10話
冬の陽がやわらかく庭を照らしていた。
久しく使われていなかった本宅の大きな門が、ゆっくりと開く。
馬車の中から降り立ったのは、長い領地暮らしから帰られた侯爵様、エドモント様とアラン様の父上だった。
威厳に満ちた灰色の瞳が、整えられた庭と新しく植えられた白い花々を見渡した。
「ずいぶん、変わったものだ」
屋敷で、出迎えたのはトーマスさんとメイド長、それにわたくし。
アラン様は少し離れた位置で控えていた。
「侯爵様、お帰りなさいませ」
「うむ、トーマス。それに、ローズ嬢、メイド長も元気そうだな」
侯爵様はわたくしを見ると、しばし黙した。
その視線には、遠くから見守ってきた者の静かな確信があった。
「すべて、聞いたよ」
その一言で、場の空気がわずかに引き締まる。
「息子が不始末をし、家を混乱に陥れたと。そして私が信用し、全てを任せていた財務顧問が黒幕だったことも聞いた。
本当に苦労をかけ、済まなかった。
君が、屋敷と名誉を守ってくれたそうだな」
「恐れながら、わたくしは自分にできる範囲のことをしたまでですわ」
「できる範囲? いいや、君はそれ以上のことをしてくれた」
侯爵様の声には、静かな敬意が滲んでいた。
「過去の清算で家の資金を立て直した。行方不明だった次男を救い、真実を明るみに出した。
そして、この侯爵家の名誉を守ってくれた」
わたくしは、わずかに目を伏せた。
「侯爵家において、矜持だけは手放してはならない。それを守った君を、私は誇りに思う」
その言葉に、屋敷の空気が変わるのが分かった。
使用人たちの顔にも、わずかに安堵の色がさす。
「それから」
侯爵様は少し間を置き、アラン様を振り返った。
「お前のことも聞いた。猫などになっていたとは、奇妙な話だが」
「父上、それは後でゆっくりご説明いたします」
「分かっている。しかし、戻ってくれて嬉しい」
その穏やかな一言に、アラン様の肩がわずかに緩んだ。
「して、ローズ嬢」
「はい」
「私は考えた。君がもはやエドモントとは夫婦ではないことは承知している。だが、もしこの家に残る意志があるのなら、次の主としての伴侶を、私は頼みたい」
静かな風が吹いた。
冬薔薇の香りがふわりと揺れる。
アラン様が一歩、前に出た。
「父上、それは」
「申し出だ。だが強制ではない。ローズ嬢がこの家を出たいなら、それも尊重しよう」
わたくしは、少しだけ考えてから微笑んだ。
「侯爵様。わたくしは悪女としてこの屋敷に参りましたが、どうやら最後までその名で終わることはできませんでしたわ」
「ほう?」
「なぜなら、猫を人間に戻すなどという奇跡を起こしてしまいましたもの。もはや魔女と呼ばれる方が似合いそうですわね」
侯爵様は一瞬きょとんとした後、静かに笑った。
アラン様もまた、肩を震わせて笑いを堪えている。
「いいだろう、では魔女殿、この家の未来を頼んでもよいか?」
「はい、アラン様と、もう一度この家を蘇らせてみせます」
侯爵様は満足げにうなずくと、深く頭を下げた。
「ローズ嬢。どうか息子を頼む」
その瞬間、アラン様が一歩進み出て、わたくしの手を取った。
「貴女がいなければ、僕は今も夜の闇で鳴いていたでしょう」
「まあ、大げさですわ。ただの調香実験ですもの。それにアラン様はわたくしでよろしいのですか?」
「そのただの実験で、僕は人生を取り戻しました。それにあの日、僕を見つけてくれたのも貴女だ。だからというわけでは決してないが、僕はローズ嬢、貴女がいい。」
夕陽がわたくしの頬を赤く染めた。
冬の風は冷たいのに、何故か胸の奥は不思議と温かかった。
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侯爵夫人は、精神的に病んでしまって、アラン様が戻ったと聞いても無反応だったという。
侯爵様は一旦、こちらに帰ってきて、エドモント様に、今までの責任を取らせるため、侯爵様が一緒に領地に連れて帰るという。
そしてこのクイーンズ侯爵家はアラン様がお継ぎになることになった。
そこには親としての複雑な顔が見てとれた。




