39
マリベル達が王城に到着してから十日が過ぎた頃。
レイチェル達は王妃の間で、花嫁衣装の最後の仕上げをしていた。
クリーム色のサテンのドレスの裾に、レイチェルが編んだレースを縫い付けていく。
自分の衣装は急ごしらえだったため手をつけることが出来なかったレイチェルは、その分マリベルのドレスに力を入れていた。
最近は本当に幸せな日々が続いている。
しかし、一つだけ気になることがあった。
ここ二,三日、鳥達に元気がない気がするのだ。
「ねえ。最近、鳥達の元気がないように思うのだけど、気のせいかしら?」
まるでレイチェルの心を言葉にしたようなマリベルの呟き。
侯爵夫人もそういえば、といった様子で窓の外を眺めた。
「レイチェルは何か鳥達から聞いていないの?」
その問いかけに首を振って応えた時、フェリクスがクライブを従えて部屋に入って来た。
前触れもなく訪れた二人の顔はどこか暗い。
いやな予感に胸を締め付けられながら、レイチェルは針を針山に戻し、立ち上がろうとした。
「いや、皆どうかそのままで」
マリベルと夫人も同様に立ち上がろうとしたが、フェリクスが片手を上げて制した。
かすかに聞こえていた鳥達の鳴き声も消えてしまったような、静まり返った部屋にフェリクスの重々しい声が響く。
「先ほど、ブライトンより早馬が着いた。ブライトン国王が――レイチェルのお父君が亡くなられた、と」
鋭く息をのんだのは侯爵夫人だ。
レイチェルは理解するよりも先に、ブライトンを発つ前に見た父王の姿を思い浮かべていた。
厳めしい顔にはしわが寄り、濃い茶色の髪には白いものが混じり始めていたが、特に体を悪くしていたようには思えない。
フェリクスはそんなレイチェルの表情をじっと窺いながら続けた。
「――謀反だ。ブライトン国王は弑逆され、宰相他、十数名の政務官も殺された」
今度はマリベルが、ひっと小さく悲鳴を洩らす。
いったい誰が、と問いたいのに、レイチェルは手も唇も動かせなかった。
「首謀者は……ルバート王太子殿下。従犯者は、サイクス侯爵。以下、地方貴族と軍上層部から多数」
首謀者達の名前を聞いて、レイチェルは色を失った。
今なら、フェリクスが座っているようにと告げた真意がわかる。
耳の奥ではドクドクとうるさく脈が打っているのに、体中が冷たくなっていく。
「そんな、お兄様が……」
ぽつりと呟いて、マリベルがわっと泣き出した。
侯爵夫人は娘を慰めるように抱きながらも、レイチェルに心配げな視線を向けている。
呆然としたまま、レイチェルはフェリクスを見て、クライブを見た。
二人とも痛ましげな表情をしているが、それは起きたことに対してではなく、レイチェル達が受けたショックに対してだ。
『……クライブは、知っていたの?』
「私は……」
震える指をどうにか動かして出てきたのは、責めるような問いかけ。
クライブは答えようとして、声を詰まらせた。
「レイチェル、私達は部屋へ戻ります。あなたは陛下とお二人でお話をなさい」
夫人はしゃくりあげるマリベルを促して立ち上がった。
レイチェルがすがるように見上げると、夫人は眼差しを厳しくする。
「あなたはもう、ブライトンの王女ではないのよ」
はっとしたレイチェルは、固く手を握りしめて頷き、立ち上がった。
フェリクスが支えるように傍へと歩み寄る。
だが何も言わず、二人は夫人とマリベルを見送った。
ドナとクライブも出て行き、二人きりになると、フェリクスはレイチェルをソファへ座らせた。
「大丈夫か?」
温かく気遣いに満ちた問いかけに、レイチェルはどうにか微笑んで応えた。
そのぎこちない笑みを見て、フェリクスがそっとレイチェルを抱き寄せる。
「レイチェル。確かに、あなたはこの国の王妃だ。だが今はただ、私の妻だ。悲しければ、悲しめばいい。泣きたければ、好きなだけ泣けばいい」
低く穏やかな声音は、レイチェルの心に優しく沁みる。
溢れる涙を堪えることなく、レイチェルはフェリクスの腕の中で静かに泣いた。
目を閉じれば自然と幼い頃のことを思い出す。
母に抱かれ、その心地よさにうとうとしていたところに、突然大きな手で頭を掴まれて驚いたことがある。
撫でようとしただけの父は、激しく泣きだしたレイチェルに慌てふためいていた。
その姿を見て、兄はくすくす笑っていた。
父がいて、兄がいて、姉達もいて、そして母がいた、幸せだった日々。
母が亡くなり、父は変わり、兄とは会えなくなった。
声を失くして不幸に浸り、外の世界に憧れるだけで、何が起こっているのか知ろうともしていなかった日々。
父に命じられた結婚で、大切な人と出会えた。その大切な人を守るために、父に逆らい戦う覚悟でもいた。
それなのに、父の死が悲しい。兄の凶行が苦しい。
泣くだけ泣いて、心の中の想いを見つめている間、フェリクスはずっと背中を撫でていてくれた。
やがて落ち着きを取り戻したレイチェルは、顔を上げてもう大丈夫だと微笑んで伝えた。
フェリクスがいれば、これから先も頑張れる。
お腹の子のためにも強くならなければと、レイチェルは真剣な眼差しをフェリクスに向けた。
『これから、どうなるのですか?』
レイチェルの簡潔な問いに、フェリクスは少し考えてから口を開いた。
「……当然のことながら、近々ルバート殿下が王位に就くそうだ。殿下は騎士団をはじめとした軍部を掌握していたために、王宮内での騒動はあっという間に片付いたらしい。また、地方貴族に多くの賛同者を得ていたサイクス候の功労もあって、争いが地方へと広がることもない。まだ多少の混乱は残っているらしいが、それもすぐに治まるだろう」
フェリクスの説明を聞いて、レイチェルはふと思い出した。
先日会いに来てくれたエリオットの様子がどこかおかしかったことを。
ずっと悩んでいたのかもしれない。
それなのに、自分のことばかりでちっとも気付けなかったことに後悔が募る。
エリオットはいつもレイチェルを助けてくれたのに。
「私は、ルバート殿下の即位に際し、祝辞と共に祝賀の品を贈ろうと思う」
再び沈みそうになるレイチェルの心を引き上げるかのように、フェリクスが力強く告げた。
それは、モンテルオ国王がルバートを支持するということだ。
今、一番勢いのあるモンテルオに他国もきっと倣うだろう。
フェリクスの心遣いに、レイチェルは感謝の笑みを浮かべた。
父王と兄の間に何があったのかはわからない。それでも、もうこれ以上の争いを避けるためにも、禍根は捨てなければならないのだ。
「レイチェル……」
名を呼ばれ、レイチェルは返事の代わりに微笑んだ。
しかし、後が続かない。
どうしたのかと首を傾げると、フェリクスはふっと笑った。
「いや、何でもない」
そう言われると気になる。
レイチェルは答えを求めるようにじっとフェリクスを見つめた。
すると、フェリクスはレイチェルの柔らかな頬を両手で包み、キスをした。
誤魔化されないわ、という決意はすぐに消えていく。
結局、答えを得ることはできず、フェリクスが去った後に、レイチェルはまた首を傾げることになった。
* * *
「失礼致します」
取り次いだロバートの後から執務室に入って来たクライブは、深く頭を下げて前へと進み出た。
ロバートは別の扉からそっと出て行く。
「どうした、何があった?」
クライブの来訪を訝しんで、フェリクスが質問を投げかけた。
わずかに鋭さを含んだその声に怯むことなく、クライブは答える。
「陛下に、私個人からお礼を申し上げたくて」
「……お礼? 何のことだ?」
「リュシアン殿下のことです」
「……」
眉を寄せたまま黙り込んだフェリクスを真っ直ぐに見つめ、クライブは続けた。
「殿下が極秘にブライトンとの国境へ向かわれたのは、今回の騒動でサイクス候を支援して下さるおつもりだったのでしょう? 万が一にも、劣勢に立たされるようなことがあれば、殿下は――」
「さあ、どうだかな」
クライブにそれ以上言わせず、フェリクスは応えた。
それから小さく苦笑する。
「そもそも、お前に知られている時点で、極秘でも何でもないではないか」
「それをおっしゃるなら、ルバート殿下もサイクス候も極秘に動いていたはずなのですが?」
わざとらしくクライブが顔をしかめると、フェリクスはため息を吐いた。
「確かにな。だが、予兆はあった。しばらくブライトン王宮に滞在していて気付いたことだ。それが当人達は気付かないのだから、愚かだとしか言いようがない。まあ、確信を得たのは、お前の婚礼を早めたことだが……。サイクス候は最悪の事態に備えて、お二人を避難させたかったのだろう?」
「――おっしゃる通りです。そこまで察していらしてなお、二人を受け入れて下さったことにもお礼を述べさせて下さい。私はすでにモンテルオの人間ですが、マリベルの婚約者として、サイクス候の――エリオットの友人として深く感謝しております。誠にありがとうございました」
改めて頭を下げるクライブに、フェリクスは再びため息を吐いた。
クライブは相変わらず真面目すぎる。
「もういい。気にするな。結局、私達は動く必要もなかったのだから。それに、モンテルオにとって打算がなかったわけではない。それを今ここで論じても仕方ないが、とにかくリュシアンはこのまま私の名代としてルバート殿下の即位の祝賀に向かってもらうつもりでいる。これでこの話は終わりだ。良いな?」
「……かしこまりました」
クライブが返事をすると同時に、ロバートがお茶を淹れて執務室に戻ってきた。
時間がかかり過ぎていたのは、気を利かせていたのだろう。
男が三人集まって夜にお茶というのもおかしなものだが、その後は飲み物にふさわしい、和やかな会話が交わされることになった。




