ループ
三島の収容されている病室のさらに地下深く。
そこに実験場は存在した。
明人と田中が異世界に行った施設よりもかなりコンパクトになっていた。
これが12年という月日の差なのだろうと明人は思った。
案内された部屋にはマスコミ、とは言っても管理されたマスコミが写真を撮っていた。
記者がカメラを向ける先、そこにはガラス張りの部屋があり、この世界の三島、クローンの三島たちが椅子に横たわっていた。
計測器や点滴など、複数の道具に繋がれ、顔にはHMDをかけていた。
「これから、個人が存在を存在たらしめている情報を異世界に飛ばします。この実験で今までよりはるかに多くの情報を得ることができるでしょう」
上野が無表情かつ小声で言った。
明人だけはどこか機嫌が悪そうなのを感じ取った。
「はるかに多くの情報?」
明人が聞いた。
上野は微妙すぎてわからない程度に額にしわを寄せて言った。
「ええ。これまでの実験で各世界には『存在の枠』があるのではないかと推測されています。そこにイレギュラー、つまりクローンを放り込むことによって世界に何が起こるのかを観測できます」
「どんでもないパラドックスが起こって宇宙崩壊とか?」
「だとしても仕方ありません。正直言って人類には時間があまり残されていません。食料こそ技術の進歩でなんとかなっていますが、すでに気候変動でアルゼンチンのウシュアイアやチリの南部は人が住めない土地になりました。あの辺は今や一年中吹雪です。氷河期が来るのではないかという予測すら有力視されています。人間から見たら宇宙崩壊も人類滅亡もたいした違いはないかと」
明人にしかわからないが、それはイライラとした口調だった。
顔には出さないがこの理不尽に怒っているのだろう。
だが我慢しているのだ。
要領の悪い損な性格だ。
だがそういう人間を明人は嫌いではなかった。
「あまり我慢するな」
「自分は我慢……なんて……って、なんですかその目は?」
「いいや。なんでもない」
「変な……人ですね」
上野の顔は誰にでもわかるほど真っ赤になっていた。
◇
一方、加納は複雑な思いを抱えていた。
目がグルグルと回り、いろんな思いがデタラメに頭に湧いてきていた。
自分の使命である異世界転生の成功。
だが、誰の転生を成功させるのかが問題だった。
元の三島の転生なのか?
それとも病院で眠る三島の転生なのか?
明人たちに言うべきかも考えた。
だがやめておくべきだと判断した。
彼らは本来なら敵のはずだ。
加納にはどうすればいいのかわからなかった。
だから加納は明人に情報を与え運を天に任せることにした。
「伊集院いいか?」
「どうした?」
伊集院と藤巻はいいやつだ。
加納はそれはわかっていた。
「進藤、アイツはシカランの使い手だ」
シカラン。
東南アジアに同じ名前の武術が複数ある。
空手風の立ち技格闘技。
テイクダウンと絞め技、関節技などの総合格闘技に似たものなどスタイルは様々である。
だが明人は確信していた。
「加納。お前のナイフ、進藤に習ったんだろ?」
「ああ」
やはり武器どころか目や急所狙いの汚い技もアリアリの方のシカランだ。
明人は苦笑いした。
「ありがとう」
「べ、別に礼を言われるようなことは言ってねえからな!」
このやりとりに明人は首をかしげた。
はて、このノリ……誰かに似ている。
だが誰だろう?
結局、明人はそれが誰なのかわからないままだった。
どうしても思い出せない。
そして、それが運命だったことをすぐに思い知ることになる。
◇
実験は佳境に入り、ここからはもう実験を中止できないとのアナウンスが流れた。
酒井が安堵のため息をついた、そのときだった。
それは一発の銃弾だった。
銃弾を発したのは、突如として何も無い空間から現れた進藤。
銃弾を浴びたのは酒井だった。
どさりと酒井が仰向けに倒れた。
最初に悲鳴を上げたのは意外なことに上野だった。
二人は喧嘩しながらも仲がよかった。
子どものいないこの世界の酒井は上野を自らの子どものようにかわいがっていた。
彼らの間には情が通っていたのかもしれない。
悲鳴を上げた上野は脳内物質のコントロールをし、一瞬にして冷静になった。
そして小銃を構え進藤に銃弾を放とうとした。
だが叫んだその一瞬が徒となった。
進藤はすでに拳銃の間合いに入り、上野へ向けて容赦なく発砲した。
デザイナーズチャイルド、いわゆる強化人間の上野と言えど、鉛玉をはじき返すような硬い皮膚や骨格を持っているわけではない。
拳銃の一撃は充分に脅威になるものだった。
上野は己の死という結果を覚悟した。
そこにイレギュラーが介入した。
明人である。
明人は上野に飛びかかり、床に滑り込んだ。
鉛玉は明人の耳を掠め、赤黒い静脈からの血が飛び散った。
「やはり、お前が邪魔するのか……」
「ああ。何度でも邪魔してやる!」
実際明人には勝算があった。
今まで何度も危機に陥った。
その時も明人の側には仲間がいたのだ。
その証拠に明人の後ろから山田とライアンが現れた。
山田が進藤に斬りかかり、ライアンはその豪腕で進藤を葬ろうとしていた。
だが次の瞬間、山田とライアンは動きを止めた。
「残念だったな」
進藤がやってやっとばかりにそう言った。
兵の一人が加納の頭に拳銃を突きつけていた。
「き、聞いたぞ! この実験が成功したら支配者だけが別の世界に逃げるんだろ! こ、このガキが帰還者なんだってな、こ、コイツを殺されたくなければ実験を中止しろ!!!」
裏切り者が叫んだ。
だがすでに実験は中止できない所まで来ていた。
いや兵士もそれを理解しているのだ。
わかっていながらのこの暴挙なのである。
説得は難しいだろう。
つまり、ここまでの仕込みを進藤はあらかじめしていたのだ。
そこからわかるのは、進藤はこの世界の未来を知っているということだ。
「まさか卑怯。とは言わないだろうなあ?」
「ああ、言わねえ。だが、これでテメエをぶちのめす理由ができた」
明人がそう吐き捨てた。
確かに負け犬の遠吠えかもしれない。
だが明人にはここで屈するつもりはなかったのだ。
「俺も同じだ。伊集院明人。お前と一騎打ちがしたい」
進藤はにやりと笑った。
表情は満足そうだが、その殺気は尋常ではない。
殺気を受け逆に冷静になった明人は静かに構えた。
「伊集院明人。なぜ邪魔をする? この世界は俺の世界であって、お前の世界では無いはずだ」
進藤はそう言いながら懐に手を入れナイフを取り出した。
それは鎌形ナイフ。
カランビットだった。
「俺は俺が正しいと思ったことをするまでだ」
明人もベルトのバックルに指をかけ、隠していた二本のナイフを引き出す。
明人のナイフも、やはりカランビットだった。
ただ進藤のものよりもそれはかなり小さかった。
ナイフを構えながら間合いをはかる二人。
明人は考えていた。
なぜ一度は殺そうとした加納を人質に取ったのだろうか?
進藤の目的はいったい何なのか?
わからないことばかりだった。
◇
殺気を感じながらも上野は酒井の応急手当をしていた。
不思議なことに脳内物質を調整しているにもかかわらず涙がにじんで来ていた。
「あはは。いやあ。ボクの最後がとうとう来たんだねえ。いつか刺されるとは思ってたけど、まさか撃たれるとはねえ」
酒井はまるで他人事のように笑っていた。
「うるさい! 殴りますよ!」
上野は止血のために血管を圧迫するが、それでも酒井の体からは血が溢れて出てくる。
このままでは死んでしまう。
その時、危機にさらされた上野の脳がようやく冷静になった。
バックパックの中から止血用ジェルとバイオフィルムを取り出す。
副作用が強くガイドラインでは強化人間専用とされているものだが、上野には手段を選んでいる余裕はなかった。
すぐさま傷口にジェルを流し込み、上からフィルムを貼る。
これで応急処置はできた。
だがそれでも強化人間用の荒っぽい応急処置に過ぎない。
普通の人間が耐えられるのかはわからなかった。
「ようやくわかったよ……」
青白い顔になった酒井がうわごとのように言った。
「いいから黙ってください」
「何度も繰り返していたんだ……」
「だから……お願い……」
「いいから聞いてくれ。思い出したんだ。この世界は何度も何度もループしている。ボクがここで死んでも流れは変わらない……この世界を救うのは……上野くん……キミなんだ。キミさえ救えばボクらは……死なない。少年と共に異世界へ行くんだ……」
酒井が小さな声で、だが力強くそう言った。
室内には警報音が鳴り響いていた。




