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「――では、体に気をつけて、無理をするなよ」
気安いフェリクスの言葉に、アリシアは目を潤ませた。
そして、そのたくましい腕にすがる。
「陛下! 私、頑張りますわ! 陛下とこの国のために!」
間に割り込まれた形になったレイチェルは、数歩後退した。
その背をクライブが支える。
「何あれ、感じ悪い」
「マリベル、やめなさい」
少し離れた場所からマリベルと夫人の声が聞こえたが、アリシアに関してはこれが最後だと思うと、レイチェルは腹も立たなかった。
いよいよ今日、アリシア達はサクリネ王国へと旅立つのだ。
フェリクスはぐっとアリシアを引き離し、押しやるようにアンセルムに託した。
「アンセルム、頼んだぞ」
「承知いたしました」
王としてのフェリクスの言葉に、アンセルムはかしこまって頭を下げた。
そこからは友人としての会話が始まる。
二人をちらりと横目で見て、アリシアはレイチェルへと温かな笑みを向けた。
「私、王妃様に謝罪させて頂きたくて……。この国へお輿入れになった時には、きっと心細い思いをなされていたでしょうに、私の態度は酷いものでしたわ」
意外な言葉をかけられて、レイチェルは驚いた。
だが別れを前に、少しでも歩み寄れるのなら嬉しい。
そんなレイチェルをじっと見つめ、アリシアは笑みを浮かべたまま続けた。
「だって、王妃様は私と違ってご家族に見捨てられてしまったも同然でしたものね。やはり王妃様がお声にご不自由をなされているからかしら? 家族って、支え合い助け合うものだとばかり思っていましたけど、まさか争い合うことがあるなんて信じられませんでしたわ」
声を潜めたアリシアの言葉は、レイチェル以外には届いていない。
しかし、顔色を悪くしたレイチェルに気付いて、フェリクスが数歩の距離を縮め、そっと抱き寄せた。
「レイチェル……?」
心配に曇る低い声で名を呼ばれ、レイチェルは何でもないというふうに顔を上げて微笑んだ。
その時、アリシアの悲鳴が上がる。
はっとした二人が目を向けると、鳥達がアリシアの金色の巻き毛を引っ張っていた。
『いじわるな子はきらい!』
『早くどこかへ行っちゃえ!』
『あなた達、ダメよ!』
レイチェルが慌てて鳥達を止めようとしたが、それより先にアンセルムが乱暴に追い払う。
「しっ、しっ! あっちへ行け!」
すると、鳥達は置き土産をドレスの裾に残し、飛び去って行った。
皆が呆気に取られる中、アリシアは怒りのあまり叫んだ。
「やだっ! もう、信じられない!」
侍女達が駆け寄り、一人が鳥の巣のようになった髪の毛を整えようとし、一人が足元に跪いてどうにか汚れを取ろうとハンカチで拭う。
フェリクスは俯いて何度か咳払いをし、顔を上げた。
おろおろするレイチェルを再び引き寄せたフェリクスの青灰色の瞳には、笑いが滲んでいる。
それから、ちょっとした騒動になっているアリシア達からアンセルムへ視線を移した。
「アリシアには災難だったが、まあ、あれだ。花を飾った姿が美しくて、鳥達も引き寄せられたのだろう。さて、あまり出発が遅くなっては後の予定に響く。それではアリシア、元気でな」
少々強引に出発を促すフェリクスの言葉を合図に、皆が動き始める。
アリシアは侍女達に押し込められるように馬車に乗り、どこか憮然とした様子のアンセルムが続いた。
そして、皆に見送られて一行は城門を抜けて行く。
アリシアには傷つけられることも多かったが、フェリクスへの気持ちを知っていただけに、本気で嫌いになることはできなかった。
やるせない思いにレイチェルがため息を吐くと、フェリクスが優しく背中を撫でる。
「我々は、理不尽を押しつけることもあれば、押し付けられることもある。自分の望む通りに生きることはできなくても、諦めなければ幸せをつかむことはできるんだ」
まるで自分に言い聞かせるように呟いて、フェリクスはレイチェルに微笑みかけた。
だが、その表情は少し寂しげに見える。
何も気の利いたことも言えず、レイチェルは笑みを返すことしかできなかった。
「疲れただろう? 部屋へ戻ろう」
穏やかな声で告げたフェリクスはレイチェルの腕を取ると、ロバートに軽く頷いてから、まるで散歩をするかのようにのんびりと回廊を進んだ。
しかし、ふと足を止めて中庭に視線を向けた。
「――あなたがこの国に嫁いで来たばかりの頃、私はここから窓辺で鳥達と戯れているあなたの姿を見かけたことがある。その時のあなたは笑みを浮かべ、とても楽しそうだった。それ以来、もう一度その笑顔を見たくて、私は何度もここへ足を運んだ」
突然の告白に、レイチェルは目を丸くした。
フェリクスがその大きな空色の瞳を見てくすりと笑う。
「今、あなたは私に微笑みかけてくれる。その笑顔を見るだけで私は幸せになれる。そしてもっと、あなたが笑顔になれるよう幸せにしたいと思う。だがそれも、私達がお互いに努力したからだろう?」
今度はレイチェルも心からの笑みを浮かべて頷いた。
たくさんの誤解を乗り越えて、二人はわかり合えたのだ。
もしこの先、何かあっても諦めずに頑張れる自信はある。
フェリクスとレイチェルは今まで以上に寄り添い合い、再び歩き始めた。
* * *
温かな陽気に誘われて、たくさんの動物達が巣穴から顔を出し始めた、ある春の日。
木漏れ日にきらきらと輝く森の中を一台の馬車がゆっくりと進み、少し開けた場所で止まった。
そこから、矢の如く黒い影が走り出る。
「たかさん、たかさーん! あっ、こんにちは! お久しぶりね!」
賑やかな声に呼び出され、ひゅうっと風を切り現れた鷹は、程良い高さの木の枝ふわりと舞い降りた。
『やあ、姫よ。息災なようで何より。と言うよりも、姫は少々元気が過ぎるな』
「そうよ。私は元気がとりえなんだって、お父さまはいつも言うの」
胸を張って黒髪の少女が応えると、鷹はくくっと笑い、首を左右にくいくいと動かした。
少女の空色の瞳は興奮に輝いている。
「今日は、私のじまんの弟を紹介しに来たの!」
『ほう。それは是非お願いしたいな』
「ジュリエッタ、馬車から飛び降りては危ないと、何度言えばわかるんだ? いい加減にしなさい」
後を追って来たフェリクスが、黒髪の少女――ジュリエッタを叱りつけた。
しかし、その声も表情も優しい。
鷹はまたくくっと笑う。
『無茶なところは、母親に似たのだろうな』
「お母さまが無茶をするの? でもお母さまは、おしとやかにしなさいって、いつも私に言うのよ?」
『ふむ。それは興味深いな。我の知る王妃は――』
『お願い、あのことは言わないで』
楽しげな鷹の言葉を遮ったのはレイチェルだ。
その背後では、シンディが笑っている。
フェリクスも笑いながらジュリエッタを抱き上げ、レイチェルの傍らに立った。
「シルヴァンったら、まだ寝てるー」
父に抱かれ、母の腕の中を覗きこんだジュリエッタが不満げな声を上げた。
鷹はどれどれとレイチェルに抱かれた赤子をじっくりと眺める。
『ほう。息子は母親似なのか。銀色の美しい髪をしておるな』
「でも、おめめの色はおじさまなのよ。それで、お鼻の形はお父さまなの」
「そうだな。鼻の形は私だな。それに、瞳の色はこれから変わる可能性が大きいぞ」
二人と一羽のやり取りが微笑ましくて、レイチェルはにこにこしながら聞いていた。
そこにシンディも加わる。
『でも、全体的には、シルヴァンはルバート殿下に似ていると思うわ~』
「ルバート殿下ってだれ?」
「……母様の兄君で、お隣のブライトン王国の王様だよ」
「お母さまのお兄さま!? 会ってみたいな!」
「そうだな。また会えたらいいな」
無邪気なジュリエッタの問いに、フェリクスが丁寧に答えた。
ルバートが王位に就いてから、ブライトンはずいぶんと改革が進み、貧富の差が少しずつ緩和されているらしい。
また、あの騒動の時に宰相の娘だった自分の妃を追放したルバートには、最近になってエスクーム王女との縁談が持ち上がっている。
正式に決まるのかどうかはわからないが、レイチェルは兄が幸せになってくれればと願うばかりだった。
『ホントに親子って不思議よね~。あたしの息子なんて栗色なんだもの。黒毛か葦毛の子が生まれると思ったのにね~』
『あら、でも大きくなると葦毛になるかもよ?』
『黒毛にはならないのかしら?』
『さあ、それはどうかしら……』
『まあ、いいわ。どんな毛色でも、うちの子は可愛いもの』
『そうね、うちの子は可愛いわ』
少ししんみりとしてしまった雰囲気を変えようとしたシンディの陽気な話題から、結局は親バカな会話に落ち着いたところで、シルヴァンがぱちりと目を開けた。
「あっ、シルヴァンが起きたわ!」
喜ぶジュリエッタへ、大きな青色の瞳を向けたシルヴァンはにっこりと笑った。
それから母と父の顔を見つけ、きゃっきゃとご機嫌な声を上げる。
「シルヴァンはとってもかしこい良い子ね~」
うっとりと呟く姉バカな発言に、その場の皆が笑う。
子供達を中心とした明るく楽しげな笑い声は、いつまでも続いた。
そしてこの時から十数年後。
レイチェルとフェリクスの子供達は、心から望んだ相手と幸せな結婚をすることができたのだった。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
これにて『沈黙の女神』は完結です。
本当にありがとうございました。
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