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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode12 蝋梅の花はこぼれて
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-7- 望郷

「別にいなくなったことを責めるとかじゃないんです。ただもう会えないなら、一度挨拶というか、話がしたいと思って……」


 私たちは暗い和室で車座になり、屍食鬼もといヤサカさんから事情を聴こうとしていた。外の住民たちに聞きつけられないよう、可能な限り声を潜めて。


「できたら急に帰りたくなった理由も知りたいです。それが済んだら、もう迷惑はかけませんから」


「…………」


 ヤサカさんはしばらくの間黙っていたが、困惑や迷惑を示すものではなさそうだった。彼が抱える事情はかなり入り組んでいて、すらすらと語るのは難しいのだろう。


「この村には人間と〝〟の特殊な関係がある」


 く、とはなんですか、と片倉君が訪ねる。


「私のような存在を、宇良木では狗と呼んできた。ずっと昔からこの場所にいて、人間と共に、しかし一定の距離を取って暮らしている。君たちは寺の地下での出来事を見ただろう。あれは単なる食事じゃない。狗にとっては特別な……宗教的と言っていいかもしれない。そういう行為なんだ」


「狗は人が変化したものなんですか」


 私は尋ねた。


「生まれつき狗である者の方が多いように思う。一部は人が変化して狗になる。なぜそうなるのかはよく分からない。血なのか、生活なのか、心のありようなのか、あるいはもっと不思議な力によるものなのか。


 宇良木にまったく関係のない人が集落を訪れて、狗として生きることになったのを見たこともある」


 ヤサカさんの吐息には獣臭と生臭さが混じり、声は不快な掠れと雑音を含んでいたが、その口調や内容は理性的で、聞き手が話を理解しているかどうか気遣う様子さえあった。


「幼いころは特に疑問を抱かなかった。学校へ行くようになってはじめて、宇良木が特別な場所だということを知った。親には口外しないよう言われたが、周りの人間は薄々知っているようだった。


 私はそれが嫌だった。まともな、普通の人間でありたいと願った。陰気な風習と、小さな池と、せいぜい蝋梅の木ぐらいしかない田舎を憎んだ。外にはもっと広い世界があって、そこでなら自由に生きられるのだと思っていた。だから高校を卒業してすぐ集落を出た。


 若さがあるうちはなんとかやっていけた。けど私はすぐ自分がそれほど優秀でも、器用でもないことに気がついた。人間関係については特にそうだった。


 確かに宇良木の外は自由な世界だったし、当時の私は実際にそれを求めていた。けど自由な世界の方は、別に私など必要としていなかったんだ。かといって、どんな顔をして宇良木に帰れる? 今思えば、意地を張っていただけだったんだろうけどね。


 職を転々としているうちに景気が悪くなって、日々の暮らしにも困るようになった。ここ十年ぐらいは家があったりなかったりだ。身体もそれほど丈夫じゃなくなってきた。


 片倉君と出会ったのはそれぐらいの時期だった。こう言っては失礼だけど、なんとなく周りに馴染めなくてはぐれているような感じが、自分と重なったものだから。でも片倉君は、こんなやさぐれた人間とよく付き合ってくれた。随分と救いになったよ」


 不意に戸が鳴り、私たちは住民を警戒して身じろぎをやめた。どうやらただの風らしいと分かると、もぞもぞ動いて体温を保ちつつ、再びヤサカさんの語りに耳を傾けた。


「背中が曲がってきたのも同じころだったかな。はじめは不摂生のせいか、寝床が悪いせいかと考えていた。けど思い出してみれば、宇良木で狗になりはじめた人も似たようになっていた。


 妙な話だけど、私は自分が狗になりつつあるのは嫌じゃなかった。むしろ少し安心さえした。そして無性に帰りたくなった。池と蝋梅のある小さな集落が懐かしくなったんだ」


 ヤサカさんは硬そうな毛の生えた顔面をざりざりと撫でる。


「望郷の想いが変化を速めたのかもしれない。打ち捨てられたような生活だったけど、それでもこの姿では注目を集めるからね。なんとか金をかき集めて、宇良木に戻った。もちろん多少の気まずさはあったけど、思ったほどじゃなかった。


 ……そういうわけだ。片倉君。君を怯えさせたくなかったし、新しい生活の邪魔にはなりたくなかったんだ」


「邪魔だなんて思うわけないじゃないですか」


 片倉君は言った。


「ヤサカさんがいなかったら、僕はずっと前にドロップアウトしてたと思います。だから今でもすごく感謝してるし、別れなくちゃいけないんだとしても、お礼を言いたかったんです」


「…………」


「ありがとう。ヤサカさん。元気でいてください」


 ヤサカさんがふっと息を吐いた。笑ったのかもしれない。


「前に比べると随分元気だよ。この身体は人間より丈夫らしい」


 それから片倉君は思い出したようにポケットを探り、銀の詰め物が入った歯を取り出した。


「これ、ヤサカさんのですか? 集落の端にある洞窟の前で拾ったんです」


「どうかな。そうかもしれない。人間のときの歯は全部抜けてしまった」


「……じゃあ、持っておきます」


 あまり趣味のいい形見とは思えないが、今は言うまい。


「あのぉ、私たち、これからどうすればいいですかね」


 真奈加が恐る恐るといった口調で尋ねる。片倉君の憂いが晴れたのは喜ばしいが、住民が私たちを捜しているのだ。彼らがヤサカさんのように事情を納得してくれるとは限らない。


「それについて酒居と話してくる。あいつとは幼馴染なんだ。だから、少し待っていて欲しい。寒さは大丈夫か?」


 私たちは顔を見合わせる。朝まではちょっと厳しいかもしれないが、すぐに凍死するようなことはないだろう。


「では、行ってくる」


 ガタガタと縁側の戸を開けて、ヤサカさんは闇夜の中に消えていった。


「意外な再会だったけど、まあまあよかったんじゃない、片倉君」


 古戸さんは頭からすっぽり毛布を被り、小刻みに震えていた。


「ええ、ありがとうございます。……大丈夫ですか?」


「古戸さん、やっぱりもう少し肥った方がいいですよ。あるいは筋肉つけるか」


 私は言った。彼を三人の真ん中に配置し、押しくらまんじゅうの要領で保温する。


「アレをやろう。部屋の四隅に立って、辺を歩きながら次の人にタッチしていくやつ」


「四人じゃできませんよそれ」


 微妙に朦朧としてきた古戸さんを気にかけつつ、ヤサカさんの帰りを待つ。ぴんくまに戻っても大丈夫ということになれば、ゆっくりお風呂にでも入って身体を休めよう。そして当初の予定通り、朝に集落を離れればいい。


 ヤサカさんは中々戻ってこなかった。時間を確かめると、この家屋についてから一時間近く経っていた。位置関係から考えて、ペンションまでの往復には長くて三十分もかからないはず。なにかトラブルでも起こったのだろうか?


 私と真奈加が互いに囁き合いながら心配を紛らわせていたとき、家屋の外で何者かの気配がした。わずかに覗く懐中電灯の光。ヤサカさんではない。彼は照明を必要としない。


 今集落の住民に見つかってしまうと、色々と面倒なことになる。私たちが身構えていると、こちらに呼びかける声がした。


「みなさん、いますか」


 酒居さんだった。ヤサカさんは同行していないのだろうか。


「あ、よかったあ。酒居さーん、ここです、ここ」


 真奈加の声を聞きつけて、足音が近づいてくる。襖が開き、懐中電灯の光が闇に慣れた私たちの目を眩ませた。


「いましたね」


 私は違和感を覚えた。その声にはいなくなった宿泊客を見つけた安堵も、手間をかけさせられたことに対する怒りもない。ただ事実を確認する無機質さだけがある。


「真奈加! 下がって!」


 立ち上がりかけた彼女の腕を掴み、勢いよく後方に引く。一瞬あと、長く重いなにかが零下の暗闇を切り裂いた。


 私は第二撃を予測して距離を取った。酒居さんが持っているのはおそらくナタだ。その刃は既に血で汚れている。


「どうしたんですか、酒居さん。やめてください!」


 隅の方で片倉君が叫んだ。しかしこのような状況で説得が意味をなさないことを、私は――自分でも嫌になるが――経験から知っている。


 部屋は八畳間。自由に動き回れる広さではない。真奈加や片倉君にも気を配る必要がある。全員で屋外に飛び出すか? 土地勘のない場所で朝まで逃げ切れる可能性は低い。


 私は素早く毛布を拾い上げ、それを左腕にぐるぐると巻いた。完全ではないが、これでナタの刃を防ぐことができる。


 凶行の理由は、この場を凌いでから考えよう。


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