-7- 内奥にあるもの
「うわぁ、すごい」
要石を見た高坂さんが声を上げる。円形広場中央に屹立するそれは、確かにちょっとした光景だった。
一枚岩としてはかなり大きなもので、黒く滑らかな楔型の岩塊は、軽く十トン以上ありそうだった。イースター島にあるモアイ像のように、どこかから運んできてここに設置したのだろう。地面の下にある部分も、決して小さくはなさそうだ。
岩の表面には、鎖か縄のような文様が彫刻されていた。それは私が神奈子ちゃんの脚を診たときに目撃した、灰色の痣に似ていた。
広場を横切って岩に近づく。足元にひんやりとした空気を感じる。
「これ、ご神体? 触ってもいい?」
私は尋ねた。要石の回りには囲いがあるでもなく、注連縄が巻かれているでもない。台座が設えてあるわけでもなければ、看板が立っているということもない。本当にただ地面に刺さっているだけだ。
「ご神体? いや、別にそういうもんではねえぞ」
ならば、これは村にとってどういう意味があるものなのだろう。古戸さんなら見当がつくだろうか。
私は広場にいる村人の目を気にしつつ、好奇心からそっと要石に触れた。
表面は誇張ではなく氷のように冷たかった。夜気を蓄えたところで、こんな温度になるとは思えない。私に促された高坂さん、樋口さんも岩に触れ、感嘆の声を漏らした。
「冷たい地下水の流れに触れてるとか?」
「実はどっかから電気が通ってて、冷蔵庫みたいになってるとか」
二人はそう言ってはしゃいでいる。置かれている場所が場所なら、パワースポットとしてさぞもてはやされたことだろう。写真にも映える。
「ご神体が見られるかどうかは分かんねえけど、神社なら上の方にあるぞ」
あとり君は村の北側、山頂方面を指さした。そこには幅の広い階段が置かれ、なるほど参道のようになっていた。
「あとり君、時量師神って知ってる?」
私は尋ねた。
「知らん。神様の名前か?」
「そうそう」
「聞いたことねえなあ。瑠璃さまなら知ってるかもしれねえけど……」
瑠璃さまの名が出たので、私は樋口さんと顔を見合わせた。
「瑠璃さまって村の偉い人だっけ」
「おう。でも怖い人だからな。ちょっと俺は苦手だな。前に庭の薬草ぶっこ抜いたら滅茶苦茶怒られたんだ」
「それは怒られるねえ」
彼の口振りからすると、村の神事を司る人間なのかもしれない。ならば村民から畏怖されるのも別段不自然ではない。
あとり君は瑠璃さまのことをあまり語りたがらなかったので、私たちはそれ以上詳しく聞かなかった。
「んじゃ神社行くか」
涼しい要石周辺から離れたくない気分もあったが、私たちは彼に従って階段を上り始めた。随分古くからあるもののようだが、メンテナンスはしっかりされているようだ。ここにも村の豊かさが垣間見えるのと同時に、信心深さが表れているような気がした。
参道は長く、段数は多かったが、樋口さんも高坂さんも登山をしているだけあって足取りは軽かった。もしかすると百段ぐらいはあっただろうか。目線の先に、緑の木々で隠れていた鳥居が見えてきた。
朱い漆塗りの鳥居をくぐって境内に入る。そこには玉砂利が敷き詰められていて、奥の方には小さいながらも立派な社殿が建っていた。幾度か改修は経ているだろうが、それは昭和や大正より昔の建物であるように思えた。
要石の近くほどではないにせよ、ここもまた大きく梢を張り出した樹によって陰が作られ、涼しげな空間となっている。
辺りに神社の名前や祭神を示すものはなにもない。神職と思しき人もいない。おそらく普段から無人で、村人が持ち回りで手入れをしているのだろう。
「まあ、こういう感じだ。ただあそこにご神体っぽいものはないんだよな。あるとすれば……」
あとり君はさらに上の方角を見遣った。
「まだ奥があるの?」
「ある。あるけど入っちゃいけない。……ってことになってる。あそこに立ち入り禁止の看板があるだろ」
彼が指さした方向を見ると、苔むした木の看板が目に入った。その脇には、今しがた上ってきたものよりはるかに細い自然石の階段がある。
「あの階段から行くと見つかるんだよな……」
あとり君の口振りからして、彼は明らかにこの先に行ったことがあるようだった。そして今、言外に私たちを誘っている。一丁前に小賢しい。
「どうやって行くといいのかな」
私は彼の誘いに乗り、尋ねた。
「実はこっちの方に裏道があるんだ」
得意げに言ったあとり君は、境内のはずれへと私たちを導いた。裏道、とは言ったもののそこに階段や舗装路はなく、ただ下草がわずかに踏み固められているに過ぎなかった。
「これは……獣道だね?」
樋口さんが率直な感想を述べた。
「まあ、俺しか使ってないからな……」
それは虫や汚れを嫌がる人間なら立ち入りを躊躇うような場所だったが、私はそれほど気にしなかったし、樋口さんと高坂さんも山歩きに慣れているだけに、多少の藪を進むことに抵抗はないようだった。
「よーし、全員はぐれるなよ」
すっかり隊長気分になったあとり君は、私たちを先導するように裏道へと足を踏み入れた。次に樋口さん、高坂さん、私と続く。
獣道には、むっとするような緑のにおいが充満している。張り出した低木の枝やツルをかき分けながらの行進だ。藪の中にはトゲがある植物や蜘蛛の巣がある。流石に田舎の子供はたくましい、と私は妙に感心した。
当然ながら道は斜面になっている。それが踏み潰された草の柔らかい地面と相まって、進行はさらに困難だった。しかし後悔先に立たずで、あとり君に比べて大柄で鈍重な大人たちは、さっさと行ってしまう彼を必死に追った。
百メートルほどは進んだだろうか? やがて藪が途切れて、先に開けた空間が見えてきた。土と草の汁と擦り傷に塗れた私たちは、ようやく着いたかと安堵の息を漏らした。
獣道から這い出した私たちの目前にあったのは、古びた蔵だった。大きさはちょっとした二階建て住宅ぐらいある。こちら側は裏手のようで、二メートル半ほどの高さに小さな窓が見えるだけだ。
こんな不便そうな場所になぜ? そう尋ねようとした私を、あとり君は口に指をあてた沈黙のジェスチャーで制した。見つかって怒られたことがあるというから、慎重になっているのだろうか。あるいは、忍者かスパイのロールプレイなのかもしれない。
あとり君は忍び足で蔵の壁際に進み、角から顔を出して辺りを窺っている。どうやら蔵以外にも色々なものがあるようだ。
私も彼の後ろから、敷地を覗いてみる。意外にも、ここは先程の神社よりも広かった。というか、ここもまた神社のように見えた。古びた本殿のような建物、用途不明の平屋、そしてこの蔵が、三百平米ほどの平坦な広場に配置されている。
本殿の近くには座り込んでいる人影がある。私はそれを見てどきりとした。人がいたことに対してではない。その姿かたちに対してである。
非常に大柄な、禿頭の男。身長は百九十センチ以上あるだろう。生白い顔には、眉毛や髭も生えていない。それだけなら、多少不気味ではあるが、まあまあいないことはない容貌だ。
しかし彼の左腕は、肩の部分から異様に肥大化していた。太さはあとり君の胴ほどもある。ウェイトトレーニングで片側だけ鍛えても、決してこうはならない。巨大な注射でシリコンだか油だかを何リットルも入れたような、歪なシルエットだった。
つなぎのようなものを着ていたが、その左腕の部分は切り取られ、肥大化した腕が異形の素肌を晒しているのだった。
体調が悪いという風ではない。彼は明らかに見張りとしてそこにいる。
「っ……」
あとり君が後ろに下がってきたので、それに合わせて私も後退した。
「なにかあったんですか?」
高坂さんがあとり君の雰囲気に釣られ、囁き声で尋ねる。
「下男がいるな」
あとり君は言った。下男とはどのような存在なのか、と私が尋ねようとしたとき、蔵の内側から声が響いた。
「あとり、そこにいるの……?」




