アンパンボーイ
…懐かしい夢を見ていた気がする。
内容はしっかりと思い出せないけど、この胸に残る温かい気持ちは、きっとあの頃のものだ…
…そういえば、一体私はどうなったのだろうか?
夕日を探して家を飛び出した後の記憶が、かなり朧気であった。
ただ、記憶が曖昧な時点で、今の状況があまり良くない事くらいは理解出来る。
「っ…」
声を出そうとしたけど、口に何か布のようなものを噛まされているようで、満足に声が出せなかった。
やはりあの後、私の身に何かあった事だけは確かなようだ。
(…夕日を攫った奴らに、捕まったって事だよね)
別件の誘拐犯に捕まった、という事は流石に無い…、筈。
なんとか直前の記憶を思い出そうとするも、どうにも頭が上手く働かず、鈍い痛みだけが走る。
せめてここが何処なのかを確認しようと、頭を動かそうとする。
しかし…
(っ!?)
その瞬間、凄まじい眠気に襲われ、意識が遠のいていく。
そして私は、再び夢の中へと沈んでいくのであった…
◇
「おい! いい加減にしろ!」
そんな声が頭上から響いてくる。
恐る恐る顔を上げると、そこには僕を守るように立ちはだかる、男の子の姿があった。
「なんだよ! お前!」
「ふん! 悪党に名乗る名など無い!」
男の子は腰に手を当て、ふんぞり返るように言い放つ。
僕はこの男の子の言っている事を理解出来なかったが、それはこの場にいる全員がそうらしく、みんな不思議そうな顔をしていた。
「何言ってるんだお前!」
言われた側は一瞬呆けていたけど、それが余計腹立たしかったのか顔を真っ赤にして怒っている。
それに対し、男の子は余裕そうな顔で首を振る。
「わからなかったなら別にいい。それより、これはイジメだろ? イジメは良くないんじゃないか?」
「イジメじゃない! アンパンボーイがうるさい事言うからいけないんだ!」
うるさい事、とは僕が注意した内容の事だろう。
顔を真っ赤にしている少年、飯田君と、坂田君、山本君の三人は、昼ごはんをオモチャにして遊んでいた。
具体的にはロールパンでキャッチボールしていたのだけど、それを注意したら三人が急に怒り出したのである。
「ふむ、うるさい事、とは?」
「そ、そいつが、俺達がキャッチボールしていた所に割り込んで来たんだ!」
全く怯まない男の子に対し、坂田君は逆に動揺したのか、質問とはズレた回答を口走る。
その言葉に男の子は、さっと周囲を見渡し、すぐにソレを見つけて拾った。
「ボールとは、このパンの事かな?」
「そ、そうだよ!」
「…ふむ、少年よ、君は何と言ってそれを注意したのかな?」
男の子は振り返り、今度は僕に質問をしてくる。
その顔を見て、僕はハッとした。
この男の子は、僕でも知っている有名人『正義君』であったからだ。
「えっと、食べ物は、粗末にしちゃいけないって…」
「…成程ね。実に正しい」
『正義君』は僕の顔をジッと見た後、納得したように頷き、再度飯田君達に向き直る。
「彼が言ったことに、間違いは無いかな?」
「…な、なんだよ! お前も悪いって言うのか!?」
「もちろんだ。食べ物を粗末にするなって、お父さんやお母さんにも言われなかったかな?」
「い、言われてない!」
僕は家がパン屋さんなのもあるけど、小さい頃から食べ物を粗末にするなと凄く注意された。
でも、他の家ではそうじゃないのかもしれない。
という事は、やっぱり僕が悪いのかな…?
「それは君のお母さん達が悪いね。まあ親だって万能ではない…。その分、こういった場所で学ぶべきだろう。という事でだ、君達は己の愚かさを顧みて懺悔し、正しき道に導いてくれようとした彼に感謝するといい」
『正義君』は難しい言葉を次々と口にし、飯田君達はワケもわからずオロオロとしている。
でも、それは一瞬の事で、飯田君は赤い顔をさらに真っ赤にして飛び掛かってくる。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「…所詮は子供か」
『正義君』はヤレヤレと首を振り、サッと飯田君の突撃を躱す。
躱された飯田君は何故か泣きそうな顔をして、さらに突撃をしてくる。
その瞬間、
「コラ! 何をやってるの!」
怒鳴り声と共に、先生が教室に入って来る。
しかし、既に突撃を開始している飯田君は止まることが出来ない。
またしても『正義君』にあっさりと避けられると思われたが…
「ふ、ふぇぇぇぇん! 痛いよぉぉぉぉぉ!!!」
『正義君』は飯田君の突撃を躱さず、飯田君と一緒に床に転がっていた。
その瞬間はしっかりと先生に見られており、突撃されて泣いている『正義君』を庇うように先生が駆け寄る。
「飯田君! 駄目じゃない! こんな事しちゃ!」
「え? だって、え…? ぅぐ、うえぇぇぇぇぇぇん!」
結局、飯田君も他の二人も泣き出してしまい、その場は一旦お開きとなった。
…………………………
…………………
…………
その後、僕と正義君、飯田君達三人は、それぞれ先生に事情を話す事になった。
僕達はうまく状況を説明できず、曖昧な事しか言う事ができなかった。
それに対し、『正義君』だけはハキハキと先生の質問に答え、少し難しい言葉で説明をしていた。
「成程ね…。とりあえず飯田君達は、本当に食べ物を粗末にしちゃ駄目よ? お弁当だって、みんなが頑張って作ってくれてるんだからね? 飯田君だって、一生懸命作ったブロックを壊されたら嫌でしょ?」
「…はい。ごめんなさい…」
「わかれば良いの。他の二人も、ちゃんと二人に謝ってね」
「「「ごめんなさい!」」」
三人は謝罪した後、職員室を出ていく。
『正義君』は先生に軽く挨拶をした後、「行こう」と僕の手を取った。
僕は少しびっくりしたけど、嫌な感じはしなかったのでそのままついていく事にした。
「あ、あの、どこに行くの?」
「秘密基地だよ」
「秘密基地?」
「うん。正義の味方の本拠地さ」
『正義君』はまた難しい言葉を使ったけど、秘密基地ならわかる。
前に友達から聞いて、気になっていたからだ。
「あれだよ」
幼稚園の裏にある林の奥に、木で作られた小さな小屋があった。
「あれが、秘密基地?」
『正義君』は小屋の前まで辿り着くと、振り返って言った。
「ようこそ、我が秘密基地へ。歓迎するよ、アンパンボーイ!」
◇
アンパンボーイ…
有名な子供向けのアニメのタイトルであり、その主人公でもある。
当時の俺にとって、あの作品はまさに、この世界の教本とも言える存在であった。
あの作品が、今現在の俺に与えた影響は、間違いなく大きい。
そうでなければ、こんな歳になってまで正義の活動をしようなどとは思いはしなかった。
今でも彼、アンパンボーイの事は尊敬しているし、作品自体にも未だ愛着を持っている。
…そんなアンパンボーイと同じ名で呼ばれる彼…いや、彼女に興味を持ったのは、必然だったのだろう。




