12話
春の風が王都の並木を優しく揺らしていた。
侯爵家の馬車が王宮の前に止まると、門番が慌てて駆け寄り、深々と頭を下げる。
「クイーンズ侯爵閣下、そして奥方様、お待ちしておりました」
その呼び声に、わたくしは、胸の奥に熱いものを感じた。
悪女と陰口を叩かれ数年、今夜わたくしは王宮に、堂々と戻ってきた。
隣には新たな侯爵となったアラン様が穏やかに微笑んでいる。
「緊張してますか?」
「いいえ。少しだけ、面倒な人たちの顔を思い出していただけですわ。さあ、最後の仕上げといきましょう」
彼はわたくしの手を取る。
春風のように温かなその手が、すべてを包み込むようだった。
「では、その面倒な人たちに見せてあげましょう。貴女がどれほど気高く美しいかを」
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大広間の扉が開かれた瞬間、視線が一斉にこちらを向いた。
花々の香と音楽が混ざり合い、ざわめきが広がる。貴婦人たちは色とりどりのドレスを身に纏いながら、噂話に忙しい。
「あれがクイーンズ侯爵家のローズ・ポーレット夫人よ」
「あの悪女と噂の? なんて堂々と!」
「お隣にいらっしゃるのは長年、行方不明だったという新たなクイーンズ侯爵家のご当主らしいわ」
「あの方、婚姻無効になったエドモント様の弟君らしいわ。」
「ということは、お兄様の婚姻無効になった方とご結婚なさったということ?」
「でも、お二人共、堂々としていて何だか風格があって素敵よね」
ざわめきはやがて称賛へと変わった。
アラン様がわたくしの手を取り、ダンスへと導く。
わたくしは一歩、また一歩と踏み出した。
まるで、かつての屈辱を足元に置き去りにするように。
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突然、背後から冷たい声がした。
「よくもまあ、図々しく出てこられたものねぇ」
その声に、空気が凍る。振り返れば、亡き父の後妻、継母クラリッサと、その娘セリーヌがいた。かつては家族を名乗っていた二人が、今は毒のような笑みを浮かべている。
「婚姻無効になった貴女が、侯爵夫人になったと聞いて、驚いたわ。まさか、あんな騒動を起こしておきながら自分だけ幸せになるつもり?」
「は? 騒動ですって? 平民の愛人がいると知りながら、侯爵家嫡男だった人にわたくしを嫁がせ、その見返りに多額の資金を受け取ったこと、知らないとでも?」
わたくしは扇を軽く持ち上げ、ゆっくりと首を傾げた。
「その上、お父様の遺産を横領していたのは、誰だったかしら。まさかそれを私の仕業に仕立て上げた人が、よくもそんなことを」
「なっ……!」
異母妹の顔から血の気が引く。継母が咄嗟に取り繕うように口を開いた。
「根も葉もないことを!」
わたくしは扇を優雅に閉じ、言葉を紡いだ。
「横領の件、信じられないなら、王家の公証院に問い合わせるとよろしいわ。すでに証拠の写しを提出済みですもの」
異母妹がわななきながら後ずさる。
「お、横領? そんな……!」
扇を閉じると、継母は蒼ざめ、震える声で叫んだ。
「嘘よ、横領なんてしてないわ!」
その瞬間、場が静まり返る。王太子殿下が歩み出てきたのだ。凛とした青い瞳が、継母クラリッサを射抜く。
「虚偽を叫ぶのはやめることだ、すでに王家の監査局が、伯爵領での不正会計を確認している。お前たちの罪は、もはや逃れられぬ」
継母と異母妹が、息を呑むようにその場に崩れ落ちた。ざまぁみなさい。
わたくしは微笑みの奥で、ようやくその言葉を飲み込んだ。
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舞踏会が再び穏やかさを取り戻し、音楽が優しく流れる。アラン様が再び手を取り、二人で舞い続ける。
香り立つ薔薇のような旋律の中で、わたくしは確かに感じていた。過去はもう終わり、今は幸福の香りに包まれている。
「アラン様、継母の横領の件、調べていただきありがとうございました」
「君の名誉回復のためなら何でもするさ。だからローズこれからはもっと僕を頼って欲しい」
「もう充分頼っていますわよ。わたくしはとても幸せです。ニールに癒され、アラン様に支えてもらっているのですもの」
二人は顔を見合わせながら笑みをこぼす。
舞踏会の終わり、カーテンの隙間から吹き込む夜風が頬を撫でた。それはまるで、どこか遠くで黒猫が小さく『にゃあ』と鳴いたようなそんな優しい風だった。
けれど猫の物語は誰も知らない。
こうして、悪女と呼ばれたわたくしは、ようやく一人の妻となり、かつて猫だったアラン様はわたくしの最愛の人となった。
一度も期待などしなかった愛というものが、思わぬ形で成就した。彼とならきっと、どんな未来も恐れることはない。そんな風に思えるのです。
きっと人は、愛する人の手を取った瞬間、生まれ変われるのかもしれません。そう、新しい自分に出会うため、人は誰かと巡り会うのでしょう。
ああ、でも二人の物語はまだ、始まったばかりです。
完




