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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode11 床下の墳墓
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-1- 閉じ込められた男

 奇怪な本や物品が集まり、胡乱うろんで不埒な主が棲みつく滴水古書堂であるが、労働環境だけを見ればよい部分も多い。賃金、仕事量、客の質、休みの取りやすさ。その中でも私が特に評価しているのは、落ち着いた静かな雰囲気だ。


 まず、直接店を訪れる客が少ない。それがたとえ厄介な人間でなくとも、臨機応変に接しようと思えば、気持ちも動きも慌ただしくなる。メールでの問い合わせであれば、コーヒーを飲みながらのんびり返信すればいい。


 それから立地だ。古書堂の周囲には大きな道路も、工場も、小学校もなく、近くの商店街から人が流れてくることもない。


 店内のソファに座って耳を澄ませていれば、小鳥の鳴き声が聞こえるほどだ。特に過敏な人間でなくとも、ひとたびこの古書堂で働けば、普段暮らしている場所がいかに騒がしいかということに気づくだろう。


 古戸さんに付きあって事件に巻き込まれることも多いが、それは大抵出先でのことだ。古書堂のカウンターに座っている限り、そうそう妙なことは起こらない。


 ――はずだったのだが。


 私がはじめてそれに気づいたのは、開店の準備を終え、日常のルーチンとして、古書堂のアドレスに届いたメールをチェックしていたときだった。どこからともなく、長く伸びるくぐもった声が聞こえてきたのだ。


 声はかなり小さいものだったので、内容を聞き取ることはできなかった。そもそも言語なのかどうかも分からなかった。お経か念仏にも似ていたが、あまり馴染みのない響きも含まれていた。


 もしかすると近隣住民の誰かが、珍しい宗教に凝っているのかもしれない。とはいえそれが公序良俗に反しない限り、私が口を出す筋合いはない。万が一騒音というレベルになれば、苦情を言う権利ぐらいはあるだろうが。


「こないだは朝の四時ぐらいから聞こえてきてたよ」


 古戸さんが言った。彼が顔を出したのは開店時間の直前。今は定位置のソファに尻をうずめ、古びた怪奇雑誌のページをめくっている。


「はぁ……、それはちょっと迷惑ですね」


「三日ぐらい前からかなあ。起こされるのも嫌だから、昨日は台所に布団敷いて寝たんだ」


「なんで台所で寝る必要があるんですか」


「なんでって、そりゃ声が居間の床下から聞こえるからだよ」


「床下から?」


「うん」


「怪奇現象では?」


「うんまあ、そうなんだけど、畳を剥がすのが面倒なもんだから、今のところそのままにしてある」


 この男のツボは相変わらずよく分からないが、理解しようとすれば精神に変調をきたしかねないので、深くは掘り下げないことにする。


 正直なところ、古戸さんの生活が平穏であるかどうかは些末な問題だ。しかし私の勤務時間中に繰り返し声が聞こえ、静謐と集中が乱されるのは困る。それに長く放置すれば、呪いめいたなにかが発生しないとも限らない。


 あるいは、不気味に思った近隣住民から苦情が入るかもしれない。止められるならば止めたいところだ。


 そもそも本当に床下から聞こえているのだろうか。あるいはよく聞いてみたら仔猫だったということはないだろうか。


 思い立った私は住居部分に上がり込み、本で散らかった居間で耳を澄ませた。先程より大きく聞こえるようになった声は、確かに床下から響いてきている。


 にゃーん、と鳴き声がして、右近と左近が姿を現した。この黒猫のきょうだいは、いつでも好きなときに入り込んでくる。私や古戸さんが知らない秘密の通路を持っているのではないかと思うこともある。二匹は私の足に頭を擦りつけてから、声のするあたりの畳に鼻を近づけ、怪訝な顔をした。


「どう思う? 右近」


 なおう。


「左近は?」


 んなう。


 なにを言っているのかは分からないが、どうやら危険なものではないらしい。とはいえこのままでは埒が明かないので、私はその場で四つん這いになり、やや埃っぽい畳に耳をつけて気配を窺った。


 くぐもった声は響き続けている。人間の――幽霊かもしれないが――ものであるのは確かだ。しかし私が知る限り古書堂に地下室はなく、床下に人の入れるほどのスペースがあるとも思えない。


「楠田さん、悪いけど畳剥がすの手伝ってくれないかな。一回自分だけでやろうとしたんだけど、爪の方が剥がれそうになった」


 気づけば、店をうっちゃってきた古戸さんが傍らに立っていた。


「オカルトの記事にしてもいいなら手伝いますよ」


「あ、まだ安那さんの下請けやってたんだ」


 以前、夢をめぐる事件で知り合った安那さんとは、その後もちょくちょく連絡を取り合っていた。加狩山で遭遇した宇宙人の記事がそれなりの好評だったのか、早く次を書いてくれとせっついてくる。


「なんにせよ、モチベーションがあるのはいいことだね」


 右近と左近に店番を任せ、私たちは早速居間の畳を剥がしにかかった。マイナスドライバーを隙間に挿し込み、てこの要領で持ち上げる。見た目より重い畳を除けると、ややかび臭い、黒ずんだ床板が露わになった。


 床下を確かめるならば、当然板もはがさねばならない。しかし私たちはそれよりも先に、明らかな異常を発見した。畳を剥がした部分のほぼ中央に、ぽっかりと丸い穴が口を空けていたのだ。形状や縁は不自然なほどに整っている。腐食や手抜き工事によるものではなさそうだ。


 普通に考えればこの下は地面か、コンクリートの土台であるはずだ。しかし私が覗き込んだ限り、穴はもっと深い場所に通じているように見えた。漂い出てくる空気は酷く乾いており、とても床下から発せられているものとは思えなかった。


 気づけば声は止んでいる。


「穴だね」


「見れば分かります。地盤を調査した跡とかでしょうか」


「その可能性はゼロではないけども、床をぶっこ抜くなんて乱暴な話だ。おーい、誰かいますか」


 古戸さんが呼びかける。彼の声は複雑に反響し、穴からはごく小さな余韻だけが吐き出された。どうやら下にある空間は深いだけでなく、大きな広がりを持っているようだ。


 そして次の瞬間、闇の中から掠れた叫び声が帰ってきた。


「うわ」


 驚いた私はあとずさりかけて畳の縁に足をひっかけ、たたらを踏んで本の山を崩してしまった。適当に積み直して隅へと押しやっている間に、再度の叫び声。


 確かに不気味ではある。しかし冷静になって聞いてみれば、威嚇や呪詛ではなさそうだ。何語かは検討もつかないが、どちらかといえば助けを求めるような、切迫した要請の声であるように思われた。


「人間ですかね?」


「声だけだとなんとも言えないね。人面犬かもしれない」


 あるいは人間社会に仇なす地底人だろうか。これまでの経験を鑑みるに、あり得ないとは言い切れない。


「とりあえず、穴の深さでも測ってみよう」


 古戸さんが思いのほか慎重なのは、きっと現場が自宅兼店舗だからだろう。普段ならまず穴の拡張を試みているはずだ。


 普段使っているビニールひもに飲みかけのペットボトルをくくりつけ、ゆっくりと下に降ろす。手応えが軽くなれば、底についたということだ。私は手の中で滑らせるようにして、重りつきのひもを繰り出していった。


 三メートル、五メートル。まだ下にはつかない。


 七メートル、十メートル。かなり深い。どこまで続いているのだろう。


 長さがよく分からなくなってきた。十二メートルぐらいだろうか? 急にひもを引っ張られたので、私は手を放してしまった。中の人間――声からすると、おそらくは成人男性――がペットボトルを掴んだのだ。


「喉が渇いてるのかな」


「下って出入口とかないんですかね。だとしたら、閉じ込められてる?」


「せっかくだから食べ物も降ろしてみよう。昨日買った蒸しパンがある」


 古戸さんがキッチンに行っている間、私の握るひもが小さく三度引かれた。お礼代わりだろうかと思い巻き上げを試みると、なにやらずっしりと重い。十数メートルを苦労して手繰り先端を見てみれば、そこには黄金の首飾りが結びつけられていた。


 戻ってきた古戸さんに釣果ちょうかを見せる。


「すごいねそれ。貰ったの?」


「水のお礼でしょうか」


「にしては高価だなあ。楠田さん、つけてみたら」


「嫌です」


 首飾りはよくある細いネックレスではなく、小さな細工品同士が精密に組み合わされ、青や緑の宝石が嵌め込まれた豪奢なものだった。


「翡翠とトルコ石かな。ここにあるのはエメラルドか。真ん中の黒いのはなんだろう。黒曜石か、磁鉄鉱か」


「なんでそんな物持ってるんですかね?」


「それはともかく、デザインには見覚えがあるような」


 ひとまず下の人間に蒸しパンを与え、首飾りを検分する。


「なんていうか素材の豪華さに比べて、宝石の加工がごついですよね。普通こういうのって、キラキラを見せるためのカットが入ってるじゃないですか」


「古代遺跡の盗掘品にしては綺麗すぎるし、偽造品イミテーションにしては精巧すぎる。同じ素材の偽造品を作る意味があるなら、また話は変わってくるけど。これはおそらくごく最近、少なくとも数十年以内に作られたものじゃないかな」


「そもそもなんで古書堂の地下にいるのっていう疑問が」


「床下がうっかり地球の裏側にでも繋がったんだろう、多分」


 そんなうっかりは嫌だ。


 ああだこうだと言っている内に、またひもが引かれた。下の人間がどれだけ渇き、飢えているのか分からないが、もう少し補給してあげたほうが親切だろう。


 それから私はひもを何往復かさせ、水、バナナ、豆菓子、シリアルなどを降ろした。この作業が多くなるようなら、リールのようなものを用意した方がいいかもしれない。


「ああ、分かった。ファラオの副葬品だ」


 いい加減私の二の腕が張ってきたとき、古戸さんが声を上げた。


「ファラオ? エジプトの?」


「うん。これは古代エジプトの貴人が身につけていたものに違いないよ」


「じゃあ、この下にいるのはエジプト人ですか」


「状況から判断するに、そうだ。そしておそらくただのエジプト人じゃなくて、何千年も前のエジプト人だ。これは彼が普段から身につけていたものなんだよ。もしかしたらユダヤ人とかペルシャ人とか、アフリカ出身の宦官かんがんとかかもしれないけど」


「ええ……」


 にわかに信じがたい話だが、言われてみれば聞こえてきた声には、西アジア的なエキゾチックさが含まれていたような気もする。


 古書堂の床下が古代エジプトと繋がってしまった。


 穴の先がカイロの王宮でなかったのは、混乱が少ないという意味でまだしも幸いだったのだろうか。それにしても、この暗い空間はどこなのだろう?

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