日ノ本だけが世界じゃない
天正八年。
熱田の港に巨大な船が停泊していた。
日本にあるどんな船とも違う、一種異様な姿の船。
舳先に立つ大男が、波止場にならぶ人の群れを見下ろして、おおきく手を振る。
「文ぃ! ガキどもを頼んだぜェ!!」
「ええ。お帰りを、お待ちしています!」
最前列にいる文が、笑顔で手を振り返す。
元服間近の息子、三郎がため息をつきながら、幼い娘三重が、笑顔ながらに応える。
「正道! 熱田は任せとけ! 三重の嬢ちゃんが結婚するまでに帰って来いよ!」
「頭ぉっ! お気をつけて!!」
「ヤスに浩二、龍一ぃ! 頭を頼んだぞっ!!」
「寂尊! 気をつけて行って来いよぉー!」
「譲司! オレの代わりに兄貴を頼んだぜぇっ!」
「紋郎ぉ! 体を壊すなよーっ!」
副頭の佐々木歳三をはじめ、残った舎弟たちの声。
「山田さま。お帰りを、お待ちしています!」
加藤図書助の声に、手を振り返して。正道は甲板を振り返った。
同乗する熱田の工人たち、舎弟たちや、奇特な武士たちのように、見送るものたちに手を振ることも無く、しみじみと熱田の町をながめている、ひとりの男がいる。
「いよいよだな、織田の」
男に向かい、正道はそう言って笑いかける。
「ああ」
信長は笑い返した。
本能寺の変。
あの決死の状況で、信長と正道は、かろうじて脱出を果たした。
しかし、代償として大けがを負ったふたりは、近江の富農の家に匿われて、半年ほども起き上がれなかった。
その間に、時代は変わった。
本能寺の変後、細川藤孝と筒井順慶。娘をやった二家に背を向けられ、明智光秀は京一帯を掌握しかねていた。
そこへ、西からは毛利と講和を果たした羽柴秀吉が。
北からは、柴田勝家を対上杉に残し、北近江衆のみを率いて引き返してきた浅井長政が、驚くべき速度で畿内に帰還を果たす。
さらには、シゲルの説得で窮地を逃れた織田信長の嫡子、信忠が、途中合流した家康とともに、伊賀を越える。
地図により、伊賀の国衆を無血で降伏させていたことが幸いして、信忠は無事に伊勢長島までたどり着くことができた。
長島に逃れた信忠は、シゲルの口利きで熱田の協力を得て、兵を起こす。
秀吉と長政、そして信忠。三方から攻められた光秀は、燃える安土城の天主で腹を切って果てた。
ちなみに、このときの功績が認められ、のちにシゲルは信忠の側近という異例の抜擢を受けることになる。それ以降一切、うだつは上がらなかったが。
その後、信長の死が公表される。
父の仇を討った嫡子信忠は、正式に後を継いだ。
それから半年が過ぎ、織田信忠による体制も順調にまわり始める。
そんなときに、信長がひょっこりと姿を現したのだ。
「あの時の藤吉郎の顔といったら。くくっ。奥殿が角を生やして怒っても、あれほどの顔にはなるまい」
「浅井のは本気で怒るしよォ。丹羽のは泣くしよォ。柴田のおっさんは泣きながら笑うし滝川のはハトが豆鉄砲食らったみたいに口あけてよォ」
「信忠は恨みがましく睨んでおったわ。せっかく自分主導の体制を築きあげたところだ。当然だがな。ふふ、命の危機を感じたのは久々だぞ……いや、本能寺があったか?」
「ノンキなもんだぜェ」
「死人だからな」
信長は、公的には死者だ。
天下人の重責は、すでに子の信忠が担っている。
「わしの夢は、信忠が立派に継いでおる。天下布武の夢は、すでに次代へと移ったのだ。なら、今度はお主の夢に力を貸すも一興」
自らの死を受け入れるのと引き換えに、信長は一隻の船を強請り取った。
熱田の工人衆に、船大工。あらゆる先端技術を惜しみなく投入した、スクリューエンジン搭載の巨船だ。
「これでどこへでも行ける。日ノ本だけでない。世界の、どのようなところへも、だ」
船には同行を志願した信長の旧臣。
弥三郎をはじめとした、熱田で預かっていた馬廻りたち。
正道を慕う工人、商人、それに、限られた乗員に選ばれた少数の舎弟たち。望んで乗った、子供たち。
低いエンジン音とともに、船が岸を離れる。
見送る人々と、巨大な商業都市、熱田をながめながら、信長は笑って問う。
「――山田の、まずはどこへ行く?」
「決まってるだろォ?」
正道はリーゼントを誇示しながら、笑って答える。
「世界を目指すならァ、まずは世界の頂上、アメリカだァ!!」
ちなみに。
アメリカ大陸は、いまだ西欧人の入植もろくに進んでいない。
未開の大陸に向かって、百にも満たない仲間とともに、正道は旅立つ。
のちのアメリカ建国の父である。
※
濃姫「(チラッ」
信長「乗ってたーっ!?」
みなさま、ありがとうございます。
戦国リーゼント、ここに完結です。
ここまでつき合っていただいたみなさまに、感謝を!
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ありがとうございました!




