クローン
「酒井。やはりバレました。やはり金髪は野生の獣みたいです。メスを見分ける能力に秀でています」
上野は酒井と電話をしていた。
あまりにも酷い言いぐさである。
だから、明人は上野に反撃することにした。
上野の両の頬をつまむと軽く引っ張ったのである。
「にゃにほするのれす(何をするのですか?)」
「ある事ないことを言いふらすのはやめてもらおうか」
「にゃにをふにゅしゅべてにょほんにょ(なにをするのです。全て本当のことではないですか)」
明人はだんだんとこの少女のことがわかってきた。
要するに上野はツッコミを入れて欲しいのだ。
いや、構って欲しいのだ。
遊んでもらいたいときに怒られるのをわかっていてパンチしてくるワンコと同じである。
その証拠に明人の反撃に上野はうれしそうな表情をしていた。
明人は「やはりか」と納得すると上野を解放した。
「ふふふ。いきなりドメスティックバイオレンスとはまさに鬼畜……」
「家庭内じゃないからな」
上野はまたもや「やってやったぜ」という顔をすると、真面目な顔になった。
とはいっても、その微細な変化を知覚できるのは明人だけだろう。
「仕方ありません。本物の……いえ、向こうも本物ですが、まあいいです。三島花梨に面会させましょう。ただし、この茶番をちゃんと終わらせたらですけど」
そう言って上野はニヤニヤと笑っていた。
それは完全に嫌がらせであった。
その後30分以上に渡り、明人たちは高校生らしい態度で、わざとらしく無難な質問をするという苦行を味わったという。
ちなみに一番上手にこの茶番を成し遂げたのは、飯塚と斉藤のバカップルであった。
◇
墨田区横網。
文字が似ているが、決して横綱ではない。
なぜそんな間違いをするのか?
なぜなら墨田区横網の最寄り駅は、秋葉原駅から2駅の場所にある両国駅である。
両国といえば相撲で有名な国技館である。
文字が似ているところに、相撲の街というイメージがヨコヅナだとミスリードさせるのである。
その両国駅前にある、江戸東京博物館や両国国技館のすぐ近くにそれはあった。
防衛医科大学校高度医療研究センター。
明人の世界にはなかった施設である。
どうやら最初からここに来るのも予定に入っていたようである。
そうでなければ秋葉原の喫茶店で茶番などしないはずだ。
そもそも、ただの嫌がらせで予定が組まれたのかもしれない。
「最初から連れてくるつもりだったでしょ?」
山田が上野に買ってもらったハンバーガーをパクつきながら言った。
「はい。気づかなければそのままにするつもりでしたが」
明人は上野が少し不機嫌になるのを感じた。
だが山田は全く気がつかないでいた。
「ふーん。で、さあ、ここに三島がいるの?」
「秘密……って言いたいところだけど、僕らにも一言じゃ説明できないんだよね」
上野の代わりに酒井が答えた。
どうやら、三島にはとてつもない秘密があるようだ。
「地下にご案内します」
そう言って上野は地下へ一行を先導した。
◇
地下10階。
白い壁、白い床。
そこは真っ白なフロアだった。
「ねえ、明人……ここおかしくない?」
ジェーンが指さす先には監視カメラ。
ただしチェーンガン、それと凄い威圧感の砲台がついている。
不審者が現れたら問答無用で抹殺するということだろう。
「あはは。機密なんでね。気にしないでくれたまえ」
上機嫌な様子で酒井が笑う。
気にしない方が難しいだろ。
明人は思った。
「さて、そこを曲がった突き当たりの部屋に三島さんがいるよ」
明人たちが上野の先導で部屋に入る。
そこはやけに広い部屋だった。
幾台ものの計測器が置かれ、その作動音が部屋に響いていた。
そして部屋の中央に、ベッドがあった。
計測器のケーブルは一斉にそのベッドへ伸びていた。
ベッドにいる人物。
それは言うまでもなく三島花梨だった。
明人はゴクリとつばを飲み込んだ。
このとき、明人の心はざわついていた。
たとえ異世界の三島、明人とは他人であることを理解しつつも、心を平静に保つのは難しかったのだ。
そんな明人の肩へ手が添えられた。
それも二つ。
ライアンと藤巻だった。
明人は二人と振り返ってうなづいた。
男たちに言葉は要らなかった。
白い肌。
やせこけた頬。
そして白く変色した髪。
変わり果てた姿の三島がベッドで寝ていた。
いくつもの管がつけられ、呼吸のためにわずかに胸が上下する。
人工呼吸器の発する電子音がむなしく響いていた。
明人は胸を締め付けられた。
必死に「あの三島ではない」と念じて心を落ち着けた。
それに全ては起こってしまった後だ。
明人にはなにも出来はしないのだ。
そんな明人の様子を察したのか、それともなにも考えていなかったのか、酒井は説明をはじめた。
「ボクらが異世界の存在を信じる理由。それは彼女の存在のせいだ」
「なにがあったんです?」
「まず、彼女の出現について説明しようか。彼女は12年前にブラッドムーンの出現と同時に上野公園で倒れているところを保護された。以来、この状態のままだ。ちなみに救出しようと考えるのはやめておいた方がいい」
「どういうことだ?」
ライアンが凄みをきかせた声で聞いた。
明確に腹を立てていたのだ。
人質にするようなつまらない手を使ったら、この場でお前ら全員殺す。
そう言いたかったのだろう。
「すまない。言葉が足りなかった。悪意はないよ。彼女は機械の手を借りなければ呼吸ができないほど弱ってるんだ。動かしたら死んでしまうよ」
酒井はあくまで冷静に説明した。
ライアンはうなった。
もはや誰にもオリジナルの三島を救う手立てはなかったのだ。
「それにね彼女の周りではおかしなことが起きるんだ」
「おかしなこと?」
明人やライアンに代わってレイラが聞いた。
明人たちの中でレイラ自身が一番冷静な人間だと判断したのだ。
明人たちも頭に血が上っているのを感じ取っていた。
ゆえに素直にレイラに従うことにした。
「物理法則を無視して物体が召喚される。突然、なにもなかった場所に物体が現れるんだ。中型二輪車に、壊れた交通機動隊の白バイ、折れたナイフの破片、チェーンガンの薬莢……なにがあったんだろうね?」
明人にはその全てに覚えがあった。
最初は藤巻を助けに行ったときに盗んだバイク。
白バイは藤巻と事件を解決したときのものだ。
折れたナイフはおそらく山田とはじめて遭遇したときのもの。
チェーンガンの薬莢は後藤を追い詰めたときのものだ。
「政府はこの謎を解明するためにあらゆる手段を使った。なんたってブラッドムーン関連と疑われる事案だからね。クローンを作り、記憶を記録媒体にコピーする方法を開発し、異世界の存在を突き止め、そして今度は異世界への探査だ」
「……おい。さっき喫茶店にいた三島の嬢ちゃんは誰なんだ?」
ライアンが酒井の肩をつかんだ。
酒井個人が悪くないのは理解していたが、その非道なやり方に我慢ができなかったのだ。
それを見た上野が拳銃に手をかけるが、酒井はそれを制した。
「あの三島花梨はここにいる彼女のクローンだよ。本人はそのことを知らないけどね。本当は5歳だっけ?」
「7歳です。5歳は自分です」
「そうかあ、マキちゃん5歳かあ。そういや七五三行ったっけ? 七五三って11月だっけ? その時は6歳だから女の子の番だね。一緒に行こうね」
「酒井。ぶん殴るので、あとでツラ貸せ」
上野がむくれた顔で言った。
どうやら上野は実年齢のことを触られたくないらしい。
遠慮なくものを言うこの様子だと、酒井との関係は良好のようだった。
だがそれを微笑ましく思う余裕は今の明人にはなかった。
レイラは明人を見つめた。
その目は「大丈夫か?」と言っていた。
明人はレイラに心配はかけまいと無言で頷いた。
「知らない?」
レイラは気を取り直して質問をすることにした。
本人が知らないということが気になったのだ。
「作ったクローンに、たまたま事故死した女性研究者の経歴を元に作ったストーリーを脳に書き込んだそうだよ。えっと……」
説明しながら、酒井はポータブル端末でファイルを探していた。
「ジェーンです。コンピューターサイエンスの専門家で家族も親戚も存在しないため使用されることになりました」
上野がモタモタと端末で情報を探す酒井の代わりに言った。
ファイルを記憶しているようだ。
ここで明人は理解した。
すでに死亡していたのだ。
この世界のジェーンは。
だから行方がわからなかったのだ。
ダンの方も何らかの理由で死亡、この世界では有名でもなく、血統も絶えたため記録に残らなかったのかもしれない。
だがそれはジェーンまでもが死亡している以上、真実は闇の中に消えてしまった。
追求する方法はないのだ。
明人はジェーンを見た。
ショックを受けていたらフォローしなければならない。
ジェーンはふてぶてしい性格ではあるが、それでもまだ13歳の子どもなのだ。
だが、ジェーンはどこか他人事のような顔をしていた。
「ジェーン……」
明人が声をかけるとジェーンは困った顔をしてポリポリと頭をかいた。
「いやー。正直、リアリティがないって言うかさあ。いやリアリティはあるか。アキトいなかったらクアンティコでサクッと死んでたし」
「ジェーンちゃん。大丈夫か?」
藤巻も声をかけた。
「うーん……いや他人でしょ。どう考えても。これって私の『もしも』ってやつだし」
ジェーンの論理的な脳は、違う世界の自分を他人として認識したようだ。
調子も元に戻っている。
上野はそんなジェーンの姿を見て話を再開した。
落ち着くのを待っていたようだ。
言葉は辛辣な上野だが、案外思いやりのある性格なのかもしれないと明人は思った。
「三島花梨の生体反応……脳波ですが、それをモニターすると物体の出現の前兆として異常が検知されます」
「それで伊集院たちを捕捉したということだな?」
「ええ。そういうことです。てっきり私たちは送った被験者が帰ってきたのかと思いましたよ」
「なぜそう思ったのだ?」
「そこの金髪からシグナルが出ていました」
なるほど。
明人は思った。
現在の明人は、他の世界の失敗した伊集院明人とリンクされている。
その中に、この世界出身の明人がいてもおかしくはない。
シグナルに関しては、可能性を考えれば、リンクだけではなく明人は他の世界の明人と統合されているのかもしれない。
いや……もしかすると、数奇な転生から考えれば、明人自身がこの世界出身である可能性を示唆しているかもしれないのだ。
明人が思考をまとめるとレイラは明人の様子をうかがっていた。
「レイラ、もう大丈夫だ」
「そうか」
「さて……これでこちら側の種明かしは終わりました。では行きましょうか」
「どこへだ?」
「異世界への転送です。実はこれから行われます。ここで」
「……もっと後のはずじゃないのか?」
「いいえ。失敗する可能性を考慮して、実験を行って成功したら予定日に発表します。プロパガンダってやつです」
「失敗したらどうするのだ?」
「別のクローンを使います。スペアは必要にして充分な数を確保しています。自分もスペアの一人です」
上野はいつものように無表情でそう言った。




