-11- 断末魔
時刻は正午過ぎ。私たちは大量の宇宙虫目撃で動揺した神経を、温かいコーヒーと甘いクッキーで癒していた。屋外では小雨が降り続いているようだ。
「構造はあんまり複雑じゃない方がいい。いざというときに働かないと困る」
休憩を挟んだ私たちは、いよいよ散布装置の設計に取りかかった。資材の追加が必要かとも思ったが、コロニーの構造上、今あるもので事足りそうとのことだった。
私は古戸さんとウラシマに言われるまま、長い時間作業を手伝った。高圧ボンベの安全弁に細工し、衝撃を与えるとガスが噴き出すようにする。その先に容器を取りつけ、防カビ剤を充填する。さらに小さなパラシュートを取りつけて、落下の方向を調整することにした。
言葉にするだけなら簡単だが、形にするとなると話は違う。派手に失敗すれば材料を麓まで買いに行かなければならないし、下手すれば脱出艇を汚染しかねない。
ウラシマが機械の知識を、古戸さんが手先の器用さを、そして私がもっぱら根気とパワーを生かし、慎重に作業を進めること数時間。ようやく二台の散布装置が完成した。それぞれの重さは八キロ強で、個人でも十分に運べる重さに収まった。
「ほとんど石器みたいな装置だけど、まあこんなもんだろう」
「さすがにそこまで原始的じゃないと思います。それに……」
「それに?」
「石器でも相手を殺せますから」
私が言うと、古戸さんはにやりとした。
「いいぞ。気持ちが高まってきたと見えるね」
『しかし宇宙虫は、君たちがかつて石器で狩っていた生物より賢い。気は抜けないな』
作業の疲労と達成感で若干ハイテンションになった私たちは、蒸留水とコーヒーで祝杯を挙げ、装置の周りを無意味にぐるぐる回っては、その出来具合を確かめた。
しかしそれはおそらく、これから立ち向かわなければならないものに対する、決して小さくはない不安の裏返しだったのだろう。暗いコロニーで見た巨体のシルエットは、まだ私の脳裏に強く焼きついていた。
明日は朝から強い雨が降る。宇宙虫たちは屋外での活動を控えるだろう。ミサト興業が警戒を強めるなか、この機を逃せば次はない。
早くからの行動に備えて寝入る前、私は荷物を枕に横たわりながら、ウラシマのゴツゴツした背中を眺めていた。
加狩山の宇宙虫が片付いたら、ウラシマはどうするつもりなのだろうか。脱出艇では遠くまで行けず、同族の仲間もいない。植民に成功したらしい星も、宇宙虫によって滅ぼされてしまった。
ウラシマが今後のことを考えていないはずはないが、私にそれを尋ねてみる勇気はなかった。どこかすっきりとしない気持ちを抱えたまま、疲れた頭で眠りについた。
その晩に私が見たのは、散布装置を忘れてコロニーまで歩いていき、不格好に右半身を膨張させた古戸さんで、みっちりと立坑を塞ぐ夢だった。
嫌な気持ちとともに目が覚める。シュールな情景の余韻を振り払い、顔をこすりながら身を起こす。
散布装置は作った状態のままでそこにあり、古戸さんも大人しく寝息を立てていた。時刻はまもなく午前五時。気分や夢見とは裏腹に、思いのほか深く眠ったようだ。そろそろ起床して、準備を整えはじめた方がいいだろう。
ウラシマは薄いマットレスの上で仰向けになっていた。その姿はどことなく死んだセミを彷彿とさせたが、私が近づくとすぐに覚醒し、ごろりと転がって身を起こした。ヴンヴンと挨拶らしき音を発したあと、手近にあった翻訳機を装着する。
『調子はどうかな』
「まあまあです」
『そろそろトキヒサも起こそうか』
変わり果てた同朋と遭遇したときの短い間を除いて、ウラシマはこれまで一度も取り乱したりふさぎ込んだりはしなかったし、恐ろしい出来事が迫っている今このときも、その落ち着いた態度は一貫していた。
ウラシマが心強い味方であり続けてくれることに対して、私はどんな返礼もできそうにはないが、せめてその滞在が意味あるものになるよう、できる限りのことをやるつもりだった。
天候は予報通りの雨。私たちは登山用のレインウェアを着込み、必要最低限の荷物をまとめた。防カビ剤の散布装置にはビニールをかけ、万が一にも濡れないようにする。一台が私、もう一台が古戸さんの受け持ちだ。
山歩きに備えて十分な量の朝食を摂り、私たちはいよいよコロニーへと向かうべく、快適な脱出艇を出発した。
◇
昨日からの雨は土の地面に泥濘を作り、道なき道をさらに危険なものとしていた。樹冠から落ちる水滴は容赦なく体温を奪い、私たちの気分と衣服を重くした。しかしそれらの困難がほかの危険を防いでくれたようで、道中ではミサト興業の人間にも、宇宙虫にも遭遇しなかった。
百時間も歩いているような気分になりながら、登山道を横切り、フェンスを乗り越え、行動食を口に詰め込み、朽ちかけたトロッコの軌道を辿る。
ドローンが撃墜されたとき、正確な座標を記録しているわけではなかったが、私たちは運よくそれほど時間をかけず、特徴的な倒木と、その陰に口を開けた不自然な穴を見つけることができた。
暗いコロニーの内部からは、不浄としか言いようのない臭いが漂ってきている。これは装置越しに見ている映像ではなく、生身で相対している危険なのだと、嗅覚が執拗に訴えてきているような気がした。
「なにか聞こえる?」
「うーん……」
私は耳を澄ませたが、絶えず降り注ぐ雨粒の音で、気配の察知は困難だった。
『ともかく、行ってみよう。宇宙虫どもに外出するつもりがないなら、少なくとも入口近くは安全なはずだ』
登山用のナイロンロープを近くの木に結びつけ、二メートル下の地面まで、互いに手を貸しながら慎重に降りる。ドローンの映像では、ここから立坑まで緩やかなスロープになっていた。途中に大きな割れ目でもない限り、辿り着くのは難しくないだろう。
入口付近は吹き込む雨によって多少ぬかるんでいたが、少し進めば地面は乾き、平坦で歩きやすくなっていた。先に進むという点だけで言えば、これまでの道のりより随分と快適だ。
代わりに私を苛んだのは、徐々に濃度を増していく悪臭だった。少し進むと、それが光るキノコから発生しているのだということが分かった。私たちは念のため照明を消し、姿勢を低くしてキノコの光を頼りにしていたので、気味の悪いそれには嫌でも近づかなければいけなかった。
洞窟の壁にへばりつき、汚らしく淀んだ薄紫や、爛れた薄ピンク色で光るキノコを眼前にしたときなど、私は反射的に顔を背けてえずきかけたほどだ。
濡れたレインウェアの袖で口と鼻を覆い、足元を確かめながらゆっくりと進む。異様な空間にあって距離の感覚は定かでなかったが、立坑まではおそらく十分もかからなかっただろう。
地の底から吹き上がってくる風と、強さを増した鼻を突く悪臭とで、私たちは立坑に辿り着いたことを知った。宇宙虫の影に怯えつつも、散布装置を背中から降ろす。
古戸さんは石器同然だと言ったが、この装置にはそれなりの工夫が施されている。装置のある部分をいじると、脱出艇の機関部から取り出した腐食性の液体が、安全弁を溶かすようになっているのだ。
ウラシマの計算が正しければ、圧縮された二酸化炭素と防カビ剤が噴出するまで八秒から十秒。パラシュートによる減速も考慮すると、大体一五〇メートルから二〇〇メートル落下したあたりで、防カビ剤が散布される。
あとは降り注ぐ数キロの粉末が、宇宙虫たちの頭部を溶かすという仕組みだ。改めて考えると恐ろしい所業だが、同情したからといって交渉の可能性が開けるわけでもない。
『二人がやってくれ』
いよいよ装置を落とすという段になって、ウラシマが言った。
「いいんですか。仲間の敵討ちをしなくて」
ウラシマは四本の手先をわきわきと動かした。
『ここは君たちの星だ。君たちの手で解決する方がいい』
仕掛けを操作して装置を落とすのに、特別な技術や手順は必要ない。ウラシマの言葉を受けた私は、責任とともに装置を預けられ、ずっしりとしたそれを立坑の縁まで運んでいった。
「果たして彼らは先乗りの精鋭部隊か、左遷された非正規社員か。異星人に殺されるのは名誉か、それとも無念か」
「現場を経験させられてる若手かもしれませんね」
「しかし悲しいかな、我々は同情するほど宇宙虫を知らない。ウラシマ君は交渉が上手くいかなかったと言うが、人類が持つ邪心とは、あるいは通ずる部分があるのかも……」
「下らないこと言ってないで、早いとこ落としますよ」
「そうしよう」
私は古戸さんと息を合わせ、ボンベの安全弁に取りつけた仕掛けを操作してから、散布装置を放り投げた。ナイロンの小さなパラシュートが開き、はためきながら闇の中に消えていく。
あとはタイミングよくガスが噴出し、防カビ剤が広範囲に撒き散らされる造りになっている。果たしてうまく作動するだろうか。
四、五、六、と心の中で秒数をカウントする。七、八、九、十。まもなく死の粉末が降り注ぎ、立坑の底で阿鼻叫喚の地獄が現出する――。
身の安全と精神衛生を考えて、私は速やかにその場を立ち去るつもりだった。数十数百の宇宙虫が発する断末魔の狂乱が聞こえないよう、耳を塞いで後ずさった。
しかしキノコの光にぼんやりと姿を浮かび上がらせた古戸さんは、まだ穴の縁に立ち、怪訝な顔で下を覗き込んでいる。
「なにしてるんですか、早く――」
古戸さんは私の呼びかけを制した。その妙な様子に、私は思わず耳から手を外した。サアァァァァ、という小さな無数の羽音が、悪臭に乗って地底から湧き上がっている。頭を溶かされた宇宙虫たちが羽をねじれさせ、五対の肢を強張らせ、衝突し、折り重なりながら死んでいく音だ。
しかし立坑からは別の音も聞こえた。おそらく古戸さんが注意を向けているのも同じ理由からだろう。弱まっていく羽音の代わりに、太く激しい噴出音が急速に迫ってきていた。
「この音、なんだろうね?」
数秒後に起こることを予想した私は、まずウラシマに急いで外に向かうよう叫んだ。次いで古戸さんの襟首を掴んで穴の縁から下がらせ、その尻を蹴って脱出を促す。
散布装置を落としたら、すぐに逃げるべきだった。失った数秒はあまりに大きい。
その存在がいよいよ穴の縁から姿を現したのは、私たちが立坑から離れ、元来たスロープを登りはじめたときだった。




