-10- 奥底
日没まではまだ三時間以上あったが、明日以降に交代で調査できるよう、今日はドローンの操縦方法を習うだけにした。操縦に使うのはボウリング球ほどの柔らかい物体。そこに空いた四つの穴に指を突っ込み、微妙な力加減で機体をコントロールする。
その独特な操作感に慣れるのには多少苦労したものの、かなりの部分が自動制御になっているのと、昆虫族より人類の方が器用なのとで、見た目の印象よりは難しくなかった。私と古戸さんは二時間程度の練習を経て、なんとか墜落しないだけの飛行技術を身につけることができた。
その過程で判明したのは、ミサト興業の人間と思しき存在が山中をうろついているということだった。私たちを探しているのか。それともこの脱出艇を探しているのか。
不安はあるが、今のところは監視に留まっているようだったので、ひとまずは積極的な対処をせず様子を見よう、ということになった。
日が暮れたあとには、防カビ剤を散布する装置の設計に取りかかった。ただしこれに関して、私はほとんど役に立たなかった。古戸さんとウラシマが中心となって、今あるもので広範囲に粉末を散布できるような仕組みを考える。脱出艇にある機器や部品もいくつか流用できそうだった。
午前に山の横断と研究所の探索、午後に大荷物での登山、夕方にドローンの操縦。体力には自信がある私もさすがに疲労困憊で、もはや集中を保つのさえ難しくなってきていた。
午後七時に簡単な食事を済ませたあと、荷物を枕代わりにして横たっているうちに、ついぐっすりと眠り込んでしまった。
次に私が目を覚ましたのは、真夜中に近い時間帯だったように思う。いつのまにか照明は落とされ、空間の中央あたりにだけ小さな光が灯っていた。ウラシマはテーブルにつき、こちらに背を向けて、なにか書き物をしているように見えた。
私が身じろぎする気配を感じたのか、ウラシマはこちらを振り返り、傍らにあった翻訳機を装着した。
『寝苦しい? 室温をもう少し下げた方がいいかな』
「いえ、このくらいで大丈夫です。ウラシマさんはまだ寝なくていいんですか。何時間睡眠が普通なのか分かりませんけど」
『多分、君たちの平均よりは少ないんじゃないか。でも、そろそろ休もうと思ってたところだ。これを書いたらね』
「記録ですか」
『そんなところだね。せっかくだから、ウラシマという字の書き方を教えてくれないか』
請われた私はのっそりと立ち上がり、テーブルの上に置いてあった灰色のシートを見下ろした。地球の紙にあたるものだろうが、非常に薄く、光沢があり、丈夫そうだった。
そこには鮮やかな青い線が、複雑に絡み合いながら右から左、折り返してまた右へと流れている。ペンのようなものはない。聞けば昆虫族が自ら筆記するときは、塗料に直接指先を浸し、三本の指を同時に動かして文章を書いているのだという。
私は小皿に入った塗料に指の先を浸し、灰色のシートに〝浦島〟の字を書いて見せた。青い塗料には不思議な滑らかさがあり、字をすべて書ききるまで掠れることもなかった。
『ありがとう』
ウラシマは私が書いたものと自分の指先を注意深く見比べながら、シートの末尾に不格好な二文字を加えた。
『待っている間にも、色々な媒体の資料を調べたよ。この星のこと、人々のこと』
私は床に腰を下ろし、ウラシマが静かに話すのを聞く。目線の先では、古戸さんが尻を出して眠りこけていた。以前も同じような姿を見た気がする。どんな寝方をしたら尻が出るのだろう。
「人類のことはどう思います? 粗暴な種族だと思いますか」
四本の手先がわきわきと動いた。ジェスチャーの意味は分からない。
『君たちは非常に個性的な種族だ。全体として特異というよりも、それぞれが非常に違っているという点でね。強い者、弱い者、献身的な者、利己的な者、寛容な者、排他的な者、冒険的な者、保守的な者。私が知る――宇宙虫も含めて――どんな生物よりも多様な生きざまを持っている。
粗暴であるかどうかはなんとも言えない。それは星の外から来た誰かが正しく評価できるようなものではない』
ウラシマはそう言ってから、不思議な身振りを繰り返した。古戸さんが相対性理論に言及したときと同じような動きだった。
「私と古戸さんのことはどう見えます?」
『とてもユニークだ。危険や未知に立ち向かう勇気は、ほかの個体にないものを持っていると思う。今、私みたいな奇妙な存在とこの場所にいることがその証明だ』
「確かに初対面は驚きましたけど、今は別に奇妙とは思わないですよ。言葉も通じますし。ああ、宇宙にも私たちと同じような存在がいるんだなって」
『そう捉えられること自体が、きっと特別なんだよ』
「正直なところ、私はユニークであることが無条件にいいとは思えません。自分が普通じゃない人間で、ときどき狂ってるんじゃないかと感じることもあって、嫌な気持ちになります」
『人類の狂気についてはよく分からない。しかし私の意見を言うのなら、人類が必要に迫られてその性質を身につけたように、君も自分が生きていくのに必要なものとして、色々なものを身につけた、と考えることもできるんじゃないだろうか。
もし君が、君の言う普通の人間だったとしたら、今以上にもっと苦しい場面があったんじゃないだろうか』
「どうですかね……」
その言葉にすぐさま感化されるほど私は純真でなかったが、彼方からやってきた知性に対する敬意が、軽率な反論を躊躇わせた。
この昆虫族はとにかく善良で、献身的で、希望に満ちている。ウラシマの口振りからするに、種族全体もおおむねそうなのだろう。だからこそ邪悪で狡猾な宇宙虫に、致命的なおくれをとってしまったのかもしれないが。
『さて、私もそろそろ休むよ。君も休むといい』
「おやすみなさい」
明日はまた朝から動くことになるだろう。私は痛む脚の筋肉を少し揉んでから、空間の端で丸くなった。眠りに落ちるまでの短い間、頭の中をウラシマの言葉がぐるぐると回っていた。
◇
翌日は未明から小雨が降っていた。ウラシマが傍受した――スマホは既にバッテリー切れだった――ラジオの天気予報によると、明日はもっと強い雨になるらしい。あまり気候が荒れるとドローンを飛ばせないので、私たちは朝のかなり早い時間帯から作業を開始した。
球状のコントローラーに指を突っ込み、ドローンを発進させる。私の目前にある立体映像装置が、雨と霧に煙る加狩山の景色を、本物さながらに映し出した。
宇宙虫は梢の上を飛ばないだろうし、人に見られてもドローンならばさほど不審に思われない。目的地までの心配があるとすれば、せいぜい好奇心旺盛なカラスぐらいのものだ。
強い風に影響されないよう、高度二十メートルから三十メートルの間を維持しつつ、ドローンを西へ向かわせる。撮影装置を巡らせれば、麓の街や、さらに遠く都市の景色も見えた。三六〇度、上下左右に自由な視界。晴天ならさぞ気持ちのいいことだろう。
山の西側までは慎重に飛んでも十五分程度だったが、隠されているであろうコロニーの入口を見つけるのは、当然ながら困難な作業だった。
高度を落として木々の間をすり抜け、操縦を交代しながら、広い範囲の地面を舐めるように探していく。ドローンの稼働時間はかなり長いとのことだったので、何度か休憩を挟み、たっぷり数時間を地道な捜索に費やした。
ウラシマの同朋は脳だけの状態になり、ほとんど気も狂ってしまっていたようだが、コロニーのおおまかな場所を把握していた。その哀れな犠牲者が語った情報をもとに捜索を続けていたところ、やがて不自然な倒木と、陰に隠れていた地下への入口が見つかった。
「天然の洞窟じゃあなさそうだ」
ドローンを操縦していた古戸さんが、捜索に飽きてブラブラしていた私とウラシマを呼び寄せる。
「当たり前だけど中は真っ暗……。このドローン、ライトとかあるの?」
「つけたら見つかっちゃうんじゃないですか」
「宇宙虫に見つかるなら、そこがコロニーってことだ。そしてヤツらは光に弱い、つまり暗闇に慣れてる。こっちが勝手に暗くしたところで、見つかるかどうかにはあんまり関係ないと思うよ」
『念のため、暗視モードを使おう』
古戸さんと操縦を交代したウラシマは、ドローンをゆっくりと洞窟に侵入させた。暗視モードへの移行と同時に立体映像は色あせたが、周囲の輪郭を判別するのに不便はなかった。
縦横四メートルはありそうな広い洞窟。古戸さんの言う通り、間違いなく掘削によって作られたものだ。
少し進むと、石の壁になにやら奇妙なものが見えた。闇の中、ぼんやりとした光を放っている。
「これ、なんです? 照明?」
『キノコだ。宇宙虫の食べ物だよ。どこかで栽培しているものの胞子が、入口近くまで飛んできたんだろう』
形だけ見れば、それはキノコというよりもよりヒトデに近かった。放射状に伸ばした菌糸で、壁にへばりつく、ひどく気味の悪い物体だった。宇宙虫の駆除はもちろんだが、このキノコにも是非絶滅してもらいたい。
ウラシマはドローンを先に進める。はじめ坑道はカーブを描きながらゆるやかに下り、二百メートルほどで操業時のものらしい坑道に合流した。上には鉄とコンクリートの蓋があり、下には深い立坑が口を開けている。暗視装置をもってしても、最奥を見通せない無明の深淵。
「あんまり入り組んではいなかったね。それほどダイナミックに拡張されてるわけじゃないのかな」
『鉱物の採掘よりも、地上での工作がメインだったのかもしれない』
ドローンは撮影装置を下に向けたまま、ゆっくりと立坑を降りていく。ビジターセンターの展示によれば、深さは二百メートルだったか、三百メートルだったか。さすがにロープで下っていくわけにはいかない距離だ。
奥へと進むにつれ、幽光を放つキノコに冒された面積も増えていく。
「ウラシマさん、音を」
集音装置の感度を上げてもらうと、ごく小さな羽音のようなものが聞こえた。一つや二つではない、非常に多くの羽ばたきが、ホワイトノイズに似た音を響かせている。
深い深い立坑の底。かつて多くの労働者が働いた加狩山の中心部は、今や忌まわしいコロニーの中心部になっていた。暗視装置が数十メートル先に捉えたのは、空間にひしめき、蠢く無数の宇宙虫だった。
映像の彩度は低く、グロテスクさは幾分か薄められていたが、それでも嫌悪と恐怖は抑えようもない。私の口からは、頭の奥から染み出してきたような低い呻き声が漏れた。
ウラシマの反応も似たようなものだった。古戸さんだけが身を乗り出し、ホログラムをしげしげと眺めていた。
「随分集まってるね。今日は祝日だったりするのかな」
『そういう概念があると聞いたことはないな』
「彼らが意識や感覚を共有してるなら、こうやって密集してると落ち着くのかもしれな――」
ホログラムの中で閃光が迸り、耳に刺さるような雷鳴が、機械的なノイズとともに響いた。映像が大きく乱れ、一瞬あとにブラックアウトする。私はその直前、群の中心に大きなものを見た気がした。宇宙虫と同じ輪郭を持ちながら、数十倍もの体躯を持つ女王の姿。
『……撃墜された』
「けど、目的は見事に達成だ」
古戸さんは嬉しそうに言った。
「あんなところに、どうやって防カビ剤を届かせるんですか」
「アリの巣みたいに分散してないから、むしろ楽だと思うよ。効率のよさそうな方法は、これから考えよう」




