-3- 一時撤退
「乾さん!」
私は広場の中央付近で倒れている彼に駆け寄った。まず疑ったのは熱中症だったが、その身体を一見してすぐ異常に気がついた。
うつ伏せに倒れている乾さんの尻あたりが、酷く焼け焦げているのだ。履いていたチノパンは一部炭化し、その中心部には生々しい火傷が見て取れる。
一体ここでなにがあったのか。
「うーん……」
乾さんが呻いた。意識が戻ったようだ。
「乾さん、大丈夫ですか? なにがあったんですか?」
私は彼の傍にしゃがみこみ、その肩を揺すった。
「……古代人だ」
「は?」
「古代人がいたんだ。この下に」
意識朦朧ゆえの譫言にも聞こえるが、口調は極めてはっきりしていた。サタンの次は古代人か。いや、古代人こそがサタンなのか。
「おーい、大丈夫か」
ようやく斜面を登り切った古戸さんが、汗を拭いながら歩いてきた。
「うわ……痛そう。焚火の上にでも転んだのか」
「いや、違う。ボクの後ろを見てくれ」
乾さんが言った場所には例の金属板があった。しかしそれ以上に目立ったのは、傍に空いた大きな穴だ。掘り下げられてできたものではない。その先は暗い地下空間に繋がっているようだった。
「あの下はすごいぞ。ここは超古代の遺跡だったんだ」
彼は苦しげな、しかし熱の籠った声で言った。
「いやいや、そんなこと言ってる場合じゃないですよ。救急車……ヘリを呼ばないと」
私は言った。さすがに遺跡探索を続行することはできない。
「ヘリはダメだ。ボクがここにいることがバレたら、もう二度とは来られないぞ。古戸、火傷は体表の何パーセントだ。自分じゃ見えない」
「Ⅱ度からⅢ度の熱傷が、五パーセント未満ってとこだろう」
「なら致命傷じゃない。頼む。なんとか下の道まで連れて行ってくれ」
馬鹿を言うなと叱り飛ばしたくなったが、懇願の様子があまりに切実で、私はつい圧されてしまった。ぐだぐだ問答している時間も惜しいと思い直し、とりあえず乾さんの要望を容れることにした。
「ヴェラ。悪いけど、協力してくれる?」
「当然です」
よかった。やはり彼女は善意の人だ。
「古戸さんも、いいですね」
「異存はない。ただ既に太腿がパンパンだ。運搬はあんまり手伝えないよ」
もとよりそれは期待していない。私は乾さんの身体を支えて立ち上がらせた。
それからヴェラと交代で乾さんを抱え、足元に気を配りながら、たった今来たばかりの道を引き返しはじめた。
◇
私たちは発掘現場から下ってくる途中で救急車を呼び、県道で待ち構えていた隊員に乾さんを引き渡した。火傷の理由について尋ねられたが、私は気絶していた彼を見つけただけだからと言い張って、一切助け舟を出さなかった。
乾さんは言い淀んだあと、ショックで記憶が曖昧になっているようだとお茶を濁していた。
救急車には古戸さんだけを便乗させて、私たちはセダンとバイクでそれを追うことにした。しかし乾さん運搬の疲労により、しばらく休憩を挟まざるを得なかった。
少し落ち着いてみれば、辺りには喧しい虫の声。日陰に退避し、持ってきた分の水を飲み干すと、ヴェラが凍らせたペットボトルを手渡してくれた。
それで首筋を冷やしながら、彼女の愛機をぼんやりと眺める。ライトグリーンの塗装が施された大型の自動二輪。変身ヒーローが乗っていても不自然ではない。人々に仇なす存在と戦うという点では、ヴェラも同じか。
「やっぱりアレってサタンの仕業なの?」
私は尋ねた。
「ほかの可能性があると?」
「ごめん、正直疑ってたから」
「ああ、気にしないでください。ユウコは理解の速い方だと思いますよ。実を言うとワタシも、生きて動いているサタンを見たことはないのです」
ヴェラは肩を竦めてから、発掘現場の方向を見遣った。
「さらに言えば、ほんの少し怖かった。情けない話ですが、ユウコたちと一緒に行くことになったときと、一度遺跡から引き返すことになったとき、ワタシは二度ほっとしたのです」
「それが普通だと思うけど」
「残念ながら、普通だと修道会の役目はとどまらないのです。ままならない?」
「務まらない」
「それそれ」
さらに五分ばかり休憩していると、古戸さんから連絡があった。搬送先を告げられた私たちは休憩を終え、それぞれの車両を駆って麓の町へと向かった。
◇
甲府市内の総合病院に担ぎ込まれた乾さんだったが、本人の見立て通り命に別状はなかった。ポケットに入れていたスキットルと、中身のウィスキーがダメージを和らげたらしい。とはいえさすがに即日帰宅というわけにはいかず、三日から一週間は入院することになりそうだった。
傷跡が残るのは避けられない、と医師は告げた。しかし乾さんはというと、尻の予後など完全にどうでもいい様子だった。
「とにかく、早くもう一度調査に行ってくれ」
病室に戻された乾さんは、開口一番そう言った。関係が許せばぶん殴っているところだが、仮にそうしても彼は主張を変えないだろう。それに遺跡の調査に関して、ハト派は私一人だった。
「あの場でなにを見たんですか? ミスター・イヌイ」
乾さんとヴェラは互いに自己紹介を済ませていた。古戸さんとも速やかに馴染んだ彼女は、乾さんともうまく信頼関係を築いていた。あるいは単に双方とも、理解者が増えて嬉しいのかもしれない。
「オーケー、ヴェラ。順を追って話そう」
同じ病室の患者に配慮し、私たちはそれぞれの椅子をベッドに寄せた。白いカーテンで囲まれたスペースで語られたのは、はじめ想像した以上に信じがたい出来事だった。
「まず、勝手に一人で行ってしまったことは謝る。気持ちが抑えきれなかったんだ。ボクは山道を登り、足かけ数か月通い続けた現場に辿り着いた。
金属板は変わらずそこにあった。しかし君たちも見たように、傍に穴が空いていたんだ。以前にそんなものはなかった」
「そしてそれは、縄文遺跡の一部ではなかった」
古戸さんが合いの手を入れると、乾さんは満足そうに頷いた。
「階段を一歩降りた時点で分かったよ。そう、階段があって、それが地下に繋がってたんだ。深さは大したことなかったけど、中はかなり広かった。この病室よりも広いと思う。けど、照明がまったくなかったからね。どうしたもんかなと思ったとき、闇の中になにかの気配を感じたんだ」
「それ、誰かが先に入ってたんじゃないんですか」
私は言った。
「ボクはそうは思わない。確かにしっかりと姿を確認したわけじゃないが、アレは古代人か、もしくは古代人の技術を持った人間だ。この身に証拠が刻まれてるんだから間違いない」
「乾さんのお尻に?」
「そうだ。これは熱か火を使ったなにかで攻撃されたんだ。もしかすると、ギリシア火のようなものかもしれないな」
ギリシア火がなんなのかは分からなかったが、私の脳裏には熱線銃を持ったグレイ型の宇宙人の姿が浮かんだ。しかしそれでは、古代人というより未来人だ。
「松明とか火炎瓶とかかもしれないですよ」
「そうかもしれない。でもとにかく頼む。もう一度あの場所を調査してくれないか」
乾さんは腕を伸ばし、私の手を掴んだ。やんわり振りほどこうとしても離れない。多分、イエスというまで退かないつもりだろう。
押し切られるのはあまりいい気がしない。しかし一度はじめたことを中途半端に止めるのも、私の好むところではなかった。
「……分かりました。分かりましたよ。私も協力します」
私が諦めたように言うと、乾さんは顔を輝かせ、掴んだままの手を上下に振った。その拍子で尻の傷がベッドに擦れて痛んだらしく、顔をしかめて小さく呻いた。
「だからしばらくは大人しくしててください」
私は彼の指を自分の手から引きはがし、ベッドの上に置いた。
「乾はこうやって人の善意を利用するんだよ」
「古戸さんとはまた違った嫌らしさがありますね」
「言うねぇ。しかし今から行くとさすがに日が暮れるな。調査は明日からにしよう。ヴェロニカ嬢も、それでいいかな?」
「ノープロブレム」
しばらく腕を組み、なにやら考えてこんでいた彼女は、形のいい眉をわずかに上げて答えた。




