来た。


「家出してきました……」


 気のせいか上野は疲れた顔をしていた。


「愛が……重い……」


 瞳から光がなくなった上野がそうつぶやいた。

 全力でかわいがられて逃げてきたらしい。


「ホントすまんかった」


 明人は謝罪した。


「だからなんで、どこの世界の酒井も七五三やりたがるんですか!!! アホか!!! しかも11月じゃねえですよ!!! つか5歳は男の子だ!!!」


 上野が地団駄を踏む。

 そうとう追い込まれているらしい。

 「最近では三回ともやるらしい」とは明人も言い出せない雰囲気である。


「酒井のどあほー!!!」


 上野が叫んだ。

 明人から箸と皿を奪い、肉へ突撃する。


「あ! ボクの肉!!!」


 山田の抗議の声。


「あはははは! 早い者勝ちなのです!」


 上野は肉を食べて食べまくった。

 こうして上野は明人たちの仲間入りを果たし、酒井は過保護親父ズの仲間入りを果たしたのである。



 都内のオシャレなレストラン。

 中本と酒井が食事をしていた。


「娘が友達の所に行っちゃってさー」


 酒井が心なしかしょんぼりした様子で言った。


「ああ。噂の伊集院君が連れてきた女の子ですね。まあ、女の子は難しいですから焦らないことです。あまり構い過ぎちゃダメですよ。過干渉は子どもにストレスを与えますから」


 中本はアドバイスをした。

 ありえない異次元の出世でお偉いさんになった中本だが、元は少年相手の業務をしていた婦警である。

 子どもの心には詳しい。

 こういう相談は得意なのだ。

 それを聞いた酒井の目が光る。

 だが中本はそれに気づかない。


「あのさ、お願いがあるんだけど」


「はい。私にできることなら」


 笑顔で返事をしながら中本がワインを口に運ぶ。


「うん。じゃあ結婚しよう」


 中本は盛大にワインを吹き出した。

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