VSケイレブ母
「来たわよ! お金は!?」
挨拶もなしかよ。
応接室に入るなり、ケイレブ母ことマーガレットは鼻息を荒くして切り出した。
本日の彼女の装いは以前よりも派手になっており、真新しい光沢のあるドレスと、首や指には宝石が散りばめられている。だというのに、押し出すように入室させられたケイレブは前に来た時と変わらない服装……ケイレブはそれでもにこにこと笑っていた。
ケイレブ。ゲームでは公爵家の現当主に見初められて、ホーンバック公爵家に養子になる少年。実父を亡くし、母に売られ、養子先では愛情を感じられず、笑顔の裏に孤独を抱えた攻略対象。
「まあまあ、マーガレットさん、落ち着いてくださいな。焦らずとも、貴方は次期公爵の生母となられる方なのですから。さあ、こちらへどうぞ」
私も今は来客モードで対応。いつもの引っ詰め髪ではなく盛に盛ったゆるふわに。夫の死を悼む黒いドレスのデザインもお姫様らしくてむず痒い。
前世の記憶を取り戻してからというもの可愛らしいお姫様デザインに抵抗が有り、シックで地味なデザインを好むようになって、私の諸々の変貌にショックの連続のキャロラインも、今日はずっとご満悦だった。
次期公爵の言葉に気をよくしたようで、魔女のような真っ赤な唇をにんまりと歪めたマーガレットは促されるまま息子と共にソファーに腰掛ける。そのタイミングで扉が開き、メイドがティーポットとカップを人数分運んできた。
「し、失礼しますっ……!」
「ああ、ありが……?」
不意に、それが見慣れないメイドであることに気付く。
いや、確かに家で雇っているメイドではあるが、あまり見かけたことのない年若い少女だ。いつもならキャロラインが運んでくるので、この子が茶を淹れるのを見るのは初めてだ。
その証拠に、少女の顔は強張り、紅茶を注ぐ手は小刻みに震えている。思わず心配になって見ていたが、何とか注ぎ終えた少女は紅茶を波立たせながら私とマーガレットの前にカップを置いたので、詰めていた息を吐く。
「ありがとう。下がっていいよ」
「は、はひ! し、失礼します……!!」
メイドを下がらせると、部屋に残っているのは私と執事パーシー、マーガレットとケイレブの四人となる。
仕事を始める前にと喉を潤そうと紅茶に手を付ける……しっぶ!?
思わず吹き出しかけたが寸で我慢して飲み込む。時間置き過ぎた? 私に対して嫌がらせ……ってわけではないよな? きっと慣れてないから失敗したんだろう、そう思いたい。
同じものを客人にも出してしまってるわけだけど大丈夫だろうかと思って彼女を見たが、マーガレットは紅茶に手を付けようとしない。苛立たしげにこちらを睨み付けていたので、キツい吊り目とばっちり合う。
「何よ。飲まないわよ。何が入ってるかわかったもんじゃない」
「左様ですか。では、早速ですが、話し合いを始めさせて頂きましょう」
言って、私はそれほど厚くない書類の束を机に置いて差し出す。
「何よ、これ」
「これからの話し合いに必要な書類です」
マーガレットは訝しそうな顔をするが、金では無いからか手を出さない。さっきのお茶といい、随分警戒心強いな。
「……では、話し合いを始めます。正直言って、私はまどろっこしい話し方は得意ではありませんので、単刀直入に言わせて頂きます。マーガレット、貴女の息子ケイレブはライニール様の子ではありません。ですので、我がバルカン公爵家では、ケイレブの引き取りを拒否致します」
「なっ!?」
これでもかと言うほどに目を見開き、顔を驚愕に染めてマーガレットは荒々しく席を立った。
「何言ってんのよ! この子はライニール様の子よ!! 髪も目も同じ色をしてるじゃない!!」
「残念ながら、ライニール様の瞳は碧ではなく、翠なんですよ。よく見なければ判らないし、明かりの少ない室内では判別は難しいかもしれませんね」
「っ……!?」
「こちらは、公爵家で調べ上げた貴女の調査結果になります。お手に取ってご覧頂いても構いませんよ」
「っ……!! そんなの渡されたって読めないわよ! こっちは子供の頃から働きづめで、学校も行ってなければ文字も教わったことなんてないのよ! 馬鹿にしてるの?!」
テーブルを思い切り叩きつけられ、紅茶がソーサーに零れる。
しまった。つい前世の癖で、『スムーズな話し合いには資料が必要』と思って差し出したが、この世界の識字率の低さを思い出す。
主人公は町長一家から文字を教わり、その賢さを領主に認められて彼の推薦で特待生として学園に通うことになるのだが、普通、日々を生きるのに必死な人々は働くのに手がいっぱいで勉強には手が回らない。
嫌みったらしい貴族を演出してしまった……くそう。
「これは失礼しました。こちらの報告書によりますと、ライニール様が貴女の元に通い始めたのは三年前とありますね。ケイレブ、君の年齢は?」
「余計なこと言うんじゃないわよ!」
出会って初めてケイレブに話しかけるが、すぐにマーガレットに遮られた。怒鳴られたケイレブは大きく体を揺らし、怯えた顔を隠すように俯いた。
……本当なら、この子を中心に話し合いをしなきゃいけないんだけどね。
「……まあ、どう見ても三歳じゃあないですよね。報告では十歳とのことですが、間違いありませんね?」
「ら、ライニール様とは十年前に会ってたのよ!」
「ほう! ということは、ケイレブは十年前にライニール様と浮気して出来た子だと? それはおかしいですね。当時のライニール様は女性関係の縺れで父君の怒りを買い、王都を離れトリスタン領で一年ほど謹慎していた筈ですが?」
これはパーシーからの証言である。
「十年前の貴方は王都の食堂で働いてたようですし、少々無理があるのでは? そのままバルカン領に逃げ込んで、亡くなったご主人の家から持ち出した金でパン屋を立ち上げていたようで……そこそこ繁盛していたようですね?」
「な! ……い、今は、もう、潰れてるのよ……どうして、そんな……」
「公爵家の密偵は優秀なんです」
赤から青に変わるマーガレットの顔色を見て、私はにっこりと笑って見せた。
「ど、どこまで知ってるのよ……!」
「それはもう、ピンからキリまで。洗いざらい調べさせてもらいましたよ。貴女の周りは口が軽い方が多いですね」
「と、とにかく! この子は間違いなくライニール様の子よ! 母親のあたしが言ってんだから従いなさい!! さっさとこの子引き取ってお金を渡しなさいよ!! 大体、あんたさっき言ったじゃない。この子は『次期公爵』だって!」
「言いましたよ。ただ、公爵家は我がバルカン家だけじゃありませんから」
そう言うと、はっ? と不思議そうな顔をされたが、すぐに理解が追い付いたようだ。みるみる内に顔色は悪くなり、怯えや恐怖が露わになる。
「……まさか、あんた……」
声を震わすマーガレット。察しは付いてるようだが想像通りになることを拒否しているようで、言葉を続けることも逃げることもしない。
そんな彼女に、私は微笑みかける。
「どうぞ、お入りになってください」
その台詞を合図に、パーシーが応接室の隣の部屋の扉を開けた。
そこに立っていたのは、皺一つ無いパリッとした衣服に身を包んだ金髪碧眼のナイスミドル。ケイレブとの血の繋がりを思わせる端正な顔立ちは厳格で、威厳に満ち溢れている。
「……多少、顔付きが変わったようだが、その顔、しっかり覚えているぞ。息子と共に我が家で会ったな」
マーガレットを鋭い視線で見据え、暫しの逡巡の後。アーディー王国宰相エドモンド・ホーンバックは、何処か覚悟を決めたように重々しく口を開いた。




