11話
数日後、玄関前に侯爵様の馬車が止まった。
エドモント様はすでに旅装のまま、黙って荷を積み込んでいる。
トーマスさんとメイド長、そして屋敷の者たちが静かに見送る中、侯爵様は短く言った。
「エドモント。お前には領地の再建を任せる。
贅沢も遊びも当分は禁止だ。働くことを覚えろ」
エドモント様は唇を噛み、低く頭を下げた。
「はい、父上」
視線を上げたその顔に、かつての傲慢さはもうなかった。
アラン様には『おかえり、この家を頼む』とだけ言い残したそうだ。
彼は馬車に乗り込み、扉が閉まる。
そのまま馬車は静かに動き出し、雪解けの庭を離れていった。
最後までわたくしに言葉を発することはしなかった。だか、それでいい。
それが、彼の、この屋敷との最後の別れだった。
ーーーー
残された屋敷は、春を待つ庭のように静かだった。
アラン様は、書斎の窓辺に立ち、侯爵様から託された印章を見つめていた。
「重いものですね」
「それが家というものですわ」
わたくしは微笑み、お茶を注いだ。
「あなたならきっと大丈夫です。猫の姿でも、ちゃんと威厳がありましたもの」
彼は苦笑しながら
「威厳、ですか? あのときの僕はただ、あなたの足元で丸くなっていただけですよ」
「それでも、頼りがいはありましたわ。だってあの日、旦那様からわたくしを守ってくれたではありませんか」
「ただ、あの時は貴女に指一本触れさせたくなくて、必死でした」
アラン様は笑い、印章を机に置いた。
そして、唐突に
「ずっと気になっていた。僕は、貴女にきちんと気持ちを伝えていないし、貴女の気持ちも聞いていない」
「良いではないですか、今二人はこうしているのですから」
「いいや、駄目だ。僕はローズ、貴女の本心が聞きたい。もちろん僕は君を愛しているし、この先もずっと一緒に歩んで行きたい」
真剣な眼差しで見つめられる。
「侯爵様の前では聞けなかった《愛している》の言葉、初めて言われました。いいものですね」
感動で胸が熱くなった。
「わたくしも貴方のことを心からお慕いしています。その気持ちは多分貴方以上だという自信がありますわ」
わたくしも真剣な眼差しで見つめ返した。
彼はとても嬉しそうに
「はは、ローズその自信は何処から来るのです?」
「? 何処と聞かれましても……」
「すみません。冗談です、少し意地悪でしたね。ローズ、こんな僕ですが結婚してくれますか?」
「もちろんですわ。喜んで。わたくしはもうずっとそのつもりでおりました」
二人の心は、まるで春の暖かな日差しに包まれているかのようだった。
「僕はもう、この家を絶望の底には落としません。
そして、あなたを二度と悪女なんて呼ばせない」
「それは残念ですわ。少しはその呼び名にも愛着がありましたのに」
「では、これからは魔女殿と呼びましょうか」
「まあ、それも悪くはありませんわね」
二人の笑い声が、穏やかな午後の光に溶けていった。
こうして、クイーンズ侯爵家は新たな時代を迎えた。




