-14- 制裁
「滝村……」
その名前を聞いた村井さんは目を細めた。わざわざ記憶を探るまでもなく、心当たりが浮かんできた様子だった。彼は詳細を思い出すように少しだけ間を置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「ああ、滝村センセイのことなら知ってる。あんたら、関係があるのか」
「彼は僕の師匠に当たる人間なんですよ。この村の祭を調べに来たはずだ」
古戸さんが言った。その末路について話せと暗に圧力をかけている。
「じゃあ、あんたも学者さんか」
「古本屋ですが、まあ似たようなもんですよ。それで、彼はこの村にいたんですね?」
「いた。祭の何ヶ月か前に移ってきた。住んでたのは村の反対側だ。いかにもヒョロヒョロだったから、何度が様子を見に行ってやったんだ。都会から来たって人間は珍しかったしな」
村井さんは過去を見遣るように目線を彷徨わせた。しかしその表情には、滝村という人物の命運を暗示するような影が差していた。
「しかし帰らぬ人になったと」
「適当なところでやめておけばよかったのに、瑠璃に――」
そこまで話して、村井さんは一旦言い淀んだ。しかし、それを聞き逃す古戸さんではなかった。
「瑠璃? 彼女はせいぜい三十ぐらいにしか見えませんでしたが、当時から権力者だったんですか。それとも神奈子みたいに、同じ名前の別人なのかな」
「……あの女は、俺がガキのときからずっとあの容姿だ。と言っても、ここ数年は俺もまともに見ちゃいないけどな」
「年を取らないってことですか?」
私は尋ねた。
「少なくとも、見かけ上はそうだ。村の人間は皆気づいてる。でも誰も指摘しない。怖いからだ。瑠璃が。下男が」
「マジかよすげえ……」
あとり君が呟いた。それは超自然に対する素直な驚嘆だった。一方の私はカルナマゴスの遺言にまつわる事件のことを思い出し、もやもやとした嫌悪感を抱いた。
「で、瑠璃は彼をどうしたんです」
古戸さんが尋ねると、村井さんはかぶりを振った。
「正確には分からん。殺されて山に埋められたか、家畜に食わせたか。言っとくが、祭について調べるってのはそういうことだぞ。滝村センセイのことも迂闊に聞きまわるな。瑠璃に目を付けられる」
「医者の先生は敵かな? 味方かな?」
「桐島先生か……」
「彼は元々外の人間なんでしょう」
「悪い人間じゃない。でも村で一人の医者だから、色々なことには関わってんだろ。それについてどう思ってるかは知らん」
「なるほどね……」
例えば不審死した人間についての診断書。例えばプレハブにいる女性の健康管理。彼を抱き込むことなしに、歪んだ村の体裁を整えるのは難しいだろう。しかし桐島先生は私に忠告をしてくれた。後ろ暗い役割を負っているのだとしても、それを喜んでやっているとは思えない。
「村井さんはどうなんですか」
私は尋ねた。あまり気は進まなかったが、誰かが尋ねておかなければならないと思った。
「なにがだ」
「このままだと、神奈子ちゃんは器になって、子供を産まされて、お母さんと同じ状態になっちゃうんですよね? それって……お父さんとしていいんですか」
「いいわけねえだろ」
村井さんは声を荒げこそしなかったが、多分に怒気を含んだ声で言った。予想した反応であるとはいえ、彼の心をささくれ立たせたことに、私は罪悪感を覚えた。
「じゃあ、神奈子ちゃんには言っていいですか。お父さんが心配しているから、村のために犠牲になるなんてやめろって」
「……」
「善人ぶってる自覚はありますし、そもそも部外者がどうこう言うのは変だと思いますけど、やっぱり社会一般の常識に照らし合わせると、これはおかしいですよ。伝統とか儀式を大事にするとして、もっとましなやり方があると思います」
「そうだそうだ。非科学的だぞ」
私の言葉にあとり君が和した。それを聞いた村井さんはうつむいて黙り込んだ。彼は今強い葛藤の内にあるのだということが分かった。
「じゃあ、どうするって言うんだ」
「まあ、その辺はなんとでもなりますよ」
古戸さんがあっけらかんとした様子で言った。
「秘密にしたいってことは、それだけ外からの悪意に弱いってことだと思うんで。あ、これは神奈子ちゃんの身柄がなんとでもなるって意味で、村の生活がどうなるかは……」
「そしたら俺、東京に住みてえなあ。松本でもいいぞ」
「うんうん。住むところはここだけじゃない。害獣に困ってる村はたくさんあるだろうし、猟師として喰ってくのも難しくないんじゃないですか」
古戸さんは言った。彼がこういう慰めめいたことを言うのは珍しかった。しかしおそらくそれは善意からでなく、真相に近づきつつあるために気分がいい、というだけのことだろう。
「ところで滝村先生が住んでたのはどのあたりかな。村の反対側って言ってましたけど」
「村長の家からもっと東に進んだとこだ。今は空き家が多くなってる。確か、黒いトタン屋根だったな」
「ああ、あの家か」
あとり君はその場所に心当たりがあるようだった。ならば見つけるのは容易だろう。それを聞くと、古戸さんは用が済んだとばかりに立ち上がり、大きく伸びをした。
「よし、じゃあ午後は廃墟探索だ。あとり隊員。案内を頼むぞ」
◇
村井さんの家を出た私たちは、村の中央部を横切るように歩いていた。滝村教授がかつて住んでいた家へと向かう前に、村長の屋敷で一休みしていくつもりだった。
「あとり君、お姉ちゃんと血が繋がってないっていうのは、ショックだった?」
道中黙りがちな彼に対して、私は尋ねた。
「いや、案外そうでもなかったな。俺、血の繋がりより、気持ちの繋がりの方が大事だと思うからよ」
あとり君は大仰な仕草で胸を叩く。下らないことを聞いてしまった。
「それよりも、姉ちゃんをどうやって助けようかって考えてたんだ。蔵の鍵をこう……かちゃかちゃっといけねえかな……」
神奈子ちゃんを連れ出したとなれば、村人たちは黙っていないだろう。たとえ本心では正しいことでないと分かっていても、瑠璃さまへの畏怖から、私たちを袋叩きにするかもしれない。
思い切った行動には、タイミングのよさと慎重さが要求される。先程古戸さんはどうとでもなると言っていたが、なにか妙案はあるのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、やがて屋敷についた。涼しい部屋で改めて水分を補給し、テーブル上に用意されていたカレーを食べる。午前中だけでなんだかんだ五、六キロは移動しているため、それなりに疲労も溜まっていた。
少しあと、昼食を終えた私が台所で皿を洗っていると、離れの方角で人の声がした。廊下に出てみれば、古戸さんとあとり君も様子を見にきている。
声の出所からするに、どうやら離れの前にある庭で、複数人が話をしているようだ。なにやら不穏な気配を感じた私は、庭を視界に収める窓から、こっそりと様子を見てみることにした。古戸さんとあとり君も、私の近くに頭を並べる。
まず目に入ったのは下男の巨躯だった。その足元には、村人と思しき中年の男がうずくまっている。あるいはひれ伏しているのだろうか? 酷く怯えているようにも見えた。頭を下げている相手は、離れの縁側に腰を掛けた瑠璃さまだ。彼女の顔には冷たい怒りが浮かんでいた。
「養豚場のおっちゃんかな」
あとり君が後ろ姿から見当をつけた。会話を拾うことはできないが、豚を逃がしたことへのお叱りを受けているようだ。そうだとしたらおそらくは、結果的に神奈子ちゃんを怪我させた責任を追及されているのだろう。私たちはしばらく観察を続ける。
まもなく、瑠璃さまの表情がふっと消え、直後に男の呻き声がした。彼は両腕で自らの身体を抱くようにしながら、地面をのたうち回りはじめた。
なにが起こっている?
瑠璃はもちろん、下男もその様子をただ見ている。私が出ていくべきかどうか逡巡していると、それを察知したらしい古戸さんに腕を掴まれた。彼は落ち着いた表情で、自らの唇に指をあてる。
「今のところは、大人しくしておこうじゃないか」
瑠璃が男に与えたのは苦痛だけでなかった。のたうち回り転げ回る身体が、不規則に蠢きはじめた。それはまるで内側に潜むなにかが膨らみ、暴れているようだった。呻き声はやがて絶叫に変わった。
そして男は――裂けた。
その勢いからすると、爆ぜたという方が正確かもしれない。皮が破けて血が飛び散った。ピンク色の筋肉が腱や関節から外れ、ムチのようにしなった。その動きはどこか軟体動物を想起させたが、悍ましさの度合いでは比べようもなかった。
私は情景を直視していられなかった。それでも目を離すのが遅すぎるぐらいだった。茫然としているあとり君を庇うようにして、窓から離れた。酷い動悸に胸を手で押さえつつ、大きく呼吸して気持ちを落ち着けようとした。絶叫はほどなく止んだが、その余韻は長く耳に残った。
「わーぉ……」
まだ窓際にいる古戸さんが気の抜けた声を上げる。彼は私の何十分の一も動揺していないだろうが、その様子は驚きと取れないこともない。
あれが、瑠璃の機嫌を損ねた人間に加えられる制裁なのだ。私はついさっき村井さんに取った挑戦的な態度を、強く強く後悔しはじめた。




