だからあなたも好きにして
「一つの時代に勇者候補は複数。そんなこと常識だと思っとったが」
「知らないよ、そんなの」
勇者に選ばれるのは亜人よりも人間の方が圧倒的に多いから、今代勇者より歳の若い勇者候補を四大神が予め選んでいる、とかかな。
「違うな。それなら、先代勇者がいなくなってから長いことブランクができておるこの状況、説明できんわい」
先代勇者か……。そういや、先々代のような武勇伝どころか、まともな噂一つ聞いたことがないぞ。
「そうじゃろうな。ただ一度の挑戦であっさり魔王に倒されてしまったからの。勇者を信奉する民衆に動揺を与えぬよう、大陸各地の権力者たちが慎重に情報を隠蔽しておるのじゃ」
「そんなに弱かったのか……」
「魔王軍どもの暴虐が激しくなったのは少し前からじゃが、勇者がいなくなった当初は奴等も罠を警戒していたようでな。様子を見ておったのじゃ。……勇者がこんなに弱いわけがない、と」
弱い勇者。
妙に今の自分に符合する言葉のように思えてきて、頭を抱えてしまう。
「今では勇者など、何の脅威だとも思っておらぬようじゃがな」
「なら、その隙をつけば勝機があるかもな」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。誰かが勇者の資格を得て魔族の前に立ちはだかったとして、彼奴等をびびらせることは難しいじゃろう。……今となっては」
「魔族どもは肩に力が入らない分、平常心で戦える。そんな万全な状態の相手と対峙することになるのか」
上等だ、と鼻息荒く凄むには、まだまだ力不足……。
だが、わかってるさ。連中の油断に期待するようでは勇者候補失格だからな。
「勇者は戦闘能力だけで選ばれるわけではないのじゃ。まずは四大神様のお気に入りでなければならぬ」
「どこに気に入られる要素があるって?」
自分を指差し、首を傾げる。
「はうっ! エレン、それあざとかわいい」
「黙れじじい」
手を出さなかっただけありがたいと思いやがれ。一応屋敷の中だしな。
しかし、マジカルスキンの影響としか思えない。ふとした仕草とか、明らかに以前の俺とは違うのだ。
特に歩き方や、つまずきそうになった時のバランスの取り方など。目に見えて女の子っぽく矯正されていきつつある。
まあ、客観的に見て、この姿はたしかにかわいい。鏡を相手に着せ替えを楽しんでしまうほどに。
そうだな、孤児院にいた頃は……。
俺を含め、男の子は服なんざ多少汚れていようと破れていようと、着られればなんでもよかった。
一方、女の子たちはそうではない。
院への寄付品や古くなった布団など、色んなものから布地の切れ端を集めては裁縫していたな。それで、日替わりとはいかないまでも数日ごとに着替えていたっけ。
週どころか月単位で同じもの着てた俺たちは感心したものだ。
あ、そうだ。アナベルやミーナ。あの娘たちなら、今のこの姿よりほんの少し小さいくらいだろう。ちょっと成長すればクリスのお下がり、着られそうじゃないか。
「今度、院に寄付しよう」
「そりゃ構わんが、心を読めるわしでなければ、お主が何を言っとるかわからぬところじゃぞ」
「あ、わりい」
「ふむ。そういう、すぐに話題を変えてしまうところ。お主、すでに女の子として完成しつつあるぞ。認めた方が楽にな――れたら幸せかな、と思わぬこともない」
振り上げた拳を引っ込めた。
ふん。心が読めるのならいらんこと言わなきゃいいのに。
命の恩人でなきゃとっくにこの手、振り抜いてたぞ。
「四大神様は勇者候補以外には直接語りかけたりせぬ。四柱の神々の中でもとりわけ無口で有名なウンディーネ様に至っては勇者候補にさえ、な。じゃが、そのウンディーネ様が、お主には声をかけておる」
「ああ、うん。じいさんがやるような思念会話じゃなく、ちゃんと耳に届く声だったもんな」
「お主に何があるのか、それはわしにもわからぬ。だが、かなり気に入られておることだけは間違いない」
とはいえ、自分が情けない。全然強くなれていないなんて。
ウンディーネに水の加護をもらって、内心では結構浮かれてただけにな。それに、自分の他にも二柱の神から加護をもらった候補がいると聞かされては、焦りばかりが募る。
「変わったやつじゃのう。せっかくシルフィード様が魅力的な提案を下さったというに、それをふいにするとは」
「そうは言うけど、あれはズルだ。勇者のすることじゃない。シルフィだってきっと俺を試したんだ。あそこで提案に乗ってたら、ノーミーデスやサラマンダーから加護をもらえなくなってたと思うぞ」
「ううむ。どんな形であれ、神様は口約束ひとつ破らぬものじゃがのう。第一、シルフィード様の方から仰ったのじゃろ、お主以外を勇者と認めなくてもよい、と」
「俺自身が」
「ほれ、一人称。ここは屋敷じゃぞ」
ぐ……くっそ。ママがいなければじいさんの言うことなんか聞かないのにっ。
今はクリスと一緒にママの部屋にいるようだが、いつじいさんの部屋に来ないとも限らない。
仕方ない、演技モードだ。
「わ、わたし自身が誰よりも強いと胸を張って言えるのならそうしてたよ。でも今の実力では戦闘メイドにも敵わない。そんな状態で、他の候補が勇者になれるチャンスを潰す? ……そんなこと、できるわけないじゃない」
「そういう真面目さ。好きよ」
この声っ!?
「親の仇という目標がありながらも、人間と亜人全体の利益を見誤らない冷静さ。とても好き。なかなかいないのよ、そういう候補」
「シルフィ!?」
「それと、古巣の孤児院への恩義を忘れないところもポイント高いわね。大好き」
背後からの声に驚いて振り向く。
そのときにはすでに、彼女はわたしの肩に腰かける直前だった。
「あなた様がシルフィード様であらせられますか。こんな、勇者候補でもないじじいの前に御姿を現されるとは――」
「ふふっ。内緒よ、ノラーム」
「わしごときの名をご存知で、しかもお呼びいただけるとは恐悦至極」
「はいはい。普通に話しかけるから覚悟しといて。もち、様づけ厳禁だからね。あたしはシルフィ。エレンの友達よ」
「は、初めてじゃ。四大神のシルフィ様にお声がけいただけるとは。長生きしてよかった」
「もう、さっきから大袈裟ね。てか、内緒って意味わかってる? それと、ディーネみたいなコミュ障と一緒にしないで欲しいわね。あたし、結構人間やエルフ好きなのよ」
寸劇でも見る気分でじいさんとシルフィのやり取りを眺めていたが、その姿で神様とか言われてもねぇ。いまだに騙されてる気分だよ。
あ、じいさん。シルフィから「あなたを賢者と見込んで正体を明かしたのよ」などと言われて、涙でも流さんばかりの勢いで感激してる。初めてみたよ、じいさんのこんな様子。
しっかしどう見てもいたずら好きなフェアリーにしか見えない女の子に、人間の平均寿命の倍を軽く超える年月を生きたじいさんが……。こうまで真剣に頭を下げられるものかねえ。
あーあ、シルフィってばふんぞり返っちゃって。偉そうに胸を張ってるけど、仮に身長をわたしたちと同サイズにしたとして、その状態で比べてみて――、クリスより小さいんじゃね?
水着みたいに小さな布地しか纏ってないけど、それで十分隠せちゃうのよね……。
「聞こえてるのよ、エレン。あなたの心の声」
「うん、ごめん」
これでクリスを落ち込ませたんだった、反省しないと。
「そんなことより、ノラーム」
「はい、シルフィー……さ」
「呼び捨てで! あと、敬語もダメだからね」
「シ、シルフィ」
「よろしい。持ってるんでしょ、あれ。エレンに渡しときなさいな」
じいさんは目を見開いた。
その視線がわたしの顔とシルフィとの間を何度か往復する。
「しかし、あれは」
「ん? じいさんには『あれ』で通じるの? ねえなんのこと、シルフィ」
「やーん、エレンかわいい! ずっとその言葉遣いのままでいてね」
うるさいよ。そんなわけにいくか。演技だ、演技。
「しかしですな、いや、しかしだね、シルフィ。あれは一日わずか二、三回で使用者の魔力を枯渇させる呪いのアイテム」
なにそれ、こわっ。そんなのまで持ってるのか。さすがはじいさん。マジックアイテム研究者にして収集家だけのことはあるな。
「安心なさい。あたしがどれだけエレンに入れ込んでるか、教えてあげる。前回の提案は断られちゃったけど、今回は強引に押し付けにきたの、よっ」
シルフィの語尾の一音と共に、視界の隅で何かが光った。
じいさんの手だ、何か持ってる。緑色に光る細長いもの。いつの間に。
……あんなの、この部屋に置いてあったっけ?
「それは、矢?」
「うむ。破魔矢じゃ」
一メルトーにも満たぬ長さ、わたしの指と変わらぬ太さ。緑色に輝くそれは、たしかに矢の形をしている。
だけどなんだろう、この禍々しいオーラは。見てるだけで魂を吸い込まれそう。
じいさん、よく持っていられるな。
「さっき、呪いのアイテムって言ってたよね」
「任せて。祝福のアイテムに変えちゃうから。えいっ」
シルフィのかわいらしい掛け声に反応し、矢が強く輝く。
すると、直前までの禍々しいオーラがきれいさっぱり消え去ってしまった。
じいさんの手から離れたそれは宙に浮き、ひとりでに漂う。やがてゆっくりと近付いてきて――
「え、え? なに、ちょっ、ええっ!?」
先端がこっち向いてるし! 普通に恐いってば!
やば、刺される!? 逃げ――
うわ、刺さった!!
「いた! ……く、ない?」
破魔矢、消えた。どこいった?
「おめでと、エレン。これであなたの矢は百発百中よ。そして刺突系の攻撃は、あなたにはほとんど効かなくなったわ」
「は? なんて? ごめん、もっかい言って」
「だからね。破魔矢を飲み込んだあなたのマジカルスキンは――」
飲み込んだぁ!? なんだそれ。
「言葉通りよ。そして、あなたはね、エレン。刺突系の攻撃に対してとんでもなく高い耐性を得たのよ」
えー。うーん。
努力とは無関係の部分で強化されたってこと? それって勇者のあるべき姿なのかなぁ。
「神の愛ってことよ。だから素直に受け取って」
相当複雑な表情、してたんだろうな。自覚はある。
肩から飛び上がったシルフィは、そんなわたしの顔の回りを一周すると、顔の正面からこちらに近づき――
ん、何かの花の香りかな。シルフィってばいい匂い。
「ちゅっ」
「ほえっ?」
ほっぺにキスされた。
「一つ教えてあげる。あたしはね。もともとエレンって存在のファンなのよ」
「ほっほ。これはまた。素晴らしいことじゃぞ、エレン」
嬉しいけどね。でも、努力と無関係の力って。まだ上手く気持ちを整理できないよ。
「勇者候補にも色々いてね。戦闘力はあっても心が今ひとつの候補。戦闘力はなくても心は鋼の候補」
「じゃ、わたしは」
「エレンはどっちも足りないわね」
おいっ。いや、自覚はある。だからこそ戸惑ってるんだ。
「一つ教えてあげる。あたしたちは――特にあたしは。好き嫌いが全てなの」
な、なんだよ。そのドキッとするほど妖艶な笑みは……。
「うふふっ」
無邪気な笑顔に戻すと、シルフィは部屋中をくるくると飛び回る。
「あたしは自分の好きにする。だからあなたも好きにして。ふふっ、それでいいのよ、エレン」
扉の向こうから足音が聞こえてきた。この足音、クリスだな。
「とんとん、おじいちゃん入るよー」
あ、クリスってば。手に荷物持ってなくてもノックは声でするのね。部屋の主に許可なく入るし。ノックの意味……。
「やっほー、エレン。――って、なにその子、かわいーっ!」
「こんにちはーっ! あたしシルフィ。エレンの友達よ! あなたがクリスね」
うわー……。なーにフェアリーぶった子どもっぽい声の出し方してんのさ神様。
「きゃー、シルフィちゃん! あたしも友達になりたいっ」
「もう友達よっ! ね、クリス。お屋敷を案内してよ。その後、あなたのお部屋で遊びたい!」
「うん、いいよっ」
おい、クリス。用事はなんだったのさ。
じいさんの方を振り向くと、ただ静かに微笑んでいた。
あ、そう。慣れっこってことね。
「シルフィもああ言っとったじゃろ。お主の好きにしてよい。なんなら、勇者になるのをやめても、な」
「いや、それだけはないよ。――幼いクリスを連れ回すことになるのは申し訳ないけど」
「ほっほ。それはむしろわしらが望むことじゃ。ところでな、エレン。なかなかに言いにくいことじゃが――」
続く言葉を聞いて、人生初めての経験をすることになった。
男だったときを含めても初めてだ。
わたしは――俺は、卒倒した。




