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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode5 鎖に縛られて
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-18- べっこうのかんざし

 純白のリスに似た生き物が高い声で鳴き、思いのほか鋭い牙を剥き出しにした。それは出口を求めるように、ぐるぐると部屋の中を飛びはじめた。


「捕まえろ!」


 襖を後ろ手に閉めた古戸さんが叫んだ。その尋常ならざる様子に差し迫ったなにかを感じた私は、トンボのような急加速、急停止を繰り返す白いリスに狙いを定めた。


 姿を目で追い、素早く刈り取るように手を伸ばす。一度目は掴み損ね、飛翔の軌道を揺らすだけに終わった。しかし態勢を立て直される前に、反対の手伸ばして捕まえる。零れそうな身体を握りしめると、抵抗の牙が私の指先に食い込んだ。


「いッ……」


 しかし私はそれを離さなかった。腕を振り回して、握った掌を壁に叩きつけた。柔らかいものが潰れる感触の直後、白いリスは消滅し、焦げ跡のついた紙に戻った。


 リスは幻だったが、傷は現実だった。鋭い牙に傷つけられた私の指からは、ぼたぼたと血が垂れた。


「ててて」


「おっと、タオルかなんか持ってくるよ。根元を押さえてるといい」


 幸い、樋口さんたちの持ち物に包帯があった。それを指先に巻いて、とりあえずの応急処置とする。破傷風の心配はしなくていいだろう。呪いはあるかもしれないが。


「式神かァ……さすが陰陽師だ。昔々の防犯装置ってとこかな」


 焦げた紙を覗き込みながら、古戸さんは言った。式神という単語なら私も知っていた。魔術師の使い魔みたいなものだ。噛まれるだけならまだしも、瑠璃に侵入を知らされたら危なかった。


「箱、古戸さんが開けてください」

「怖がるねえ。でも、もう大丈夫だと思うよ」


 古戸さんは桐箱を取り出して文机の上に置き、一度しげしげと眺めてから、ゆっくりと蓋を取り去った。黒い布が敷かれた箱の中には、二つの足を持つ飴色のかんざしが入っていた。イチョウの形をした根本には、繊細な菊の浮彫が施されている。


「べっこうですか、これは」

「随分な年代物だね」


 古戸さんは無造作にかんざしを取り上げ、親指で二度三度こすっている。


「触ってごらん」


 私はそれを受け取って同じようにした。すべすべした表面は、氷のように冷たい。


「特別なものなんでしょうか。その、魔術的に」


「そりゃ、式神で守らせてるぐらいだから。お守り代わりに持ってれば?」


「嫌ですよ」


「脇に挟んどくだけでもかなり涼しそうだよ」


 なんとなく押し付けられる形で、かんざしを所持品に加える。湾曲が少ないそれは、すんなりとポケットに収まった。


 私たちはもう三十分ほど瑠璃の部屋を物色したが、それ以上めぼしいものは見つからなかった。また式神を召喚されても面倒なので、ある程度のところで探索を切り上げた。樋口さんたちと合流し、情報を共有する。


「私もう、気分が悪くなってきました」


 話を聞いた高坂さんが言った。至極真っ当な反応だった。


「楠田さん、古戸さん、僕ら待ってる間に考えたんですけど」

 彼女の肩に手を置いて宥めながら、樋口さんが言う。


「前に言ってた、村井さんに協力を頼むっていうのはどうでしょうか。神奈子ちゃんのお父さんなんですよね」


 頼めばおそらく協力はしてくれる。しかし私はあまり乗り気になれなかった。


「話してみた感じだと、村井さんも祭のこととか瑠璃のこととかはよく思ってない。でもそれだけに、村の人たちから警戒されてる気がするんだよね。もし実際の行動として祭の邪魔をしたら、間違っても村には住めなくなっちゃうし、下手したら……」


「確かに、彼も村の人間ですもんね……」


 樋口さんは腕組みをして考え込んだ。そのやりとりを聞いていた古戸さんが、おもむろに口を挟む。


「頼むならむしろ桐島さんじゃないかな。彼は医者だから発言力もあるし、多少怪しいことをしてもごまかしやすい」


「悪い人じゃないとは思いますけど、彼、瑠璃さまに色々協力してるんじゃないですか。検死とか」


 私は言った。


「そう。非合法に手を貸していて負い目があるからこそ、協力させやすい。彼は元々村の外から来た人間だから、保身が第一の目的であるはずだ。もうこんなことには付き合ってられない。新しい就職先を探した方がましだ、と思わせる程度でいいんだよ」


「できますかね?」


「まあ、僕に任せておきなさい。君たちはピクニックの準備を頼む」



 必要な準備は多くなかった。灯りのない場所を移動するためのライトと、村を出た後歩けるだけの水分。荷物を惜しんで捕まっては意味がないので、不要な衣服は置いておく。先程手に入れたかんざしは、念のため持っていくことにした。


 準備を進める樋口さんと高坂さんの背中からは、これから起こることへの恐れや、事件に関与したことへの後悔がにじみ出ているように思えた。しかしノリノリな古戸さんや健気なあとり君の手前、帰ろう、辞めようと言い出すことはできないのだろう。


 私にしたところで、逃げ出したい気持ちがないとは言えない、しかしそれが頭をもたげるとき、古戸さんが出発前に放った言葉が思い起こされるのだ。


 自らに内蔵された狂気から目を逸らさないこと。世に隠された、しかし遍く存在する狂気に向き合うこと。後者が前者を喚び起こしたとして、正体を失わず持ちこたえること。


 ここで帰れば来なかったも同じだ。私は覚悟を固めつつあった。


「まだ行かないのか?」


 あとり君は明らかな非日常に高揚し、一連の出来事が終わったあとに送る、都会での生活に思いを馳せているようだった。その様子に、生まれ育った村を離れる悲哀はほとんど感じられない。


 おそらく彼は元々持っている、あるいは与えられているものを大事にする性質ではなく、自分が築いたもの、あるいはこれから手に入れるであろうものにロマンを感じるのだ。


「暗くなってからね」

 私は言った。そしてじりじりと時が過ぎるのを待った。


 やがて日は沈み、辺りが急速に暗くなりはじめた。前日まで、村の夜には星の光と虫の声だけが満ちていた。しかしこの宵、中央広場では多くのかがり火が焚かれ、待ちきれずに酒宴をはじめた人々の喧騒が、かなり離れた屋敷までも届いてきていた。


「さて、ぼちぼち行こうか。まずは広場の様子を見てからだけど」


 古戸さんが音頭を取って、私たちは屋敷を出発した。わざわざ一度広場に寄るのは、祭に参加したというアリバイを作るため、そして村人がどれくらい集まっているのかを確認するためだった。


 懐中電灯やヘッドライトで足元を照らしながら夜道を歩く。普段ならば危険で恐ろしい道行きだが、もし隠れて逃げる必要が出てきたとき、山村の濃い闇は都合がいい。


 十分ほど行くと、高さ四メートルの要石が見えてきた。黒々とした表面が炎で赤く照らされ、妖しげな陰影を作っている。広場の辺縁にはテントが立ち並び、その下では村人たちが煮炊きをしたり、既に完成した食事を口に運んだりしている。


「祭っていうより、花見みたいですね」


 その様子を見た樋口さんが言った。彼と高坂さんは緊張からなのか、先程からぴったりとくっつくように歩いている。


 広場の入口近くで、軽トラックの傍らに立つ男性の姿があった。


「君たちも肝が太いね。ちゃんと忠告したのに」


 それはくたびれたワイシャツに身を包んだ桐島さんだった。彼は呆れたように言ったが、私たちに対する警戒や敵意はないようだった。


「一応、君たちの席は用意しておいたよ」


 桐島さんは広場の一角に敷かれたブルーシートを示し、座った私たちに軽い食事と飲み物を提供してくれた。アルコールを飲む気にはなれなかったが、白い皿に盛られた豚の角煮は食欲をそそった。

 

 古戸さんは広場の中央あたりにふらふらと迷い出て、要石を観察しに行った。樋口さんと高坂さんは、相変わらず身を寄せ合っている。その傍らにいるあとり君はというと、今が喰いどきとばかりに唐揚げを頬張りはじめた。


 私は紙コップに注がれたウーロン茶で喉を湿らせ、桐島さんと目線を合わせないまま会話を交わす。


「手伝ってくれてありがとうございます」


「君の師匠にほとんど脅迫まがいの説得をされてね。僕は小物だからおおっぴらにはできないけど、スパイぐらいは引き受けられる」


 桐島さんはポケットからスマホを取り出し、画面を指で弾く。落ち着いている風だが、その動きはやはりどこか神経質だ。


「村の人は大体ここに集まってるんですか?」


「ほとんどそうじゃないかな。老人とか乳幼児とか、その保護者を除いて」


 広場には二百人近くがいるだろうか。彼らは屈託なく酒を酌み交わし、会話を楽しんでいるように見える。意識して厳かさを排した、娯楽色の強い祭。なんだ、秘密にすべきことなどないではないか。なにも知らない人間が見ればそう思うだろう。


 しかし私は既に知っている。この寛いだ雰囲気が、悍ましい真実を包み隠すものであるということを。どの村人も、見えない鎖で縛られたように、瑠璃に服従しなければならないことを。


 その体制を打破するなどと壮語を吐くつもりはないが、無垢な子供が犠牲になるようなことはやはり耐え難い。


「こうして見ると楽しげだけど、やっぱり色々歪みは見えてきてるんだよ。僕もそれは感じててね。君たちみたいな人間が来るのも、もしかしたら偶然じゃなかったのかもしれない」


「この村にいられなくなったら、桐島さんはどうするんですか」


「田舎はどこも医者不足だから、行先には困らないんだ。騒ぎが起きてから、無事に出られればの話だけど」


「……すみません。ご迷惑をおかけします」


「気にしなくていいよ。僕も瑠璃の共犯みたいなもんだからね。自業自得だ」


 話しているうちに、古戸さんが戻ってきた。そろそろ行こうと全員を促して、桐島さんを一瞥する。


「じゃ、いざというときは車を頼みますよ、先生」


 それに応じた桐島さんに見送られながら、私たちは目立たないようこっそりと、宴の続く広場を出発する。そして不意の遭遇に神経を尖らせながら、神奈子ちゃんが捕らわれているはずの奥宮へと足を向けた。

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