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『こやつらは山を荒らし、多くの仲間を殺めた。危うくも火まで大量に使った。あまりにも許し難き狼藉、成敗してくれたわ!』
力強くひづめで大地を叩きながら、ヤギの長老は高らかに宣言した。
応えて、動物達が勝ち鬨を上げる。
長老はフェリクスとクライブをちらちらと見て鼻で笑うと、横長の瞳をレイチェルに向けた。
『お嬢さんが頑張っておるのに、わしらが怯えて隠れておっては情けないからの。皆、奮起したぞ。さて、弔い合戦はこれで仕舞いじゃ。では、達者での』
胸がいっぱいで感謝の気持ちさえもレイチェルが伝えられないうちに、長老は満足げに鳴いて悠然と山へ帰って行った。
その後ろに他の動物達も続く。
そして、街道には痛みに呻く賊と呆然とした兵達だけが残された。
「――重症者には直ちに手当てを! 動ける者は賊を捕縛せよ!」
いち早く平静を取り戻したフェリクスが声を張り上げて命じると、兵達も我に返って動き始めた。
レイチェルもこれ以上の邪魔はできないと思い顔を上げて、馬から下りると伝えようとした。だが、どうすればいいのかわからない。
戸惑うレイチェルの視線を感じて、次々と指示を出していたフェリクスが顔を向ける。
ほんの一瞬二人は見つめ合い、淡く染まった頬に無骨な手がそっと伸ばされた。
そこへ、黒い影が二人の間を勢いよく横切り、フェリクスは馬上で大きくのけ反った。
黒い影は一度旋回して速度を落とし、街道に張り出した大木の枝にふわりと止まる。
『すまぬ。夜は目が利かぬゆえ、方向を失ってしまったようだ』
楽しそうにくくっと笑って謝罪したのはあの鷹だ。
体を起こしたフェリクスは鷹を見て顔をしかめ、ぼそりと呟く。
「鷹にもヤギにも世話にはなったが、なぜだか無性に腹が立つな」
「ええ、まったくです」
思わずといった調子で、馬から下りたクライブが同意した。
しかし、はっと表情を引き締めると頭を下げ、レイチェルに両手を差し出す。
レイチェルもクライブの手を借りようとして身を乗り出した。が、なぜかフェリクスに力強く抱えられて大地に下ろされていた。
そしてフェリクスも馬から下りる。
「あなたには、説明してもらいたいことが本当に多くある。だが、それも今は難しいな」
深くため息を吐いたフェリクスは、駆け寄る騎士に目を向けた。
つられて視線を向けたレイチェルは息をのみ、クライブが表情を明るくする。
「キース! よく無事で……」
「いや、俺よりも――レイチェル様がご無事で安心しました。ですが、今回はたかが賊と油断していた私の失態です。ですから、どのような処分も受ける覚悟でおります」
膝をつき、頭を下げるキースに大きな外傷はないようだ。
レイチェルは安堵のあまり足から力が抜け、キースは何も悪くないと否定したいのにできなかった。
そんなレイチェルのふらつく体をフェリクスはしっかりと支える。
「王妃がこうして無事だったのだから、もうよい。それよりも、賊の捕縛に加わってくれ。どうにも人手が――」
言いかけたフェリクスは、新たに近づいて来るひづめの音に気付いて口を閉じた。
皆が警戒して音のする南へと目を向けると、月明かりの下、風に翻るモンテルオ軍旗が見えた。
「リュシアン殿下だ!」
誰かの歓喜に満ちた声が上がる。
軍旗の紋章は確かにルースロ公爵――リュシアンのものだ。
しかし、なぜここにという疑問が湧いてくる。
「……サクリネとの問題は、かなり前に片付いていた。ゆえに最終的交渉はシャルロに――アンセルム達の父親であるベルトラン侯爵に任せ、リュシアンは軍を率いてバイレモ高原の後方で待機していたんだ」
レイチェルの胸中を察してか、フェリクスが硬い声で告げた。
それがどう意味なのかレイチェルにはわからなかったが、すぐそばに立つクライブは苦い顔をしている。
やっぱり政治や戦略はよくわからない。よくわからないが――。
レイチェルは手当てを受ける兵達に目を向け、燃え上がる家屋を眺めた。
胸の奥にいやなものが広がっていく。
今日も手紙をフェリクスへ届けてくれた鷹は、大木の枝に止まってうとうとしている。
フェリクスはレイチェルの情報のお陰で街の人々が避難できたと言っていた。街への被害が少ないというのも、恐らく大切なものを運び出しているのだろう。
それは心から本当に良かったと思う。役に立ててとても嬉しい。
だが、なぜかレイチェルは悲しかった。
「兄上、ご無事でしたか!」
今までにない切迫した様子で駆けつけたリュシアンは馬から飛び降りた。
そしてフェリクスの無事な姿を認め、顔を輝かせる。
「遠くから無数の火矢が街へと飛んで行くのを見た時は肝を冷やしましたよ。まったく、橋の壊れた川を強引に渡るなど、無謀にもほどがあります。後を追った騎士達も誰に似たのやら、本当に……」
安堵のためか、小言を繰り出すリュシアンの声がふと途切れる。
フェリクスの隣に立つ少年の姿に気付いたのだ。
かすかに目を見張り、すぐに気を取り直してにやりと笑う。
「どうやら無謀なのは、兄上だけではないようですね」
リュシアンはそう言うと、追いついた騎士達にそのままフェリクスの部隊の指揮下に入るよう命じた。
その時、賊の傷口に目を止めて眉をひそめ、他の者達の傷も確かめるように周囲を見回す。
それからまた、フェリクス達に向き直った。
「それで、この状況はいったい何なのですか? 王妃様の私兵が加わっていたにしても、よくあれだけの数の賊を討てましたね? 賊の傷もずいぶん変わったもののようですが……」
「そのことについては、また後ほど話す。それよりも、橋の修復は終わったのか?」
「――ええ、まあ。ですが、簡易的なものですので、補強は必要ですよ。幸い、この街の者達も無事避難しているようですので、彼らと共に街の修復が終われば取りかかれるでしょう。王妃様が鷹を使って賊の襲来を知らせて下さったお陰ですね?」
フェリクスが敢えて話題を変えたことに気付いていながら、リュシアンは無視した。
何かを探るように、レイチェルをじっと見つめながら続ける。
「前もって賊の襲撃を知っていたからこそ、どの街も備えることができました。さらに、今日の襲撃を知らせて下さったお陰で、非力な者達は近くの鉱山に避難できたのですから、感謝の念は絶えませんよ。鷹から手紙を受け取った兄上は、すぐに街の長への手紙を託したのです。それもこれも、あの鷹がずいぶん人に慣れているからこそ、できたことですよ」
「リュシアン、今は終わったことについてはどうでもいい。話し合うべきは、これからのことだ」
「まあ、それもそうですね」
フェリクスが厳しい声で割って入り、リュシアンはようやく引いた。
クライブは立ちすくむレイチェルを庇うように前へと進み出る。
「レイチェル様、あちらでお怪我の手当てを」
怪我というほどの大したものはないが、この場から逃げられることにほっとして、レイチェルは頷いた。
強張った足を一歩一歩動かすレイチェルの背中に、フェリクス達の視線が刺さる。
そして聞こえる会話。
「これからと言えば、ここは私が引き受けますので、兄上は明朝にでも駐屯地に戻って頂けませんか?」
「何があった?」
「先ほど、早馬が知らせて来たのですが、エスクーム軍が高原から撤退を始めたそうです」
「撤退? 本当に?」
「はい。ブライトン軍がエスクームへの侵攻を開始したとかで、奴らは慌てています。とにかく情報が錯綜して混乱しているので、兄上に指揮を執って頂きたいと」
レイチェルは思わずクライブを見上げた。
しかしクライブは表情を変えず、街道沿いの店先にあるベンチにレイチェルを座らせ、目に見える傷を調べていく。
「レイチェル様、頭やお腹など、痛むところはありませんか?」
本当はどこもかしこも痛かったが、レイチェルは首を振って否定した。
そこに、耳慣れたひづめの音が聞こえ、顔を上げる。
『レイチェル! 無事で良かったわ』
『シンディ!』
愛馬の元気な姿を目にして、レイチェルは全てを忘れ、飛び付いた。
ぎゅっと首筋に抱きつき、顔をうずめる。
『やだ、レイチェルったら。くすぐったいわよ』
『ごめんなさい、シンディ。無茶ばかりさせて、本当にごめんなさい』
『馬鹿ね、レイチェル。二人とも無事だったんだから、いいじゃない。大冒険も楽しかったわよ。それに、レイチェルの危機に颯爽と駆けつけてくれた姿はかっこよかったわよねー。あたし、思わず恋に落ちちゃいそうだったわ』
元気づけようとしてくれているのか、いつもの調子に戻ったシンディの話に、レイチェルは笑った。
『本当は恋に落ちたんじゃなくて? あんなに素敵だったのに? 私は夢かと思ったわ』
『あたしは、そう簡単には恋なんてしないの。男なんてね、惚れさせてこそなのよ。そりゃ確かに、長い首筋にかかったあの黒いたてがみは素敵よ? しなやかな脚に、力強い体に、艶めいた体毛も素敵よね。それに、王様とレイチェル二人を乗せて、あんなに俊敏に動けるのも魅力の一つね。でも、それだけよ。ちょっといいなって程度』
『……そう。ちょっといいなって思ったのね?』
『ち、違うわよ! そうじゃなくて! あたしは恋なんてしないんだから!』
いつも以上に鼻息荒く、忙しなく足踏みをするシンディに、レイチェルは笑いを堪えた。
ここで笑ったりしたら、シンディは余計に意地を張ってしまう。
顔を上げたレイチェルは気を逸らそうと何気なく街中に目をやり、見知った顔に気付いた。
(あれは……まさか……?)
建物の陰に隠れるようにして屈んでいるのは、父王の近衛騎士だったはずの人物だ。
今までに何度か熱烈な手紙をもらったことがあり、覚えている。
とは言っても、上っ面だけの求愛の手紙はよくもらっていたのだが、彼はかなり浮名を流している酷い男性だとドナが怒っていたので印象に残っているのだ。
怪我でもして立ち上がれないのだろうかとレイチェルが心配した時、まるで賊のような姿をした彼は小さな弓矢を構えた。
(どうして――!)
もし声が出せていたなら、今すぐ危険を知らせることができるのに。
喧噪の中、話し合いを続けるフェリクス達は、潜んでいる男には気付かない。
レイチェルは無我夢中で走り出した。
だが、放たれた矢は真っ直ぐフェリクス目がけて飛んでいく。
ようやく皆がそのただならぬ様子に気付き、振り向いたフェリクスに矢は勢いよく突き刺さった。
悲鳴を上げることすらできず、足を止めて呆然と立ち尽くすレイチェルの耳に、クライブの怒声が聞こえる。
逃げ出した男に誰よりも早く追いついたクライブは、有無を言わさず剣を振り上げた。
クライブを前にした男の顔に一瞬、安堵の表情が浮かぶ。が、それはすぐに絶望に変わった。
――裏切り者!
容赦なく剣が振り下ろされた時、男の口がそうはっきりと動いた。
誰が誰を裏切ったというのか。
もう何を信じればいいのかわからず、レイチェルは縋る思いでフェリクスを見た。
しかし、膝をついたフェリクスはふっと視線を逸らす。
そのまま、皆の制止を無視して左上腕に刺さった矢を引き抜いた。
じわりと赤黒い染みが広がっていく。
それはまるで視界を黒く染める闇のようで、レイチェルの意識はそこで途切れた。




