-1- 友を捜して
滴水古書堂にも巷と同じく新年がやってきた。
世間には年中行事をしっかりこなしていく人間と、ないがしろにしがちな人間がいる。古戸さんは間違いなく後者のタイプで、私が年始の挨拶で訪れた際に見た限りでは、雑煮を食べるでもなく、親戚を訪れるでもなく、普段と変わらずのんべんだらりと過ごしているようだった。
昨年は大掃除もさぼったため、居間のエントロピーも減少する気配がない。三が日になれば近所の商店街はそれなりに活況を呈するのだが、年明けにわざわざ古書を買う動機のある人間がいるはずもないため、初売りらしきイベントもなし。結局、店が営業を再開したのは一月六日のことだった。
休業が明けたからといって注文が殺到するわけでもない。要するに年末年始、店はおおむねいつも通りだった。
しかし一月も半ばを過ぎたころ、その常態に揺らぎがもたらされた。
「だからそのとき私も誘われたんですけど、この季節に登山って自殺行為だと思うんですよね~」
このとき、店には高校時代からの友人である真奈加が遊びに来ていた。彼女は私が断片的に語る古戸さんのエピソードに興味を持ち、年末に一度古書堂を訪問していた。
天真爛漫で人懐こい彼女は、古戸さんが醸し出す妙な雰囲気にも臆することもなく、今日も代休なのにわざわざ手土産を持って再訪した。
「君の場合はホットヨガとかやるといいんじゃないかね。新社会人はよくやるだろう。男性の場合はフットサルとか」
「由宇子もいく? ホットヨガ」
「私はやるならフットサルかな」
「あー、体育会系だ」
カウンター周りに集まり、弛緩した雰囲気の中で雑談に興じていたとき、ガラガラと戸が開き、室内に寒風が吹きこんできた。私たちが身を竦めながら入口を見遣ると、そこにはようやく思春期を脱したくらいの青年が固い表情で佇んでいる。
私が接客用の顔で会釈をすると、彼も丁寧にお辞儀をした。常連ばかりのカフェに入ってしまったかのような気まずさを発散させつつ、うしろ手に扉を閉める。
眉まで伸びた髪と分厚い眼鏡。その下にある肌は色白で、気温のせいかやや赤みがかっている。やや大きめのピーコートに身を包んだ彼は、どこに出しても恥ずかしくない文化系男子、といった風貌をしていた。
「あの、こちらに古戸さんという方はいますか」
青年はやや上ずった声で言った。
「はいはい、僕ですが」
「ええと、その、片倉といいます」
「うん。片倉君ね。とりあえずそこにどうぞ」
古戸さんは店の隅にある埃っぽいソファを示し、片倉と名乗った青年を座らせた。
私は青年の顔に見覚えがなく、また電話やメールでやりとりしている顧客にも片倉という人物はいない。古戸さんもどうやら初対面らしい。古書を買い求めに来たかというと、それまた違うようだ。もっと思い詰めたような表情をしている。
三人に注目され、居心地の悪そうな片倉君だったが、自分が発言しないことにははじまらないと気づいたようで、単刀直入に用件を切り出した。
「人を捜して欲しいんです」
人捜し。……人捜し? 私と古戸さんは顔を見合わせた。稀覯本を探して欲しいというのならまだ分かるが、行方不明者の捜索は明らかに専門外。持ち込む場所を間違えている。あるいは古書関係の有名人か?
私の表情から思考を読み取ったのか、片倉君は慌てて言い添えた。
「い、色々事情があって。説明してもいいですか?」
「いいよ」
青年が緊張する一方で、古戸さんは泰然自若。カウンターに手をついてゆっくり話を聞く構えだ。なにか面白そうな気配を嗅ぎ取ったらしい。
「ここのことは友達から聞いたんです。困ったことがあれば解決してくれるよって。不思議な事件にも強いって。ネットでその、相談してて」
誰だ、そんな無責任な噂を流したのは。私の知っている人物だろうか。
「僕が探して欲しい人っていうのは、いわゆるホームレスで、ヤサカさんって言うんですけど。僕は親戚とかじゃないから、警察に行っても意味がないと思うし。探偵に頼むのは、お金がちょっと……」
「ホームレスでも記憶喪失者でも狂信者でも構わないけど、君はなんでそのヤサカさんを探してるのかな」
古戸さんが尋ねた。カルティストという言葉は聞かなかったことにする。
「友達なんです」
片倉君がはっきりと答える。
「僕、中学生のときに友達がいなくて、いじめられてて、公園で泣いてたら、ヤサカさんが慰めてくれて。最初は怪しい人だと思ったんですけど、色々話を聞いてもらううちに、友達になったんです」
「何歳ぐらいなの、そのヤサカって人は」
「五十歳ぐらいだと思います」
「随分年上の友達だなあ。ちなみに君は?」
「十八です」
「今年受験かな」
「そうです。推薦なんで、もう終わったんですけど、それまでちょっとバタバタしてて、ヤサカさんとはしばらく会ってなかったんです」
「で、久しぶりに顔を見せようと思ったら、いなくなってた」
「はい」
「ふーん……。まあ大体事情は呑み込めた。ただ非常に重要な前提として、僕らは別に人捜しのノウハウを持ってるわけじゃない。ねえ楠田さん」
「なんでこっちに振るんですか。私だって別にないですよ」
「真奈加君は?」
「え? いや私もちょっと……」
当然だ。真奈加にしたって食品会社の総務なのだから、人探しに役立つ特殊技能を持っているはずもない。
「手がかりがあるんです」
しかし片倉君はなおも食い下がった。
「ヤサカさんはよく故郷の話をしてました。福島にあって、小さな池のほとりの集落で、今くらいの季節には、蝋梅の黄色い花が綺麗だって」
「なら、普通に里帰りしたんじゃ?」
私は言った。都会で食い詰めて故郷に戻ったというなら、特段不自然でもない。もちろん、栄養失調かなにかで病気になり、不幸にも亡くなってしまったという可能性もなくはないが。
「でも、なんだか嫌な思い出もあるみたいで。場所の名前も聞いたんですけど教えてくれなくて。僕は本当に辛いときにヤサカさんに助けられたから、ただの里帰りだとしても、せめてさよならは言いたいんです」
私は頭の中で話をまとめる。
まず、片倉君にはヤサカさんという齢の離れた友人がいた。ヤサカさんはどうやら福島県に故郷があるようで、嫌な思い出がありつつも、懐かしく思っているようだった。片倉君がしばらく会わないうちに、彼は挨拶もせず姿を消してしまった。
もしかしたら故郷に帰ったのかもしれない。とはいえ確証もなく、一人で行くのは少し怖い。誰かに手伝いを頼もうと思って友人に相談。その無責任な勧めで古書堂にやってきた。
「お願いします」
片倉君は頭を下げた。喋り方はどこか自信なさげだが、その意思はかなり堅固であるようだ。彼が築いていたヤサカさんとの絆は、私が想像するより遥かに強かったのかもしれない。相手がなにも言わず去るのには、なにかのっぴきならない事情があるはずだ、と思うくらいには。
「でも、お店をほっとくわけにはいかないからねえ」
今いる面々が人捜しの専門家ではないということのほかに、忘れてはいけない重要な前提がもう一つある。それは私たちが無償の奉仕者ではないということだ。古戸さんは興味のためなら休業や出費など気にしない。気にしているのは今回の依頼が持ち込まれた経緯だろう。
もし警察が相手にしないような事件、不思議な事件をボランティア的に解決してくれるなどという噂が立ったら、厄介ごと――きっと大半は不毛なだけで得るものはない――を持った人間が、次々と古書堂を訪れる事態にならないとも限らない。
「現金はそんなにないんですけど……」
私たちの思惑を知ってか知らずか、片倉君は抱えていた黒いリュックから、紙袋に包まれたなにかを取り出した。それは黒ずんだ革の表紙がなんともおどろおどろしい、一冊の古い書物だった。
「祖父から貰ったんです。貴重な本だから大事にしなさいって。〝ネクロノミコン〟っていう題名みたいです」
なるほど。私は片倉君がこの場所を訪れた理由の一端を理解したような気がした。彼は稀覯本が依頼料代わりになるのではないかと考えているのだ。ほかの場所では眉をひそめられるだけかもしれないが、古書堂であれば価値を見出してくれるかもしれない、と。
「ネクロノミコン、ね」
古戸さんは本を受け取り、ぱらぱらとページをめくった。
「有名な本なんですか?」
私は尋ねる。ネクロという字面からして怪しげだ。
「有名だよ。世界で一番有名な魔導書かもしれないね。狂えるアラブ人、アブドゥル・アルハザードが記したという伝説の書物。出すところに出せば、十億円だって買う人がいるだろう」
その法外な値段に、私も真奈加も、持ち主である片倉君も目を見開いた。
「もちろんそれは本物だった場合。これは偽物だよ。というよりも、ファングッズといった方が正確かな」
「じゃあ、依頼料代わりには……」
片倉君は目に見えて落胆する。
「いや、そうでもない。ファングッズにはファングッズなりの需要がある。これの内容はもちろんデタラメだけど、アンティークとしての価値はそれなりに高そうだ。十万円ぐらいなら買い取ってもいい」
偽物が十万円もするというのも驚異的な話だ。魔導書の世界は底知れない。
「ちなみにお祖父さんはご存命?」
「はい」
「蒐集家なのかな。つまり、珍しい本を沢山持ってそうかということ」
「どうでしょう……」
「僕のことをよろしく言っておいてくれるなら、今回の件を引き受けよう」
「本当ですか?」
片倉君の顔がぱっと明るくなった。
「とはいえ、最初はその集落とやらを探すところからになるね」
「いえ、それは見当をつけてあります」
「なら話が早い」
古戸さんはうんうんと頷いてから、私に目を向けた。
「……仕事とあらばやりますよ」
最近日常が弛緩しがちなので、少し刺激を入れるといいかもしれない。その方法が持ち込まれた風変りな依頼というのは、ちょっと普通でない感じもするが。
「このお姉さんも手伝ってくれるって。よかったね片倉君」
「はあ」
ざっくりと話がまとまりかけたとき、それまで黙って聞いていた真奈加が口を挟んだ。
「あのー、私も行ってもいいですか」
「ん? 別に構わないけど、ホームレスのおじさん探しに興味があるのかな」
「なんか、協力してあげたくなって。有休も消化しないといけないし」
それは幾分か唐突な申し出だったが、真奈加は真奈加なりに感じるところがあったのだろう。私も彼女の参加はむしろ――古戸さんの不審さを人数で薄められるという点で――望むところだ。
「スポンサーの意見も聞こう」
三人の視線に晒されると、片倉君は恥ずかしそうに俯いてから、頭をこくこくと上下させた。
「ええと、その、よろしくお願いします」




