七十二話
その場が一時、静まり返るが、すぐさま言い訳めいた声が、あちらこちらから発せられていく。
「ビートン殿。我々は別に聖女様にだけ、魔素溜まりの浄化を押し付けようとしている訳ではない。我が領地に来て頂けたなら、できるだけの協力は惜しまないつもりだ」
「そうだとも。それにアベケットは、子息、令嬢共に、聖女様の神獣様に乗せてもらい、自領へと向かったというではないか。我が領地も王都からは、かなりの距離がある。もし聖女様が来られるならば、ぜひとも私や息子も共に……」
「そうだ!是非とも私達も神獣様に……」
賛同する声が幾つも上がり、勢いづきかけるが
「戯けたことを、吐かすな!」
今度もビートンの怒声が、それを一蹴する。
「アベケット家の二人は、どちらも討伐隊の一員として、同行したのだ。サイモンは元より討伐隊に属しておるし、ガレリアは第二騎士隊所属だ。貴公や貴公の息子は、いつから騎士隊や討伐隊に入られたのだ?」
その言葉に多くは黙ったが、何としても神獣に乗りたいのか、それでも食い下がる者もいた。
「し、しかし道中の道案内等も、必要だと思うぞ」
「騎士隊や討伐隊の者達は、地理に通じている者も多いので、心配はご無用。それでも心配だと云うのならば、貴公の領地出身の隊員を同行するよう手配しておく。それで問題あるまい」
そこまで言われると、流石にそれ以上声を上げる者は出てこなかった。ビートンは確認するように周りをぐるりと見廻し、
「それと討伐隊の予定は、既に組まれたとおりに行う。ただし、断りを入れた領地に関しては、ご希望通り、行かぬから安心してくれ!」
そう言うと、その場を後にした。
「そんな!」
「あ、あの断りは無しだ!予定通り、来てくれ!」
「うちもだ」
先程迄とは変り、今度は補佐官達に縋りつくような声が、その場を満たしていった。
その話をオルドリッジから伝え聞いた香菜姫は、嫌そうな顔をしながら、鼻で笑った。
「周王達は、物見遊山の乗り物ではないぞ」
「真にその通り。愚かにも、程がある。もっとも、その者達には当分の間、王宮への出入りを禁止したので、今後は其の様な事は起きないかと」
執務室に用意された茶器で、手ずから入れた茶を姫に手渡しながら、オルドリッジが説明する。周王と華王は焼き菓子の入った皿を前に、己の茶が来るのを大人しく待っていたが、こちらも鼻の上に皺を寄せている。
「だんだん面倒になってきたの。いっそ今直ぐに帝国とやらに出向き、今回の悪事を企んだ者達を亡き者にする方が、容易いやもしれん」
オルドリッジは、その言葉を否定する事が出来なかった。しかし、たった一人の少女が帝国に勝利した場合、その後には多くの問題が、生まれる事が予測された。
その力を自分達の物だと勘違いし、増長する者や、利権を得ようとする者はもとより、さらなる領土拡大を言い出す者さえ出て来ると、オルドリッジは考えていた。中でももっとも危惧しているのが、絶対的な力に対する恐怖から、聖女を管理しようとしたり、排除しようとする者達が出ることだった。
(そんな事が起きれば、それこそ、この国が亡びる)
それを避けるためにも、国として犠牲を払うのを覚悟で、帝国に戦いを挑み、勝利する必要があるというのが、新王ウィリア厶の考えだ。勿論、聖女にも助力を願いはするが、あくまでも主体は国に置く方針だ。
「容易く、しかも己の手を使わずに手に入れた勝利と平和は、やがて歪みを生みます。出来るとしても、為さらぬよう、お願い致します」
「判っておる。もっとも、皇帝等を簡単に許すつもりはないでの」
白狐達を撫でながら、ゆるく笑う。
「承知しました。その時になりましたらば、存分に」
****
ゲートヘルム帝国、十二年前。
ゲートヘルム帝国の第二皇子、クーンラートが、それを見つけたのは、偶然だった。
その日、皇宮の隠し通路を使い、謁見の控室で囁かれる噂話を盗み聞きしていた彼は、酷く不機嫌な状態で自室へと戻っていた。
「くそっ、何が『コンラードゥス皇太子殿下は聡明であられるから、もしもの事があっても安心ですな』だ。あの野郎は聡明なんかじゃなくて、そう見せてるだけだって事が判らないとは、あいつらの目はどれだけ節穴なんだ。そもそも、俺にはくだらない書類仕事を押し付けておいて、自分は謁見の場でふんぞり返って指図するだけの楽な仕事をしている奴が、賢いわけないだろう。ただの目立ちたがり屋なんだよ、あいつは!」
現在病のため床に臥せている皇帝に代わり、皇子二人がその業務を代行しているのだが、その振り分けに対して、クーンラートは不満しかなかった。
その為曲がり角を一つ、間違えたのだが、通いなれたいつもの通路を歩いていると思い込んでいた事もあり、気づけば全く知らない場所に出ていた。
「どこだよ、ここは!」
腹立ちのあまり、辺りの壁を蹴ろうとして、足を滑らせ、したたかに腰を打つ。
「くそっ、壁まで俺を馬鹿にしやがる」
起き上がろうと掴んだ手摺から、カチリと音がして、小さな隙間が現れた。此れは隠し扉共通の仕掛けのため、クーンラートの怒りは直ぐに好奇心へと代わり、その隙間に手を入れ、中のレバーを引っ張った。
長い間使われていなかったのだろう。酷く硬く、中々動かなかったが、やがてガッコンと音がして、ゆっくりと壁の一部が動き出し、扉が現れた。
「な、んだ、これ……」
開けた扉の先には、気味の悪い光景が広がっていた。それほど大きくない部屋の床には、一部が黒ずんだ魔法陣と、既に白骨化した遺体が転がっている。しかも、頭と右半身が食いちぎられた様に欠けていた。隠し部屋特有の赤味がかった自動灯のせいで、それ等はいっそう不気味に見える。
その骸骨の左手部分に、一冊の本があった。真っ黒な本で、手に取って見ると、魔導書だと判った。
「もしかして、ウィリデ?だがあれは深い緑で、こんな色では……」
ペルギニ王国から嫁いで来た姫の持参品の一部であった『魔導書ウィリデ』は、国宝として保管されていたにも関わらず、二百年程前に、行方が判らなくなっていた。これは皇族だけが知る事実だ。幸い写しを作ってあった為、それを製本して、表向きはそれを本物として保管してある。
今手元にある本は、色こそ闇に染まったかのように黒いが、それ以外は写しの魔導書にそっくりに思えた。
中をパラパラとめくっていると、小さい紙片が落ちたので、拾い見ると、そこには『今宵も悪しき者は息絶えた。魔術師ゾルム』と書かれていた。クーンラートの目が見開かれる。
『魔術士ゾルム』。それは二百年程前に実在し、国中を恐怖に落し入れた、殺人犯の名だ。その生涯は謎に包まれ、未だに多くの憶測を生み、物語や劇の題材になっている。
ゾルムは多くの犯罪者を毒殺し、その度に犯行声明を残していた。その被害者の数は千とも二千とも言われているが、正確な数は判らない。余りに、多いからだ。
最初の事件が起こった時、被害は少人数だったため、国はその事を公表しなかった。なにせ殺されたのは、全て極悪人だったため、英雄視する者が出てくる事を懸念した為だ。
しかしその数は徐々に増えていき、ある時、一つの刑務所の囚人全員が毒殺される事件が起きる。中には微罪の者や、退所間近の者もおり、その為、ゾルムは指名手配されると同時に、その名を国中に知られる事になった。
しかし、誰もその顔を見たことがなく、判っているのはその名前と、毒を使うと云うこと、そして現場に残された犯行声明の紙片だけ。しかも狙われるのは犯罪者だけなので、一般市民からの協力も得られないまま、捜査は難航を極めた。
その後も犯行は続いたが、結局ゾルムが捕まる事はなく、ある日突然、その犯行が止まった。まことしやかな噂が幾つも流れたが、その真相は誰にも判らないまま、今に至っている。
「もしかして、ここはゾルムの実験室なのか?でも、なぜ皇宮に?まさか、ここに捕らえられていたのか?」
噂の中には、『密かに捉えられたゾルムが、どこかの牢で毒の実験をやらされている』というものもあった。
クーンラートは答えが知りたくて、何か無いか、埃が積もった机の上や本棚を調べ始めた。ハンカチを口に当てていても、咳が出る程埃が舞うが、おかまいなしに手当たり次第引っ張り出し、広げていく。
すると、本棚の隅から一冊の日記らしき物が出てきた。書かれている文字が、先程の紙片のものと似ている事だけ急いで確認すると、黒の魔導書と共に、自室へと持ち帰ることにした。
何度か同じ場所を行ったり来たりはしたものの、無事に部屋に戻れたクーンラートは、侍従を下がらせると、二冊の本を机の上に並べ置いた。今から誰も知ることが出来なかった魔術師ゾルムの真実を、自分だけが知るのだと思うと、あまりの優越感に、笑いが漏れる。
「やっぱり、これからだな」
日記と思しき物を手に取り開くと、読み始めた。
『賢者を異世界から召喚した場合、血を使用した俺の身に何が起きるか判らない。しかし、この世界に今いる者を召喚したら、その範囲ではないのでは?』、『しかも本の中に召喚し、閉じ込めることが出来れば、永遠に賢者を利用できるのではないか』。
冒頭に書かれていた文章に、クーンラートは衝撃を受けた。そこには『召喚に血を使用』という、皇族しか知りえない言葉が、含まれていたからだ。
「もしこれを本当にゾルムが書いたのだとしたら、ゾルムは皇族という事に……いや、二百年前ならば、ペルギニ王国の王族も、まだ知っている可能性があるか。どっちにしろ高貴な身分の者という事になる。それなら、皇宮に実験室がある事も、ウィリデの事も説明がつく。しかし……」
高貴な身分の者が、何の為に身分を偽り殺人を犯すのか、新たな疑問が生まれる。その後は、召喚の魔法陣を読み解き、改良を加える事に終始していたので、ページを飛ばす。
『ついに魔法陣が完成した!コレで賢者をここに封じることができる。しかも、同時に勇者が消える事になるから、一石二鳥だ。まずは、賢者を召喚し、次に隣国の侵略だ。だがその前に、あいつを始末しないと』
『成功だ!しかし賢者を封じた途端に、魔術書が黒く染まった』、『賢者に殺戮に使う道具や術を聞いたら、贄が必要と言われた。面倒くさいが、仕方がない』、『賢者は、罪に塗れた者の生け贄を好む』、『一応、試す。罪のないものを生け贄として捧げても、なんの反応もない。子供も反応無し。確信する』。
そこまで読んだ時点で、クーンラートはゾルムなどという魔術師は存在せず、当時の皇帝の弟が、その名を騙っていたのだと結論づけていた。
それは頻繁に書かれていた皇帝への不満と、『たかだか、一年早く生まれただけのくせに』や、『煩わしい仕事ばかり押し付けやがって、偉そうに』などの文面からの推測だが、確信していた。
そして、なぜあれ程多くの罪人を殺したのかも、理解した。全て賢者への生贄だったのだ。
ゾルムは幾つかの術や道具についての知識を、賢者から生贄と引き換えに、聞き出していた。無味無臭の毒薬の調合方法や、昆虫の大群を操る方法、石を飛ばす機械の設計図、幾つもの拷問器具などが記されている。
そして賢者から聞き出した異界の怪物『リヴヤタン』を召喚し、配下に置くつもりだった事も判ったが、日記はそこで終わっていた。
(恐らく失敗して、その怪物に喰われたのだろう。しかし、俺ならもっと上手くコレを使える。そうだ。これがあれば、俺は……)
二歳年上の兄からは、物心ついた時から、ずっと馬鹿にされ続けていた。今も面倒な事ばかり押し付けられ、少しでも文句を言えば、それくらいの事さえ出来ないのかと、言われる始末だ。
(だが、これを上手く使えば……)
日記には賢者と対話する方法も記されていたので、クーンラートは、先ずは試してみようと思い、数日かけて準備を整えた。
指定されたページの魔法陣を、羊皮紙に描いていき、決められた場所に己の名を血で書いた。その上に魔導書を置き、魔力を流しながら、日記にあった文言を唱える。
「我は求む。賢者の知恵を。我が願いは、剣も毒も使わずに、人を殺める術なり。古の血を受け継ぎし我が求めに、賢者は応えよ!」
しかし薄っすらと光ったものの、魔法陣は作動しなかった。
「何でだ?間違ってはいない筈なのに。もしかして、魔力が足りないのか?」
それはクーンラートを酷く苛立たせた。彼は皇族としては、魔力が少なく、それが大きなコンプレックスだったからだ。
「くそうっ!」
腕で机の上の物を薙ぎ払うが、その程度では苛立ちは収まらない。何度も机に拳を打ち付け、痛みが熱を持った痺れに変るころ、漸く少し落ち着いた。
「誰か、見つけないと」
自分の為に、魔力を提供してくれる魔術師が必要だと認めたクーンラートは、密かに、優秀だが問題を抱える魔術師がいないか、調べ始めた。そうして、一人の男に行き着いた。
その男、ヒュープ・クープマンは、豊富な魔力と炎系の攻撃魔術が得意なため、将来を嘱望されていたにも関わらず、賭博にハマった挙げ句に、公金に手をつけて免職となっていた。
(こいつを上手く使えば……)




