-13- 苦悩する者
「村井さんは猟師なんだっけ?」
私たちは村の西端を目指して歩いていた。太陽の位置が高くなるにつれ、否応なしに暑さが増してくる。古戸さんは入った氷が中々溶けないボトルを振りながら、あとり君に尋ねた。
「そうだぞ。冬は肉をくれる。よく鍋にして食べんだ」
「なんであんな村はずれみたいなとこに住んでんの彼は」
「知らねえ」
「臭いがあるからじゃ?」
私は言った。先日古戸さんを担ぎこんだとき、家の近くにはかなりの獣臭さが漂っていたのを覚えている。住宅街の中心であんな臭いがしたら、多分大騒ぎになるだろう。
「臭いなんて、そこかしこで堆肥があったりするじゃないか」
それもそうだ。この村では家畜の糞を再利用しているようで、堆肥化する途中の土が積んである堆肥小屋をいくつも見かけた。臭いでいうならばむしろこちらの方が強い。
「あとり君、村井さんって奥さんとかいないの」
「いねえな。ここだと珍しいかもな」
田舎の婚姻事情はよく知らないが、彼が言うならそうなのだろう。世捨て人、とまでは言わなくとも、村とは少し距離を置いているような雰囲気もあった。その割に、あとり君の面倒を見るということもする。よくよく考えてみれば、不思議な人物だ。
「俺は村井のおっちゃん強くてカッコいいと思うんだけどな。なんでだろうな」
「ほら、男女ってのは難しいから」
「そうか……」
あとり君は村井さんによく懐いているようだ。桐島さんにも懐いている。村に同年代が少ない分、年上の人間と関わる機会が多いのだろう。考え方や言葉遣いが大人っぽいのはきっとそのせいだ。
他愛無い会話を続けながら歩くと、やがて村井さんの家に辿り着いた。玄関のインターホンを押したが、壊れているようで鳴らない。
「おーい、村井のおっちゃん! 入るぞ!」
子供特有の気安さと無遠慮さで、あとり君が玄関を開け放った。そのまま靴を脱ぎ、トコトコと奥へ歩いていく。彼が一緒ならば咎められることもないだろう。私もあとり君に続いて家の中に入った。
はじめ村井さんは不在かと思われたが、そうではなかった。彼は雑然とした薄暗い居間で、焼酎らしきものをコップで煽っていた。
「ようあとり、どうした」
私たちを咎めるでもなく、あぐらのままこちらを向く。少々酔っているようだ。白いタンクトップに短パンという男臭い服装。彼の灰色の痣はその腕だけでなく、肩や胴体にまで及んでいる。
「昨日はどうも」
古戸さんは汗をぬぐい、床に腰を下ろす。ボトルの中の氷がゴロンと音を立てた。
「ああ、身体の調子はどうだ」
「すっかり回復しましたよ。今日はほら、ちゃんと水も持ってきた」
「そりゃよかった」
私とあとり君も適当な場所に座る。古戸さんが中々本題を切り出さないので、しばらく妙な間が流れた。
「村井さんって、奥の方にある神社に行ったことあります?」
「……あそこは立ち入り禁止だ」
「じゃあ、あそこに住んでる女性のことも知らない」
古戸さんが意味深な口調で言うと、村井さんに明らかな反応があった。彼はコップを掴もうとした手を、ほんの一瞬止めた。
「入ったのか?」
「ええ、入りました。神奈子ちゃんにも会いましたよ」
今度は顔に苦渋の色が浮かんだ。彼がなんらかの――あまり穏やかではない――感情を持っているのは間違いなかった。それは単に神奈子ちゃんの居場所を知っているという以上のことを意味していた。
「気にしてますねぇ。村井さんって村長の家となにか繋がりがあるんですか? 肉を届けに行ったりしてるみたいじゃないですか」
村井さんは焼酎の瓶を傾けてコップに半分まで注ぎ、それを一気に呷った。なにかを振り払おうとするような、雑な飲み方だった。
「あとり、お前ちょっと外出てろ」
「は? なんでだよ」
露骨な除け者扱いに、あとり君は憮然となった。
「子供が聞くような話じゃない」
「大人が聞かせたくないってだけだろ。そういう卑怯な言い方をするのはよくねえぞ」
中々の言いぶり。私は妙に感心してしまった。
「俺はもう九歳だ。大抵の事実は受け止められる」
「……そうか」
やりとりが面倒になったのか、村井さんは諦めたように言った。彼は若干酔いの回ってきた舌で、意外な事実を語りはじめた。
「村長のとこにいる神奈子は、俺の娘だ。血の繋がった、実の娘だ」
「え、俺は?」
あとり君が尋ねた。
「お前はちゃんと村長の子供だ」
「ハラチガイとかってやつか?」
村井さんは首を振った。
「それも違う。神奈子の実の母親は今、奥宮にいる」
「じゃあ、あのプレハブにいた女性は、村井さんの奥さんなんですか」
私は言った。精神疾患でも患って、隔離されているということなのだろうか。
「いや、夫婦じゃない。十六年前に一度、子供を作るためだけに一緒になった仲だ」
「だからあの女の人も、神奈子ちゃんを気にしてたんですね」
「……どうだろうな」
「名前を呼んでましたよ」
「多分、自分の名前だろう。どっちも神奈子だ。母親も、娘も」
私は混乱してきた。祖父や祖母と同じ名前を付けるというのはまだ聞いたことがある。しかし親子で同じ名前を付けると、さすがに色々困りはしないだろうか。
「ちょっとまとめましょうかね。……その前に、お水貰っても?」
古戸さんが言った。村井さんは勝手にしろと言いたげに、台所の方を顎で示した。水を汲んで戻ってきたあと、古戸さんは嬉しそうな表情で場を仕切りはじめた。
「前回の祭は十六年前。村井さんと神奈子――まあ、便宜上神奈子ママと呼びましょうか――彼女が子供を作ったのもそのとき。それってもちろん、祭とか儀式に関係あることですよね?」
「……そうだ」
「うんうん。生まれた神奈子ちゃんは養子として、それとあとり君の姉として育てられた。そのことって彼女自身は知ってるんですかね」
村井さんは首を振った。
「薄々察してるかもしれないけどな。あの子は賢い」
「じゃあ、これから自分に起こることも知らない? というか、なにが起こるんです?」
古戸さんは言葉を切って答えを待った。村井さんの眉間には深い皺が寄り、それが心中の苦痛をありありと示しているように思えた。
「神奈子っていうのは〈器〉の名前だ。俺は直接見てないが、何世代も続いて神奈子がいるらしい。だから、俺の娘も誰かと子供を産んで、その子は神奈子って名付けられるんだろう」
「そのとき、神奈子ちゃんはどうなるんです?」
私はたまらずに尋ねた。
「〈器〉になるんだよ。母親と同じだ。なんの器になってるのかは知らんし、考えたくもない。ただ、それに器であることに、人間の精神は耐えられないんだ。だから……」
だからあのプレハブ小屋の女性は、廃人同様になってあそこにいるというわけか。歌舞伎役者の襲名などとは違う、もっと陰鬱で悍ましい、そしておそらくは綿々と続いてきた慣習。しかし、一体なんのために? これも五穀豊穣のためだというのだろうか?
「……姉ちゃんを助けなきゃ」
あとり君が言った。
「正義感はいいけどなあ、あとり隊員。きっとこれは村ぐるみだし、瑠璃さまもふかーく関わってるよ」
「そ、それでも助ける。俺の姉ちゃんだから。血がつながってなくても俺の……」
彼は決意と恐怖の間で揺れ動いていた。しかしそれだけでも驚くべきことだ。まだ九歳の子供にも関わらず、親や社会の決まりに抗ってみせようというのだから。私はなんとかあとり君に協力したかった。
「古戸さん、私思ったんですけど」
「なんだい?」
「私たちの目的って、祭について調べることですよね。もしその結果、村の祭がその……忌まわしいものだっていうことが分かったら。邪魔したりするのも、ありですよね」
「善人だねぇ、楠田さん」
古戸さんは愉快そうに口を歪めた。しかしその表情には、わずかな侮りが含まれているような気がした。
「まあどのみち、深く調べるという行為自体が、なにかしらの邪魔になってしまうからね。僕と君とのモチベーションの落とし所としては、悪くないのかもしれない。……ということで村井さん、もう一つ」
「なんだ?」
「十六年前にこの村で姿を消した、滝村という人物についてお聞きしたい」




