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――貴重な情報は有り難いが、むやみに兵を動かすわけにはいかない。だが、見過ごすことも出来ないゆえ、検討した結果、調査の者をそちらに向かわせることになった。また、情報の真偽はともかくも、アクロス近辺は戦に巻き込まれる可能性が高い。なるべく早く、その地を離れるよう。あなたの無事を願っている。
「調査とはまた、呑気な……」
呆れた、とばかりにクライブがため息を吐く。
『でも、無視されるかと思っていたのよ。だから、調査してくれるだけでも……』
「で、その調査の者はいつやって来るのですか? エスクームの兵が侵入を果たしてからですか?」
フェリクスの返事にがっかりしていたのに、なぜかレイチェルは庇っていた。
しかし、すぐに冷ややかな反論が返ってくる。
「フェリクス国王が――ブライトン側がどう動こうが、この際どうでもいいでしょう。とにかく、レイチェル様は一刻も早くここを離れるべきです」
クライブの忠告に一瞬たじろいだレイチェルだったが、きゅっと唇を噛みしめて頷いた。
『……では、明日の朝、出発します。王城に戻って、この六日間で得た情報を陛下に直接お伝えするわ』
「城に……戻られるおつもりですか?」
『王城以外に、どこへ行くというの?』
「いえ、それは……」
強い決意を秘めた眼差しを向けると、クライブは言葉を詰まらせ目を逸らした。
それでもレイチェルは真っ直ぐに見据えて告げた。
『一部の者達を除いて、兵は治安維持のためにもこのままアクロスに残して行きます。戦の噂で領民は皆、不安でしょうから』
「……かしこまりました」
渋々といった様子で了承したクライブの懸念をレイチェルはよくわかっていた。
このまま城に戻っても、喜んで迎えてくれるとは思わない。むしろ、逃げ帰って来たと陰で批難されるだろう。
フェリクスも戻って来るようにとは書いていなかった。ただ、心配はしてくれている。
それが嬉しい。それだけで勇気が湧いてくる。
レイチェルは明日の出発をドナに伝えるために、立ち上がった。
* * *
行きと違って帰りは身軽なためか、五日かかった行程を一日ほど短縮できそうだと安堵していた三日目の昼下がり。
街道を少し外れた草原で、休憩がてら簡単な昼食をとっていたレイチェルのもとへ、小鳥達が飛んできて、騒ぎ始めた。
『大変なの! 大変なの!』
『ついに戦いが始まったって!』
『怖いよー! みんな、みんな死んじゃうよー!』
青ざめたレイチェルは急ぎ立ち上がると、クライブを捜しに走った。
クライブは数人の騎士達と話していたが、レイチェルのただならぬ様子に気付き、すぐに駆け寄って来る。
「どうなされました?」
『始まったの! ついに――』
体が震えて上手く言葉にできない。それでもクライブは察したようだ。
レイチェルの前で悪態をつき、はっと我に返って気まずそうに咳払いをした。
「レイチェル様、ひとまず落ち着いて下さい」
『でも――!』
「今、ここで我々が焦っても何にもなりません。これからどうするべきか、です。そのためには冷静にならなければ」
クライブはゆっくり言葉を継ぐと、レイチェルを連れて皆から少し離れた木陰へと向かった。
「鳥やヤギ達から聞いた限りでは、山峡の道は人一人が通れる程度なのでしょう? そして今のところ、兵がモンテルオ側に向かっている様子はない。違いますか?」
『その通りよ。でも、私達がアクロスを出発してから三日も経つわ。その間に向かって来ているのだとしたら? 十日もすれば、大軍となって背後から攻め込んでくるかもしれない』
「その心配はありません」
『なぜ?』
「一人しか通れないような道に大軍を送り込むなど、愚策でしかないからです。しかも馬を連れているとなると……来るなら、少数精鋭でしょう」
木陰の張り出した根にレイチェルを座らせたクライブは言い聞かせるように答えた。
その声は力強く頼もしい。
また焦り始めていたレイチェルは、自信を持ったクライブの言葉にわずかではあるが、落ち着きを取り戻した。
どうすればこの危機を打開できるのか、レイチェルなりに必死に考える。
『じゃあ……お父様に手紙を書くわ。事情を説明して、援軍を送ってくれるように。私の願いを聞いて下さるとは思えないけど、同盟国であるモンテルオのためなら動いてくれるでしょう?』
「……」
『お兄様にも同じように書くわ。今から急いで鳥達に託せば――』
「無駄です」
『え?』
「援軍は望めません」
『……なぜ? だって、このままじゃバイレモにいるブライトン軍までも不利な戦いを強いられるのよ?』
自分の力で解決できないのは情けないが、それでも最善のことをしたい。
その思いもむなしく、政治も戦略もろくに知らないレイチェルの案はあっさり却下されてしまった。
縋るように見たクライブの顔は、なぜか苦しげに歪んでいる。
「ブライトン軍は……近々、エスクームに侵攻を開始します」
レイチェルは初めて知らされた真実に愕然とした。
くらくらする頭の中に、クライブの低いかすれた声が響く。
「バイレモに向かったブライトン軍はできる限りエスクーム軍を引き付け、戦力を削ぎ、時間を稼ぐこと。その際、バイレモへの侵略を許すのもやむなし、と。それが、将軍達に下された命令です」
『そんな……それじゃまるで……』
両手が震えて続く言葉をレイチェルは表わせなかった。
まるで、バイレモを囮にするような命令。
だが何より、最大の囮はレイチェルではないか。
ブライトン国王が大変可愛がり、甘やかされて育ったと噂の王女――レイチェルが嫁した国、モンテルオをブライトンが見捨てるわけがないと誰もが思っているだろう。
力なく下ろしたレイチェルの両手をクライブが励ますように握った。が、受け入れることができずに勢いよく振り払った。
やり場のない怒りと悲しみが込み上げてくる。
声が出せないことがこれほど悔しく、これほどほっとしたことはなかった。
なぜ教えてくれなかったのかと、クライブを激しく詰りたい。
あとで後悔するようなことを言わなくて良かったとも思う。
相反する二つの気持ちの間で、レイチェルは何度も何度も深呼吸を繰り返した。
『いつから……いつから知っていたの?』
「――昨日です。エリオットからの手紙で知りました」
『あの鳥……マリベルが託したのね?』
「はい」
エリオットの妹である従妹のマリベルはレイチェルほどではないが、鳥に手紙を託す程度の力は持っている。
昨夕、クライブのもとに飛んできた鳥にはレイチェルも気付いていた。
それでは、エリオットはいつから知っていたのだろうと、つい余計なことを考えてしまう。
そんな彼女を黙って見守っていたクライブは静かに続けた。
「決して、将軍達が手を抜くわけではありません。彼らは力の限りバイレモを守り抜く覚悟です。それに、ブライトン軍のエスクーム侵攻がバイレモへと伝われば、エスクーム軍は動揺するでしょう。そこを上手く衝けば、勝機は我々にあります。ただ――」
言いかけて急に口を閉ざしたクライブに、レイチェルは訝しげな視線を向けた。
クライブは俯いて黙り込む。
辺りには草原を渡る風の音と、噂話に勤しむ小鳥達の声しか聞こえない。
片膝をついたままのクライブは両拳をぎゅっと固め、顔を上げた。
「レイチェル様、このまま北上しましょう」
『……どういうこと?』
「このまま北上して国境を越えれば、エリオットの――サイクス候の領地です。幸い、兵達は地理に明るい。迷うこともなく――」
『いいえ!』
激しい手ぶりでクライブを遮ると、レイチェルは震える体を必死に抑えて訴えた。
『私はこのモンテルオの王妃よ。何があろうとも、この国を捨てることはしないわ。たとえ疎まれようとも、陛下から離縁を申し渡されるまで居座るつもりなの』
笑ってないと泣いてしまいそうで、レイチェルは無理に微笑んだ。
父王からの手紙を燃やした時の決意。
幸せになるための努力は報われないかもしれない。
何度も間違ってばかり、迷ってばかりの決断は、今度も同じになるかもしれない。
それでもレイチェルの選んだ道なのだ。
『エリオットを頼れば、楽なのはわかるわ。でも、ダメなの。……ごめんなさい』
「いいえ、レイチェル様が決められたのなら、それでいいのです」
皆を巻き込んでしまうことが、レイチェルには気がかりだった。
しかし、クライブは心からの笑顔でそれを否定した。




