第60話 広まる惨劇
貰った一億円をスーツのジャケットで包んで背負う。
ジャケットは黒服の死体から剥いだものだ。
鞄を持っていなかったので借りるしかなかったのである。
とりあえず運べればそれでいい。
割れたテレビのモニターがビルのエントランスを映している。
負傷した黒服が外へ飛び出し、直後にクラッシュ音が鳴り響いた。
アングルの都合で何が起こったのかは分からない。
気になった俺は窓際に寄って地上に注目する。
道路に停止した車から黒煙が上がっていた。
たぶん車同士が衝突したのだろう。
そばには炎上したバスが横転している。
この距離では判然としないが、人間も倒れているようだ。
間違いない。
黒服達の自殺衝動が暴発したのだ。
その影響力がビルの外にいた一般市民にも波及しつつあるらしい。
次々と連鎖する交通事故を見て、俺は思わず後ずさる。
「うわ、やば……」
「クドウシバマサの力が暴走していますね。思った以上に拡散速度が高いです」
「と、止めなくて大丈夫なんですか」
「不要です。僕達にとっては好都合ですから。周辺一帯がパニック状態になることで脱出が容易になります」
安藤は平然としていた。
地上の惨状に少なからず関与しているのに顔色一つ変えない。
彼は思い出したように説明を付け足した。
「改造されたクドウシバマサには安全装置が施されています。一時間後には自動的に能力が停止するので放置しても問題ないでしょう」
「でもその間も被害は増え続けますよね……?」
「僕には止め方が分かりません。本気で人々を救いたいのなら、棺崎さんに相談してください」
淡々と応じる安藤からは後悔や罪悪感が微塵も伝わってこない。
現実逃避をしているのではない。
本当に何も思っていないのだろう。
(この人は、他人の命なんてどうでもいいんだ)
俺は背筋が冷たくなるのを自覚した。
目の前の刑事は悪霊とは別の意味で恐ろしかった。
「あとは新村さんの勝敗次第ですね。ここに留まる理由もないので一旦出ましょうか」
立ち上がった安藤を見て、須王がため息を吐く。
須王は忌々しそうに呟いた。
「まったく……やってくれたね。あと少しですべて整ったというのに」
「須王さん。あなたは既存の事業を細々と続けておくべきでした。欲を掻いて身の丈に合わない力を得た結果がこれです」
安藤の口調は平坦だったが、端々に辛辣なニュアンスが込められていた。
彼の瞳の奥では、おぞましい何かが渦巻いている。
「世の中には触れてはならないタブーが存在します。例の村もそうです。欲深いあなたは地上げ屋を使って干渉し、多大な損害を被ってしまった。あの時のツケが回ってきたんですよ」
「待て。なぜそれを知っている。君は一体」
驚く須王が顔を上げた時、銃弾が彼の額を貫く。
須王は突っ伏したまま動かなくなった。
ライフルを下ろした安藤はさっさと身支度を始める。
そんな彼に俺は尋ねる。
「例の村……って何ですか?」
「今回とは一切関係のない話です。それより早く脱出しましょう。警察が集まると面倒ですから」
刑事らしからぬ発言を返し、安藤は部屋を出て行った。




