名前に負けなきゃいいだけよ
ここからロガーフィールドまでの道のりは岩場が多い。
エルフと人間はそれほど積極的に交流しているわけではないため、ロガーフィールドを抜けるまでは整備された道がない。すなわち、馬車による通行は困難どころかほぼ不可能なのだ。
それでも、冒険者ギルドにはエルフの登録者が少ないながらも存在する。また、じいさんの屋敷までポーションの材料となる薬草を買い求めに来る人間の商人もいる。
冒険者はともかく、商人が馬車なしで移動することはほとんどない。そこで、エルフ村に用のある商人はロガーフィールドを大きく迂回することになる。
したがって、この道なき道を行く限り、俺たちが商人とすれ違うことはあり得ない。
ただでさえ、ロガーフィールドにおいてはコカトリス、ならびにバジリスクの目撃情報があるのだ。それを承知でここを通る者は次の二通りのうちいずれかだ。
一つは件のSSランクモンスター討伐を目指す者。もう一つは彼の地に地の神ノーミーデスがおわすことを何らかの手段で知った者。
ノーミーデスは四大神の一柱だ。もちろん、運良く会えたとしても誰しもが加護を得られるわけではない。だが、気まぐれにあちこち移動する他の三柱の神々と違い、地の神は一度居場所を決めれば長期間にわたりどっしりと根を下ろす傾向にある。
会える神なら会っておきたいと思うのが人情というもの――
「――なのかな?」
思わず首を傾げる。男の時、加護の「か」の字も意識したことがないせいか、よくわからないな。
「エレン様。唐突なそのご所作……」
「ふぇ? マリアン?」
最後尾にいたはず。いつの間に隣にっ。
眼鏡が陽光を反射し、その奥にある瞳が見えない。
「大っ変、愛らしゅうございますっ!」
「なっ、なんなの突然っ!? 落ち着いてマリアン、鼻息荒いからっ」
ママ、わたし納得しました。
この上司にしてあのメイドあり。この人、確かにシャーリーの師匠だわ。
「すー、はー……」
うん、初めて見たよ、マリアンの深呼吸。あ、眼鏡の位置を直したらいつもの無表情に戻った。
「わたくしとしたことが取り乱しました。大変失礼をば――」
「真面目すぎて逆にびっくりだよ。大丈夫、あんなの全然取り乱したうちに入らないから」
これと比べたらシャーリーなんてどうなっちゃうのさ。
ええと、さっきどこまで考えてたんだっけ。
そうそう、危険なロガーフィールドを経由するにも関わらず、ここを通る理由のある者。
俺たちはさっき、前述の二通り以外の理由を持っていそうな連中と出くわしてしまったのだ。
シノブと、彼女の命を狙っていた四人組。
恐らく四人組の目的はシノブの殺害なのであり、コカトリスやノーミーデスとは無関係だろう。むしろ、SSランクモンスターの噂により滅多に人が寄り付かない状況だからこそ、この場所を利用したのではなかろうか。
「てことは、シノブは実はどこかのお姫様か高位の貴族……? まさかね」
「獣人族の国家はここからあまりに離れすぎております。それにあの猫人族の服装や、単独の彼女に対して敵が四人という状況。わたくしとしても、それはないと思いますわ」
「マリアンもそう思うよね。って、いいの? わたし、彼女のこと詮索してるけど」
「先程は余計な差し出口、申し訳のうございます。ここなら誰に聞かれるわけでもありませんから」
それに――とマリアンは次のように付け加えた。
成り行きとはいえトラブルに首を突っ込み、あまつさえその一方に加担してしまっている。
この先、たとえ無関係を主張したところで、シノブを殺したい側の勢力は納得しないだろう。こちらを血眼で探している可能性がある。もし見つかれば、見逃してもらえるはずもない。
何せ、シノブの武器はナイフ。しかし四人組のうち三人の死因は首に刺さった矢。証拠は現場に残したままだ。
あまりに当然すぎる意見を受け、素直に頭を下げるしかできない。
「そうだよね。あれは軽率な行動だった。ごめんなさい」
「パーティのリーダーとしては、無視を決め込むべき場面だったと思います。しかし同時に、あれでこそエレン様だったとも」
誇らしげな声。下げていた頭を思わず元に戻し、見上げた。
「あれだけ離れていたにも関わらず、男たちの側からは禍々しいまでの殺気を感じました。エレン様のご判断、このマリアンが全面的に支持いたします」
わあ、マリアンってこんな微笑み方もできるんだ。
「んっ」
頭撫でられちゃった。すごい。ママに撫でられてるみたい。
あ、だめ。耳はなんか、感じる……。気持ちいい。
ふやぁ。
ぼんやりと前方を見る。
先を行くパーティメンバーの二人。
クリスとシャーリーは賑やかに談笑している。
――あ、クリス。シャーリーと尻取りしてるんだ。仲いいな。やりたいな。わたしも混ぜて……いやいや待て待て。
いかん。
何だったんだ、これは。
ぼーっとしているとうっかり流されてしまう。今のは違うぞ、違うからな。
「エレン様」
「ひゃいっ」
マリアンは、さっきまで撫でてくれていた手で眼鏡の位置を直しつつ、言葉を続けた。
「わたくしとしても反省するところではありますが、憶測に頼った考察は好ましくありません。このまま猫人族と無関係を貫けるならそれに越したことはないのです」
「うん。同意見だよ」
「ですが、ふりかかる火の粉は払わねばなりません。その意味において、思い付く範囲での想像は、やはり有効でしょう」
うん、そうだね。気を抜いてる場合じゃないや。
「マリアンには何か心当たりでもあるの?」
「いえ、わたくしの勘違いかも知れません。エレン様こそ、何かお気付きの点がおありなのでは?」
質問に質問で返されちゃった。まあ、わたしとしてはマリアンと意見のすり合わせをしておきたいしね。
わた……し? いや、いい機会だ。メイドたちの前でぼろを出さないよう、心の中でも一人称を「わたし」にしておこう。
「確証なんか一つもないんだけどさ。シノブも斃した男たちも、商人でもなければ冒険者でもない。そのくせ、武器の扱いは素人っぽくなかった。単なる村人ってわけでもなさそう」
あくまでも自分が戦闘メイドから受けた、初心者向け戦闘訓練と比較した上での意見だからね――と、言い訳のように補足しておく。
マリアンは軽く頷いた上で、次の質問を寄越した。
「とりあえず、あの猫人族に限定しましょう。彼女をどう見ますか?」
「そうね、人間の貴族に仕える私兵か奴隷商の護衛。あるいは――盗賊ギルド」
「お見事です、エレン様。わたくしの意見も盗賊ギルドですわ」
盗賊ギルドは合法組織だ。
たまに冒険者ギルドからの要請を受けてエージェントを派遣することがある。
具体的な仕事内容は、洞窟内のモンスターからアイテムを盗んだり、魔王城の宝箱や隠し部屋の錠前破りをしたり。共通して言えることとして、冒険者においてはかなり高位の者であっても不得手とする、専門的な任務が発注されるのだ。
無論、人間やエルフ相手の殺人や窃盗は犯罪だ。それらの任務は発注できない。
しかし稀に、一部の貴族から直接、極秘の非合法任務を受けることがあるのは公然の秘密だ。
盗賊ギルドを構成するメンバーには、過去に犯罪歴がありながら新国王即位などの理由で恩赦された経験を持つ者が一定数存在する。
それらの者が非合法任務を与えられた場合、高い確率で何の抵抗もなく引き受けると言われているのだ。
多くの貴族たちにとって、その社会の裏側は闇に満ちている。敵対貴族の弱みを握りたいこともあれば、跡目争いにより身内を暗殺したいことある。
そういったケースでは子飼いのエージェントを使うと足がつきやすい。そのため、盗賊ギルドに極秘任務を発注する場合があるのだ。
「あの場でより大きな悪意を放っていたのは四人組。それと比較すれば被害者っぽかったシノブの背後にも、実は悪意に満ちた雇い主がいるのかも。でも今のところそれ以上のことは考える必要がない、と。こんな感じでどうかな、マリアン」
「素晴らしい。やはり、エレン様は賢いですわ。記憶を無くしておられるのが嘘のようです」
「――――――っ!?」
今、何て?
マリアンの表情を確かめようとしたのだけれど――
やんっ!?
耳、撫でないでってば!
「あ、ちょっと。何を……」
「大丈夫ですわ、エレン様。それはただのイヤリング。百点満点のご考察へのご褒美です」
マリアンがポーチから手鏡を取り出し、こちらへ向けてくれた。
「わあ、綺麗」
鏡に写るわたしの顔を左右に揺らし、確かめてみる。水色の涙滴形、透き通ったガラス玉。それらが、わたしの両方のエルフ耳によく映える。
「ピアスの方が落ちにくくていいのですけれども、なにぶん多忙なメイドの身。今はこれで我慢してくださいな」
「我慢だなんて、そんな。嬉しいわ、マリアン」
微笑むわたし……。
イヤリングなんて初めて。あれ? わたしそんなの興味あったっけ。
何か変な気分だな。
まあいいや、イヤリング可愛いもの。
「あー! エレンだけずるぅい」
「もちろんクリス様の分もありますわよ。つけて差し上げます。お耳、失礼しますね」
いつからこちらを見ていたものか、自称姉のクリスが幼児のように頬を膨らませて見せた。
ぷぷぷ。お子ちゃまなんだから。
あっ、そう言えばわたしの時、マリアンったら何も言わずに耳を触ってたような……。
きっと聞き落としたのよね、わたしったら。
危険の伴う旅なんだから、気を抜かないようにしないと。
わっ。
考えているそばからシャーリーにぶつかりそうになっちゃった。
「ごめんなさい、シャーリー。わたしったら考え事しちゃってて」
「エ、エレンが謝罪……? しかもこの卑賤なシャーリーめに……っ」
あはっ、抱きつかれちゃった。
「もうっ、シャーリーってば通常運転なのねっ」
ん……。なんで無表情になってるの?
あ、こら。マリアンはわたしたちのリーダーなんだから。そんな風に睨んじゃダメなのよ?
「リーダー! エレンの可愛さが五割増しなんですけど! 雨を警戒したほうがいいかもです!」
失礼ねっ!
あと、そろそろ解放してくれないかしら!
……撫でてくれるのは嬉しいけどね。
「ねえエレン。いつまでも『パーティ』じゃ締まらないわ。パーティ名を決めましょうよ」
わたしと同じイヤリングをつけてもらったクリスがにこにこしながらそう言った。
ちょっと待って。
「何やってんのよ。二人ずつに分かれて少し距離をあけながら移動しなきゃ。四人固まってたら不測の事態に対応できないかもしれないじゃない」
「しばらくは問題ないかと思いますよ、エレン様。周囲全方向、視界内に鳥一羽さえ確認できませんもの」
マリアンがそう言うなら。
ええと、パーティ名か。
「んー。そういうのってギルド内での活躍に応じて誰となく呼び始める通り名だと思う。あまり自分から名乗るものではない、かな。新人だとリーダーの名前にすることが多いの。わたしたちなら『マリアンのパーティ』ね」
「ぶー。エレンったら記憶ないくせにそーゆー細かい所は覚えてるんだから――あっ」
言ってしまってから泣きそうな顔をするクリス。
「ばかね。そんな小さいこと、わたしが気にするとでも?」
「うん、ごめん。ごめんなさい」
「……………………四神の加護」
はい?
「シャーリー? 何か言った?」
「はいっす! パーティ名ですけど、『四神の加護』というのはどうですか!?」
えー。うーん……。
「さんせーい! あたしもそれがいいー」
うっそぉ。
「……どう思う? マリアン」
「わたくしはお嬢様方がよろしければ、どのような名前でも」
「あ、そう……」
「ね、いいじゃない、エレン」
「そうね。それにしましょう」
「やったー!」
そうよ。ノーミーデスとサラマンダーに、このわたしを認めさせればいいだけのことじゃない!
要は、名前に負けなきゃいいだけよ。




