フェイルセーフ
進藤がアイスピックグリップで握ったナイフを振りかざした。
斬撃が明人を襲う。
明人はそれを受け流す。
はじき返さない。
勢いをそのまま使い力のベクトルを変えていく。
そして隙を見つけた瞬間、明人は己の腹の前で持っていた鎌形ナイフ、カランビットを進藤の手首の部分、袖に引っかけた。
そしてもう片方の手で進藤の手を斬りつけようとした。
腕の内側の筋肉、そこまで到達するほど深く斬ってしまえば、人体を無力化できることを知っていたのだ。
だがそれは進藤が、もう一つの手で明人の首にナイフを突き立てようとしたことで断念せざるを得なかった。
明人はカランビットを首に迫る進藤の袖に引っかけた。
お互いの手はクロスしていた。
だが、刃を袖に食い込ませた明人よりも、急所の近くをキープした進藤の方が有利だった。
進藤は力任せに明人の首と腹にナイフを押し込んだ。
明人の首にナイフの先端が刺さり、一筋の血が流れ落ちた。
だが、明人は冷静だった。
それどころかワクワクとしていた。
シベリア熊と戦ったときのような高揚感が明人を包んだ。
ああ、そうか。
進藤なら壊れない。
手加減をする必要がないのだ。
明人の目に力強い光が灯った。
明人は半身にした足を転換し、同時に両手をぐるりと回転させた。
進藤の腕がもう一方の腕によって逆側に極まる。
それによって進藤の身体のバランスが崩れた。
そして明人は、身体の回転に進藤を巻き込み、腕を極めたまま放り投げた。
十字投げ。
本来なら見せ技に近い技である。
だが、完全に虚を突いたその技は、投げる寸前、めきりと進藤の腕関節から悲鳴を響かせた。
ドスンという重い音が響いた。
雑魚であればここで勝負は決していただろう。
だが、進藤はそうではなかった。
着地の衝撃で肺の中の空気を吐かされながらも、進藤は明人の袖にナイフを引っかけ、床で身体を反転した。
そのまま、まるで蜘蛛のように明人の腕に足をかけると、獲物を捕らえたワニのように回転した。
明人は腕を獲られ、床にテイクダウンされる。
いつの間にか進藤は明人の腕を手羽先のように、アームロックの体勢で明人を絞り上げていた。
もちろん関節技を狙ったのではない。
明人の目的は進藤の無力化。
だが、あくまで進藤は明人の命を狙っていたのだ。
進藤が明人の腕を折りに行きながら、同時にナイフを脇腹目がけて突き立てようとする。
明人は自分から前転をし、ロックされた腕を解放する。
そして仰向けになったところで、明人目がけて追撃とばかりにナイフを突き立ててくる進藤の顔を蹴った。
下からの攻撃であるから、威力は期待できない。
だがそこで一瞬隙が生まれた。
明人は素早く寝技から離脱、距離をとった。
進藤はにやりと笑う。
「まったく小器用なヤツだな」
「お前もな」
そう適当に相づちを打った明人だが、頭の中は別のことを考えていた。
おかしい。
この世界に来る前に進藤の指をへし折ったはずだ。
だが目の前の進藤の指は元通りになっている。
SF映画にあるような超回復……いや、たかだか12年でそこまで医学が進んでいるとは思えない。
それに上野は銃撃された酒井さんを泣きながら治療している。
超回復が実用化されていたらそこまで心配するはずがない。
この世界でも人体は有限のはずだ。
なにかがおかしい。
明人が疑念を抱いた瞬間、進藤が小さくふわりと浮いた。
そして次の瞬間、鋭い横蹴り、サイドキックが明人を襲う。
スポーツ化された方のシカランだ。
隙を突かれた明人はサイドキックを手でブロックしつつ、後方へ自分から飛び威力を殺した。
蹴りを受けた明人の腕がビリビリと痺れていた。
「クソッ! 防御が固え……城壁か貴様は!」
城壁に例えられるとは思っていなかった明人は、進藤のその言葉を聞いて吹き出した。
「くっくっく……そうだ! 俺は城壁だ。俺の前では誰の命も奪えない!」
「そうかよ……じゃあ勝負だ!」
進藤がナイフを投げ捨て、身につけていたシャツを脱ぎ捨てた。
傷だらけの上半身。
ナイフの傷が縦横無尽に走っている。
その傷こそ敵を打ち倒したという証。
傷は進藤の誇りだった。
「そうか」
明人もナイフを投げ捨て、学ランを脱ぎシャツを投げ捨てた。
横っ腹に44口径を受けた大きな傷が見える。
その他にもナイフ、銃弾、爆弾などの小さな傷があちこちに点在していた。
その傷こそ明人が人を守ったという証。
傷は明人の誇りだった。
「素手だ。目つぶし金的、何でもありだ。来いよ金髪!!!」
進藤が、腰を落とした構えになる。
「ああ。行くぜ!!!」
明人はオーソドックスな半身構え、手は中段に自然に置いていた。
明人が息を吐き出し、全身を脱力させる。
進藤はそれを隙と思ったのか、飛び上がり明人の側頭部目がけて蹴りを撃ち込んだ。
明人は頭を下げそれをくぐりながら、進藤の間合いを潰す。
進藤は着地するとすぐさまサイドキックを明人の腹目がけて繰り出した。
明人はそれを避けようとしなかった。
そのまま前へ出た。
蹴りの衝撃が明人を襲うが、倒れたのは進藤だった。
進藤は跳ね返されバランスを崩して倒れた。
重い。
岩を蹴ったかのように、明人は揺らがなかった。
進藤は驚愕しながら体勢を立て直し、手を開き明人の目に指で目つぶしを仕掛けた。
それは普通の正拳突き、いわゆるパンチだった。
明人の放った拳が目つぶしよりも速く、進藤の胸を突いた。
その瞬間、進藤の胸から息が全て強制的に吐き出される。
なにがあったんだ。
パニックに陥りながら進藤は己の胸を見た。
拳がめり込んでいる。
耳からじんじんとした血液が血管を通る音が聞こえていた。
必死に息を吸おうとするが、呼吸ができない。
胸骨だ。
進藤は理解した。
明人の一撃。
それは気功だとかそういうものではない。
ただ重く、固く、そして力強かった。
明人の拳は進藤の胸骨を破壊。
その衝撃で肺の空気が吐き出されたのだ。
そして胸骨が折れたことで、進藤は息を吸うことが困難になったのだ。
次の瞬間、進藤を背骨に突き抜けるような衝撃が襲った。
息が吸えないのも、胸骨の破壊も、背骨まで突き抜けるような圧倒的な破壊力の拳も、全ては一瞬の出来事、たった一発の拳だったのだ。
進藤は明人の防弾ガラスを破壊する鉄拳を受け、吹き飛び部屋の壁まで吹き飛ばされた。
勝負は明人の圧倒的な勝利に終わった。
だが明人の胸中はモヤモヤとしたものが支配していた。
進藤は何を企んでいる?
なにが目的なんだ?
そして加納の悲痛な声が響いた。
「ああ……そうか。俺がバカだった……進藤の目的が実験を成功させることなんだ……本当は実験は強制終了させられるはずだった……俺が実験を中止させなきゃならなかったんだ! ただの時間稼ぎだったんだ……伊集院、お前が自分の力に気づきさえすれば……」
光が見えた。
三島が次元の壁を渡ったのだ。
次の瞬間、明人の視界がぐにゃりと歪んだ。
全てが再起動される。
それは後藤やシナリオライターたちが味わったループだった。
明人たちは理解した。
この世界から強制的に排出されるのだと。
異物である明人たちを排除して、パラドックスを防ぐための信頼性設計が働いたのだ。
この世界は明人たちを受け入れてはいないのだと。
明人たちが元の世界への帰還を感じ取ったその時だった。
「上野君! さあ行くんだ!!!」
酒井が叫んだ。
このとき酒井は全てに気づいていたのかもしれない。
酒井の声に気づいた明人は、ほぼ無意識で上野の方へ手を伸ばした。
上野も手を伸ばす。
明人は上野の手を取り上野を抱きしめた。
上野は酒井にも手を伸ばした。
一緒に行こう。
そう言いたかったに違いない。
酒井は静かに首を横に振った。
「向こうのボクによろしく言っておいてくれ」
酒井は静かにそう言った。
上野を抱いたまま明人は暗闇に落ちていった。
それは少なくとも安全な道ではない。
それだけは確信していた。
闇の中から、ふいに声が聞こえた。
「明人様ぁ!!!」
「伊集院!!!」
「アキト!!!」
仲間たちも一緒に暗闇を落ちていた。
そして時空を渡る忍者が叫んだ。
「渡りますわよ!!!」
そして忍者が世界を斬った。
◇
北海道に戻ると、こちらの世界の酒井が要請した警官隊が明人たちを捜索していた。
明人たちは倒れているところを警官に発見された。
そこには上野マキも一緒にいた。
「結局、世界を救うことはできなかったわけか……」
明人がつぶやいた。
明人の横で上野が泣き疲れて眠っていた。
そこは飛行機の機内。
みんな同じ飛行機に搭乗していた。
「だが、上野がこちらに来たことで希望は繋がれたってワケだ」
藤巻が明人にそう言った。
「今回、伊集院は頑張ったとボクは思うよ。偉い偉い」
山田が明人の坊主頭を撫でる。
「これからが本番だよアキト。なんせ12年分の知識を持ち帰って来たんだから」
ジェーンが珍しくシリアスな顔で言った。
「はい、みかん。あーん」
「あーん」
バカップルはいつもの通りだった。
「でさ、加納ちゃんはどうするの?」
「もちろん……お前らに方に加勢する」
加納は機嫌が悪いのか頬杖を突いていた。
「加納。俺の能力ってなんだ?」
明人が聞いた。
「表現ができない」
加納の答えは要領を得ないものだった。
明人はしかたないとあきらめる。
明人は考えていた。
進藤が言った言葉が明人の中で魚の小骨のようにいつまでも引っかかっていた。
「三島を殺せ」
あの世界の三島、三島のクローンは異世界に渡った。
それは進藤の望むシナリオだった。
では進藤は誰を殺せと言ったのだろう?
いったい誰があの世界の三島だったのだろう?
病院のベッドに縛り付けられた三島なのか?
それとも全く別の誰かなのか……
◇
「なんて無様な姿なの。私の王子様」
黒いドレスの女が言った。
「ああ。やはり無理だったよ。今回はね……」
進藤がつぶやいた。
「絶対にキミを解放してやる」
そうつぶやきながら進藤は女の顔を撫でた。
女の顔、それは三島花梨と全く同じものだった。




